新年を迎えた描き初めに、今年はウサギをモチーフに遊び心を発散させてみた。上の絵がそれだ。ウサギといっても、本物のウサギではなく、ウサギのぬいぐるみのようなものだ。それをつけて踊っている人たちは、ブリューゲルの絵の中から飛び出してきたばかり。筆者はいま、ブリューゲルの絵に取りつかれているのだ。
描きあげた絵を荊婦に見せたら、わけがわからないといって大笑いをされた。どうせウサギを描くのなら、なぜ全身ウサギにしなかったのかというのだ。第一男の人の股倉にあるものが、なんだかとっても卑猥だわ、女の尻に触ろうとしているところもいやらしいわ、もっと可愛く描かなきゃダメと、新年早々小言を食ってしまった。
だがまあ、今年もこうして無事新年を迎えることができたわけだから、良しとせねば罰が当たる、というわけで、こたつを囲んで御屠蘇の御猪口を傾けた。
この絵にあるように、今年はウサギ年だから、思い切って飛躍の年にしたいな、と筆者が言うと、飛躍して月へでも飛んで行ったらいいわ、と荊婦が冷やかす。とっくに還暦を過ぎた老人が、飛躍もないだろうといわんばかりだ。
だが人間いくつになっても、夢を追いかけることはいいことだ。実利からいっても、何も考えずにぼっーとしている人間は老いやすく、頭を絶えず働かせている人間はボケにくいというではいか。常に若々しい気持ちでいるためにも、夢を抱くことは肝要なことだ。
それにしても、今年はどんな年になるのかな、いや、どんな年にすべきなのか、考え始めるときりがない。どうせ新しいことは成就できないだろうから、これまで手掛けてきたことを洗練するくらいが関の山かもしれぬ、それでも目標を持たないよりはましだろう。
筆者の当面の目標は、下手の横好きでやっている絵を、もう少しましなものにすることだ。そうすれば君にも少しは理解してもらえるかもしれないね、と荊婦に言う、まあ、せいぜい精進なさることね、と荊婦がいう。
ガラス戸の外を見れば、あたたかそうな日差しが庭一面に降り注いでいる。そうか、今年は正月早々穏やかな天気だな、この調子でこの一年が素晴らしい年になればいいな、御屠蘇の酔いがまわってきた筆者は、赤くなった目をしばたたかせながら、ガラス戸の外の温かい景色に視線を注いだ次第だった。
コメントする