ヘンリー四世第二部においては、王の前には第一部におけるホットスパーのような強力なライバルが登場しない。王が老いて弱々しいのと同様に、いやそれ以上に反乱軍も脆弱なイメージに描かれている。彼らは一致して王に立ち向かうどころか、互いに猜疑しあい、そこを王の軍に付け入られる。王は戦わずして、反乱軍を鎮圧してしまうのである。
したがって両軍が合間見えるシーンは、華々しい戦闘の場面ではなく、一種の心理戦だ。この心理戦において、反乱軍は王による不正を糾弾する。これに対して王の軍は、反乱軍を苦しめていたのは王個人ではなく時代なのだという。
こうした言葉のやりとりによる心理戦が、すでに反乱軍の敗北を意味しているのは明らかだ。
モーブレイ;大主教をはじめ我々すべてが
これまで辛酸をなめさせられ
今もつらい思いをしておるのだぞ
不当なやり方で
名誉を汚されて
ウェストモアランド;モーブレイ卿よ
時代の趨勢というものをよく考えていただきたい
そうすれば あなた方を苦しめているものが
王ではなく 時代だということがお分かりになるだろう
MOWBRAY;Why not to him in part, and to us all
That feel the bruises of the days before,
And suffer the condition of these times
To lay a heavy and unequal hand
Upon our honours?
WESTMORELAND;O, my good Lord Mowbray,
Construe the times to their necessities,
And you shall say indeed, it is the time,
And not the king, that doth you injuries.
シェイクスピアが時代という言葉で意味しているのは、歴史の必然ということである。歴史には勢いというものがある、その勢いの前ではいかなる個人の努力もむなしいものだ。そういっているようである。
反乱軍の指導者たちは、矛を収めることの代償に、自分たちの首をとられる。そこがシェイクスピア劇の恐ろしいところだ。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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