顏生稱爲仁(陶淵明:飲酒其十一)
陶淵明「飲酒二十首」より其十一「顏生稱爲仁」を読む
陶淵明「飲酒二十首」より其十一「顏生稱爲仁」を読む
陶淵明「飲酒二十首」より其十三「有客常同止」を読む
陶淵明「飲酒二十首」より其十四「故人賞我趣」を読む
陶淵明「飲酒二十首」より其十五「貧居乏人工」を読む。
陶淵明「飲酒二十首」より其十六を読む。
陶淵明「飲酒二十首」より其十七を読む。
雑詩十二首は、陶淵明が折に触れて感慨を詠んだもので、秀作が多い。すべてが同じ時期のものではなく、大きく二つのグループに分けられる。
陶淵明の詩から「雑詩其二:日月人を擲てて去る」を読む。
陶淵明の詩から「雜詩其三:盛衰量るべからず」を読む。
陶淵明の詩から、「雜詩其四:百年邱壟に帰す」を読む。
陶淵明の詩から、「雑詩其五:古人寸陰を惜しむ」を読む。
陶淵明の詩から、「雜詩其六:子有るも金を留めず」を読む。
陶淵明の詩から雑詩其七「家は逆旅の舍なり」を読む。
陶淵明の詩から雜詩其八「代耕は本より望みに非ず」を読む。
盛唐の大詩人王維は、陶淵明と同様田園詩人の名を以て呼ばれる。田園の生活をこよなく愛し、また田園風景を好んで歌ったことについては、陶淵明に勝るとも劣らない。その陶淵明を再評価し、唐代以前におけるもっとも偉大な詩人として位置づけたのも王維である。
盛唐の詩人孟浩然は、自然派詩人として王維と並び称され、時に王孟と呼ばれる。王維よりは10歳年長であるが、両者は親しく交友した。その死に際して、王維は深い悲しみを表した詩を作っている。
杜甫によって酒仙と称された李白は自他ともに認める酒豪、酒の歌を多く作った。そんな李白にとって、陶淵明は酒の風雅を愛する者の先輩格。李白は折に触れて陶淵明を念頭においた詩を作っている。
唐宋以降の中国の詩人たちにとって陶淵明は詩聖のごとき存在であったから、誰しもその体に倣った詩を作った。中でも白楽天は、陶淵明に心酔すること深く、陶淵明の生き方を強く意識していた。
北宋の大詩人蘇東坡は波乱に富んだ生涯を送った。若くして高級官吏となったが、政争に巻き込まれて何度も挫折し、左遷、下獄、追放を繰り返した挙句、晩年は南海の果ての海南島に流されている。
陸游は南宋第一の詩人。宋が女真族の金によって侵略され、北土を失い江南によって南宋となったころ、その混乱に満ちた時代を生きた。中国が南北に分断された状況は、陶淵明の生きた南北朝時代と共通するものがあった。