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能と狂言



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2007年3月23日

狂言の諸流派と狂言台本

現在狂言界で活躍している家は、大きく分けて大蔵流の山本派、茂山派、和泉流の三宅派、名古屋派である。二流四派ともいわれる。

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2007年4月 7日

能「経政」(夢幻の中の管弦講:平家物語)

能「経政」は小品ながら良くまとまった作品である。他の修羅能のように複式夢幻能の体裁をとらず、一場で構成されている。動きは少なく、筋も単純だが、音楽的要素に富み、幻想的な雰囲気に溢れているので、観客を飽きさせることはない。作者は不詳、平家物語巻七に題材をとったと思われる。

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2007年4月13日

能「道成寺」:安珍と清姫伝説

能「道成寺」は現行の能の中でも大曲の部類に入り、また位の高い作品として扱われている。静と動のコントラストが激しく、また鐘の作り物など、舞台の演出も派手で、緊迫感に溢れた作品であるが、演じ方がまずいと散漫に流れ、観客をいらいらさせたりしかねない。能楽師にとってはむつかしい作品とされ、したがって一定の成熟を経た節目の時期に始めて演ぜられる。

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2007年4月21日

能「合甫」:動物(魚類)報恩譚

能「合甫(かっぽ)」は、漁師に釣られた魚が通りがかりの者に助けられ、そのお礼に宝を差し上げるという内容の、一種の動物報恩譚である。中国を舞台にしているが、出典は不明。小品ながら、さわやかな印象の作品である。

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2007年4月27日

狂言「蝸牛」:誤解の喜劇

狂言「蝸牛」は理屈抜きに楽しめる作品である。山伏がシテを勤めるので演目上は「山伏物」に分類されるが、太郎冠者のとぼけぶりとあいまって、初めて作品としての面白さが発揮される。筋はごく単純なものだが、当意即妙のやり取りと、山伏の踊りがなんとも言えず滑稽であり、観客を引き込んでやまない。狂言の中でも、祝祭性に富んだ作品であるといえる。

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2007年5月 4日

能「花月」:喝食の芸づくし

能「花月」は喝食の美少年に芸づくしを演じさせるというもので、小品ながら変化に富み、祝祭的な雰囲気に満ちた華やかな能である。

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2007年5月11日

能「鞍馬天狗」:牛若丸と大天狗

能「鞍馬天狗」は、牛若丸が沙那王といった幼年時代を題材にして、大天狗が沙那王に武術を教え、平家を倒し源氏の再興を期するという内容の物語である。桜の季節を背景に、シテ(天狗)と子方(沙那王)がやりとりする光景は、色気を感じさせるものであり、これを男色の能と見る見方もある。

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2007年5月18日

能「野守」:歌物語と鬼

能「野守」は、大和国春日野に伝わる伝承をもとに、世阿弥が書いたものと思われている。鬼の能であるが、和歌をテーマにして上品な体裁になっている。

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2007年5月25日

狂言「棒縛り」:狂言記より

狂言記は徳川時代の初期に刊行された狂言の絵入台本集である。万治3年(1660)に正篇、元禄13年(1700)に外篇と続篇、享保5年(1730)に拾遺篇が刊行されている。それぞれ50曲づつ、計200曲からなる。

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2007年6月 2日

能「富士太鼓」:夫の仇討ち

富士太鼓は、太鼓を巡る芸道の執念を描いた作品である。テーマは二つあり、ひとつは富士と浅間に名を借りた芸人同士の争い、ひとつは討たれた夫の敵討ちをする妻と子の悲しみである。

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2007年11月15日

小袖曽我:曽我兄弟、母との別れ

能「小袖曽我」は、曽我ものと呼ばれる一連の作品の中でもっとも人気の高い曲である。観世流謡曲では初級謡本の中に収められているから、謡ったことのある人も多いだろう。

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2008年1月 7日

能「泰山府君」:桜の命と道教の神

能「泰山府君」は、桜花爛漫の季節を舞台に、万物の生命を司るとされた道教の神泰山府君に、桜の命を永らえさせてもらおうという願いを歌い上げた曲である。これに天女が桜の枝を折るという趣向が付け加わり、話の筋に変化が生じている。後段では泰山府君が勇壮な舞働きを、天女が優雅な舞を舞い、小品ながら華やかで見ごたえのある作品である。

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2008年2月 2日

能「芭蕉」:金春善竹の草木成仏譚

能「芭蕉」は芭蕉の精を主人公にし、その成仏を主題にした珍しい作品である。能にはほかに、梅、藤、桜(西行桜)、柳(遊行柳)など草木の精を主人公にした作品があり、かつては人間以外のものを取り上げていることから5番目に分類されていた時期もあったが、現在ではいづれも3番目に数えられている。

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2008年4月 9日

能「隅田川」:梅若伝説

今年も東京の桜は三月のうちに満開になって早くも散り始め、子どもの入学式までもたなかった。桜の咲く季節には決まって演ぜられる能の曲目があるが、それらも今年は葉桜を見ながら観劇することになりそうだ。

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2008年7月 5日

能「蟻通」:紀貫之と蟻通明神

能「蟻通」は、蟻通明神の縁起談に紀貫之の歌をからませ、もの咎めで有名な蟻通明神の怒りを和歌の徳によってなだめるという趣旨の物語である。

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2008年7月 9日

大仏供養:悪七兵衛景清の弔い合戦

能「大仏供養」は平家の武将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていない。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。

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2008年9月26日

能「巴」:巴御前と木曽義仲

能「巴」は巴御前と木曽義仲の悲しい死に別れを描いた作品である。分類上は修羅者に入れられるが、通常の修羅者とは趣を異にしている。

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2009年3月21日

能「橋弁慶」:五条の橋の義経と弁慶

能「橋弁慶」は「安宅」や「船弁慶」とともに、義経・弁慶伝説に題材をとった作品である。通常の伝説では、五条の橋に夜な夜な現れて人を切るのは弁慶のほうであり、それを義経が退治したことが機縁になって、二人は主従として結ばれる。しかしこの話では役どころが逆転している。つまり五条の橋で人を切るのは義経ということになっており、それを弁慶が退治しに行くのである。

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2009年4月 3日

能「井筒」:在原業平と紀有常の娘

能「井筒」は世阿弥の幽玄能の傑作で、世阿弥自身自信作と考えていたことが「申楽談義」のなかにもある。筋らしいものはなく、全曲がゆったりと進んでいくが、秋の古寺の趣と女の清純な恋情とがしっとりと伝わってくる。

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2009年4月25日

能「西行桜」

能「西行桜」は世阿弥の傑作のひとつである。西行の歌に着想を得て、歌人と花の精との即妙なやりとりを描きながら、桜の花の持つ濃艶な雰囲気をかもし出している。

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