新藤兼人監督といえば、戦後日本映画の生き証人のような人だった。昨年は100歳を目前にして、映画「一枚のはがき」を世に送り、現在を生きる人々をも感動させた。筆者も感動して涙を流した一人だ。その新藤監督が死んだ。100歳になっての大往生だった。
新藤監督は、100歳近くになってもなお意気盛んで、物腰といい、話し方といい、年を感じさせないところがあった。だがさすがに100歳を超えるや、一気に衰えたようだ。最近はすっかり老いのとらえるところになったようで、まさに枯葉が落ちるように、命尽きて、この世を去ったということだ。
「一枚のはがき」でもそうだったが、監督の映画作りは、自分の経験したことに裏打ちされたものだった。戦争を描いた作品は、監督の軍隊経験をもとにしたものだし、「原爆の子」などの原爆ものも、広島出身者として被爆地を見た体験がもとになっている。
だから監督の映画は、観念的に陥らない。自らの体験がそのまま映画となって迸っているからだ。
監督は、映画作りがそのまま自分の生き方と重なった、ある意味で幸福な生涯を送った。映画を作ることが、生きることを意味した、と監督自身語っている。
色々な面で、生き方の手本を示してくれた人だ。心から冥福をお祈りしたい。
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