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万葉集を読む



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2007年04月05日

大伴家持:花鳥の歌(万葉集を読む)

大伴家持は花鳥を愛した人らしく、花や野鳥を詠んだ歌が多い。花鳥を主題にして歌を詠むということは、人麻呂や赤人の時代にはなかったことである。ここに、風雅の人大伴家持の新しさがある。家持は、様々な点で、万葉と古今以後との歌風をつなぐ歌人といわれるが、その真髄は花鳥を好んで詠む姿勢にあった。

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大伴家持:鷹狩と鵜飼(万葉集を読む)

大伴家持は花鳥風月を歌に詠む風流の人であったとともに、鷹狩や鵜飼を楽しむ行動の人でもあった。特に鷹狩を好んだらしく、鷹を詠んだ長歌を三首も作っている。ここでは、そのうち最初に作られたものを取り上げてみよう。

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2007年04月09日

大伴家持:諸国の遊行女(万葉集を読む)

大伴家持の生きた時代、諸国に派遣された国司は妻子を伴わず、単身赴任するのが原則だったようだ。家持が越中に単身赴いたのも、この原則に従ったのだろう。だから、諸国の官衙は独り者の男たちで構成されていた。一時代前の連隊兵営を思い起こせば、その雰囲気が伝わってくるだろう。

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2007年04月10日

海ゆかば:大伴家持の伴造意識(万葉集)

大伴家持の生きた時代は、人麻呂の時代とは異なって、常に内乱の危機をはらんだ政治的動揺の時代であった。737年に流行した大疫によって、藤原武智麻呂はじめ、藤原氏の実力者が次々と死に、政治的な空白ができたのがその原因である。藤原氏にとってかわって、橘諸兄が一時的に権力を握ったが、安定したものとはいいがたかった。740年には、藤原博継による大規模な内乱がおきている。

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2007年04月11日

大伴家持:族を諭す歌

聖武天皇が譲位して上皇となり、孝謙天皇の世に変わると、藤原武智麻呂の子仲麻呂が女帝に接近して権力を握り、政敵の追い落としをするようになる。最大の標的は橘諸兄だった。政治的に諸兄に近かった大伴家持は、世の中の変化に敏感にならざるを得なくなった。

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2007年04月12日

笠郎女:家持との恋の歌(万葉集を読む)

大伴家持は、正妻の坂上大嬢や若い頃に死んだ妾の他にも、多くの女性と恋の駆け引きを演じた。家持は自ら女好きの男であったとともに、女性からも好かれるタイプだったらしい。そんな家持が、何人かの女性との間に交わした相聞歌が万葉集に載せられている。家持の愛した女性たちには、優れた歌い手が連なっていたのである。

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2007年04月16日

坂上郎女:恋多き女(万葉集を読む)

大伴坂上郎女は、額田王と並んで万葉の女流歌人を代表する人である。家持にとっては叔母にあたり、作家の上でも大きな影響を与えたと思われる。その作品は、家持の手によって筆写され、万葉集の中に多く残された。

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2007年04月17日

石川郎女:奔放な恋を生きた女(万葉集を読む)

万葉の時代の女性たちが、現代人の我々が考えている以上に自由な生活を送っていたであろうことは、彼女らがかなり奔放な恋愛を楽しんでいたことからも察せられる。筆者は先に、坂上郎女や額田王のそのような恋を取り上げてきた。だが、奔放な恋を生きた女性としては、石川郎女を以て万葉の女性チャンピオンとせねばなるまい。

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2007年04月18日

中臣宅守と狹野茅上娘子:天平の悲恋

先に大伴家持に関して諸国の遊行女を取り上げた文の中で、重婚を禁じた例規があったことを紹介した。万葉の時代の後半は、どうも一夫一妻の制が建前であったらしいのである。天智、天武の両天皇は後宮を設けて多くの妃を蓄えていたのであるから、その頃までは臣下の間でも一夫多妻が行われていたはずだ。だから、これは大きな政策転換であったといえる。

