先稿でギリシャの財政破綻とそれがユーロ圏、ひいては世界経済に及ぼす影響の一端について触れた。そこでひとつ問題として残されたのは、ギリシャ政府がなぜこんな財政破綻に陥ったのかということだ。
国家が健全な財政を保つための条件は、国民による相応の税負担がなされ、政府による支出がそれに見合っていることだ。この財政政策のいろはともいうべきものが、どうもギリシャ人には無縁のことらしいのである。これでは国が沈没するのも無理はないと、思われても仕方がない。
ギリシャは人口1100万人程度の小さな国だ。国が小さいからといって、それ自体が悪いこととはいえないが、小さいにもかかわらず大国並みのパフォーマンスを演じようとすれば、おのずから無理が出る。
まずギリシャの産業構造をみると、誰もがびっくりするに違いない。この国では最大の産業は国家そのもので、公務員の数はなんと100万人に達する。その家族を含めればギリシャ人の相当数は、国から支給される賃金で暮らしていることになる。
一方民間の分野はどうかといえば、これが健全な資本主義経済の姿とは程遠い。ギリシャにはいわゆる闇経済がはびこっていて、その規模は市場全体の三分の一にも達するという。闇経済の最大の問題は、相応な租税を負担しないということだ。
つまりギリシャ経済は、公共分野と闇経済が大きな比重を占めていることになる。その結果がどうなるかはいうまでもない。国家財政の基となる健全な租税負担層が脆弱なのだ。
収入が少ないにかかわらず支出は多い。公務員の数が多いということがそれを物語っている。これでは財政が破綻するのも無理はない。
ギリシャ経済の基幹をなしている公務員層は、世界でももっともストライキが好きときている。ことあるごとにストライキに訴えて、自分たちの要求を政府に認めさせてきた歴史がある。
今回も財政危機を乗り切るために、ギリシャ政府は公務員層に対して一定の犠牲を求めたが、彼らは早速ストライキを起こして政府に譲歩を迫っている。国の財政危機よりも、自分たちの目先の生活が大事なのだ、そんな風に外国の記者に揶揄されても仕方がないところだ。
今回のギリシャ政府の不始末はユーロ圏のほかの国々が協調して救おうということになったが、その中で最大の費用を負担することになるドイツ人は、ギリシャ人の節度のなさに怒りを覚えている。ギリシャ人はドイツ人の犠牲の上で快適な生活を楽しんでいるというのだ。
日本人の筆者の眼にもそのように映る部分もある。しかしギリシャといえば、ヨーロッパ文明の発祥の地であり、今日のドイツがあるのも、ある意味でギリシャ人の賜物かも知れない。目先にかかわらず長い眼で見れば、ドイツ人がギリシャ人を助けるのにも、文明史的な意義が隠されているのかもしれない。
(上の写真はギリシャ政府の財政再建策に抗議してデモをする公務員たち:ロイター提供)
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