宮沢賢治の詩「松の針」は、詩集「春と修羅」の中の「無声慟哭」と小題を付された五編の詩のうち、「永訣の朝」に続くものである。詩のモチーフも「永訣の朝」と関連しあっている。
賢治は死の床に臥す妹のトシからみぞれを取ってくるようにねだられ、雪が降る暗い空の下に出て行って、松の枝に積もったみぞれのかけらを掬う。そのときに松の枝も折って、トシのもとへ運んできた。トシは喜んで、その枝と戯れる。この詩はそんなトシのあどけない様子を歌ったものだ。
さつきのみぞれをとつてきた
あのきれいな松のえだだよ
おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
ああいい さつぱりした
まるで林のながさ来たよだ
松の青くとがった枝をトシが頬に押し当てるのを見て賢治は驚く。だがそれはトシが林の中に行きたいという願いの代償行為だとわかると、賢治は急に心が痛くなる。自分は思う存分林の中を歩けるのに、トシにはそれができない。そこのところが賢治にとっては切ないのだ。
鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに
おまへは林をしたつてゐた
どんなにわたくしがうらやましかつたらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ
おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ
わたくしは緑のかやのうへにも
この新鮮な松のえだをおかう
いまに雫もおちるだらうし
そら
さはやかな
terpentine (ターペンテイン)の匂もするだらう
そのトシがいまや自分を置き去りにして、別の世界にいこうとしている。賢治は自分も一緒に行きたいと願う。そしてトシに、一緒に連れてってくれとねだる。兄妹愛としては、あまりにも濃艶な感情ではないか。
賢治は松の枝をトシの片身にして、やがて春になったらそれを緑の萱の上に置こうと思う。萱とは茅葺の屋根をさすのだろう。屋根からはしずくが垂れるだろう、また松の油のさわやかな匂いがあたり一面に立ち込めるだろう。それはトシがこの世に残していった形見となるに違いないのだ。
関連サイト: 宮沢賢治:作品の魅力を読み解く
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