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2007年04月19日

高橋蟲麻呂:東国の民間伝承(万葉集を読む)

万葉の時代に東国に伝わっていた民間伝承は、京の人々にとっては遠い僻地での物珍しい出来事ではあったろうが、その中には人々の関心を引いたものもあったようだ。葛飾の真間の手古奈の伝説などは、その最たるものだったようで、山部赤人、高橋蟲麻呂の二人によって、歌にも読まれた。

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2007年04月23日

東歌の世界(万葉集を読む)

万葉集巻十四には、東歌として、東国各地の歌が集められている。これらの歌がどのようにして集められ、万葉集に収められるに至ったか、そのいきさつは明らかでないが、恐らく中央から派遣された国司たちによって、集められたのであろう。常陸風土記など、風土記の編纂がそのきっかけになったのかもしれない。

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2007年04月24日

防人の歌(万葉集を読む)

万葉集巻二十には、「天平勝宝七歳乙未二月、相替へて筑紫の諸国に遣はさるる防人等が歌」と題して、防人の歌がずらりと並んで載せられている。その数は八十数首、大伴家持はそれらの歌の間に、自作の歌をもちりばめて配している。

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2007年04月25日

大伴家持と防人たち(万葉集を読む)

大伴家持は、防人を筑紫に送り出すために難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集して歌日記に書きとどめるとともに、自身も防人を歌った長歌三首を作った。家持は東国からやってきた防人たちの、飾らない歌いぶりに感動したのであろう。自身を防人の身に事寄せて、その気持をくみ上げようとする気持がよく出ている。

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2007年04月26日

乞食者の歌(万葉集を読む)

万葉集巻十六に、「乞食者の詠二首」と題された珍しい作品が載せられている。まず、乞食者(ほかひひと=ほかいびと)とはどういう人をさすのかについて、古来議論があった。文字通りの乞食という意味ではなく、芸を売る見返りに食を得ていた、芸能民の類だろうというのが大方の説である。

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2007年05月01日

大伴家持

大伴家持は、万葉集の編集者として擬せられているとともに、自身も偉大な万葉歌人の一人であった。

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2007年07月01日

斉明女帝の歌:万葉ぶりの始め

万葉集巻一は、冒頭に雄略天皇に仮託された伝承歌を据えた後、二首目には時代を超えて舒明天皇の歌を置いている。しかして、舒明天皇の后斉明〔皇極〕天皇以後、各天皇の時代区分に従って、それぞれの時代を代表する歌を並べている。

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2007年07月08日

天智天皇:万葉集を読む

天智天皇は、古代の豪族蘇我氏を倒して大化改新をなしとげ、即位して後は強大な専制君主として、権力を一身に集中した。こんなところから、とかく政治的側面のみが強調されがちであるが、万葉集に納められている歌から伺われるように、人間的な側面をも併せ持っていた。

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天武・持統両天皇(万葉集を読む)

天武天皇(大海人皇子)は壬申の内乱を勝ち抜き、自力で王位を手中にした。持統女帝は天智天皇の娘であったが、叔父の大海人に嫁いでともに壬申の乱を戦い、夫の即位後は皇后としてともに政に当たった。しかして天武天皇が亡くなって後は、孫の文武天皇が成長するまでのつなぎ役として即位した。この夫婦が統治した時期は、日本の古代でも最も安定した時代だったといえる。

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2007年07月15日

悲劇の皇子たち:有間皇子と大津皇子

日本の古代王朝における皇位の継承には、近代に確立されたような直系長〔男〕子相続のような明確なルールがあったわけではなく、兄弟間の継承や時には女帝の誕生といったことが頻繁に起きた。

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志貴皇子(万葉集を読む)

志貴皇子は天智天皇の皇子であったために、壬申の乱以後は皇位継承から外れた傍系にあった。それでも、温和だったらしい人柄が天武、持統両天皇に評価されたのか、宮廷においては、異母兄弟の川嶋皇子とともに厚遇されたようである。

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