23年間にわたってチュニジアを支配してきた独裁政権が崩壊し、ベン・アリ大統領が飛行機でエジプトに亡命した。昨年の末から民衆と支配者との間で繰り広げられてきた抗争は、民衆側の勝利に終わったわけだ。
宗主国のフランスはこの事態に対して、当初は大統領側を擁護する姿勢を取っていたが、最終的には。民衆側への支援を表明した。またアメリカも民衆を支援するとともに、暴力がこれ以上拡大しないよう、自制を求めた。
今回の事態の発端は、昨年の末に、八百屋を営む一青年が政府に抗議して焼身自殺をしたことに始まった。政府の役人は民衆の苦しみをよそに、平然と賄賂を要求し、それを拒むと店の品物を没収する、こんな腐った役人が支配する政治はくそ食らえだ、と青年は訴えたのだった。
この訴えにこたえて、おびただしい青年たちがベン・アリ政権に対して、強烈な反乱をはじめ、各地で大規模なデモが催された。政府側はこれを武力で粉砕しようとしたが、そのたびにデモの規模は膨らむばかり。ついには国全体を巻き込んだ大規模な内乱に発展する様相を見せていた。
ベン・アリ大統領は、総選挙の実施や自分自身の引退日程まで発表して鎮静化を図ろうとしたが、事態はますます悪化するばかり、軍部からも反発を買い、四面楚歌の状況に陥ったようだ。こうした中で、身の危険を感じ、細君とともにエジプトに亡命せざるを得なくなったのだろう。
ベン・アリ大統領が国外逃亡した後は、ガンヌーシ首相が、自分が職務代理を
勤めると宣言した。だがガンヌーシ首相も、国民に人気がないことでは、ベン・アリ大統領と五十歩百歩だ、いづれ退場せざるを得ないとの観測がもっぱらだ。
ところで、チュニジアのことは日本人にはなじみが薄いが、アラブ世界のなかではユニークな地位を占めている。もともとはかのカルタゴ遺跡の上に成立した都市国家だ。その歴史を踏まえて、地中海世界やヨーロッパとの関係が深かった。フランスはそうしたチュニジアにとって、長い間宗主国だった。
ベン・アリは1987年に、クーデターを通じて政権を掌握し、それ以来23年間君臨してきた。その政治スタイルは典型的な独裁で、国民の人権を考慮しないことにおいては、北朝鮮と異なるところはなかった。それでもいままで崩壊せずにすんできたのは、アラブ穏健派として、ヨーロッパ世界の指導者たちから一目置かれてきたからだといわれる。
つまりヨーロッパとの協調によって経済を安定させ、国民の不満を吸収できていたということらしい。
だが近年の経済不況が、こうした経済的なゆとりを奪った、それに加え、飛躍的に教育水準が上がったといわれる若者たちが、大学を卒業しても就職先が見つからぬという深刻な事態に直面するようになった。
こうした事態が生み出した若者たちの体制への不満が、今回の内乱騒ぎのもっとも大きな原因だと専門家は分析している。
こうした問題はチュニジアにとどまらず、アラブ世界が共通して直面している問題らしい。ベン・アリが亡命したエジプトのムバラク大統領も、30年間権力の座に座り続けている。そのムバラクも、ベン・アリと同じような問題に直面していることは、誰の目にも明らかな事実だ。(上の写真はチュニジアの若者たち:AFP提供)
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