高市黒人:旅愁の歌人(万葉集を読む)
高市黒人は柿本人麻呂のほぼ同時代人である。その生涯については、柿本人麻呂以上に詳しくはわかっていない。同族に高市県主がおり、壬申の乱に際して、飛鳥の地で神々の託宣を下したというから、神官の出であったと考えられる。県主はその功績により、天武から連の姓を授けられた。連は朝臣より下位の位であるから、高市連黒人は人麻呂より一層身分の低い官人だったと思われる。
高市黒人は柿本人麻呂のほぼ同時代人である。その生涯については、柿本人麻呂以上に詳しくはわかっていない。同族に高市県主がおり、壬申の乱に際して、飛鳥の地で神々の託宣を下したというから、神官の出であったと考えられる。県主はその功績により、天武から連の姓を授けられた。連は朝臣より下位の位であるから、高市連黒人は人麻呂より一層身分の低い官人だったと思われる。
草壁皇子が亡くなったとき、柿本人麻呂が荘厳な挽歌を作って皇太后(持統天皇)に奉ったことについては先に述べた。人麻呂はその後、持統天皇の宮廷歌人として、折節の行事のために儀礼的な歌を作るようになる。
万葉集巻十五はその前半部に、遣新羅使の一連の歌を合わせて145種も載せている。その数からして異例の扱いといえる。