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漢詩と中国文化



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2007年2月15日

秋風秋雨人を愁殺す:秋瑾女史秋風曲

武田泰淳の小説「秋風秋雨人を愁殺す」は、その副題に「秋瑾女史伝」とあるように、清末の女性革命家秋瑾女史について、ドキュメンタリー風に描いた作品である。秋瑾女史を始め清末の革命運動家について殆ど知るところのなかった日本人は、この作品を通じて些かのことを知るに至った。

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2007年2月16日

秋瑾女史愛国の詩:寶刀歌

秋瑾女史が日本で撮ったという肖像写真が残されている。和服姿に身を包み、きりりとした顔つきで正面をにらんだ彼女の手には短剣が握られている。秦の時代の刺客荊軻を愛し、自らも剣をとって胡(清朝)を倒さんと欲した女史には最も相応しいポーズといえる。

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2007年3月 7日

陶淵明の生きた時代

陶淵明は、南朝晋の興寧三年(365)に生まれ、宋の元嘉四年(427)に死んだ。その生きた時代は、南北朝時代の初期、東晋時代の後半から宋への移り変わりの時期である。この頃中国大陸は、南北に分離し、北には五胡十六国といわれるような異民族国家が興隆しては消え、南には漢民族による国家が興った。隋の煬帝が再び中国大陸を統一する六世紀の末ごろまで、中国南部には五つの王朝が交代するが、これと三国時代の呉を併せて六朝時代とも呼ぶ。

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2007年3月 8日

宋書隠逸伝中の陶淵明

宋書は南斉の沈約が著した六朝時代宋の正史である。斉の武帝に命ぜられて編纂を開始し、完成したのは梁の時代に入ってから、本紀10巻、列伝60巻、志30巻の計100巻からなる。そのうち列伝第53隠逸伝の部に、陶潜(陶淵明)の記事がある。

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2007年3月30日

五柳先生伝(陶淵明:仮想の自叙伝)

陶淵明の小品「五柳先生伝」は、長らく陶淵明の自叙伝であると信じられてきた。これには、宋書隠逸伝の次のような記述が影響したといわれる。「潛少くして高趣あり,嘗て《五柳先生傳》を著し、以て自ら況す」

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2007年4月30日

命子:陶淵明祖先を語る

陶淵明の詩「命子」(子に名づく)は、長男の儼が生まれたときに、その誕生を祝福するとともに、改めて祖先に思いをいたして詠んだ詩である。時に陶淵明29歳であった。この詩には、陶淵明の祖先、とりわけ曽祖父陶侃に対する尊敬の念が現れており、陶淵明の家族観を知る上で貴重である。

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2007年5月 1日

責子:陶淵明の子どもたち

陶淵明は、29歳にして長男の儼が生まれたとき、「命子」と題した詩一篇を作り、始めて子を得た喜びと、子の将来への期待を歌った。その父親としての情は、時空を超えて人々の胸琴に響くものがあった。

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2007年5月 7日

陶淵明:始作鎮軍參軍經曲阿作

宋書隠逸伝の記事によれば、陶淵明が始めて職らしい職についたのは29歳のとき、江州祭酒というポストであった。地方教育を司る職だったらしい。だがこれはすぐに辞め、次に提供された州主簿というポストも断った。

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2007年5月 8日

陶淵明:庚子歳五月中從都還阻風于規林

陶淵明が劉牢之に仕えたとする説には異論があるが、35歳頃に、桓玄に仕えた事については、歴史的な事実として、ほぼ異論がない。

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2007年5月14日

陶淵明:辛丑歳七月赴假還江陵夜行塗口

辛丑の歳といえば隆安五年(401)、陶淵明37歳。前年には桓玄に仕え、その任務を帯びて都に赴いたりしている。この年の前半には休暇をとって家でくつろいでいたようである。この詩は、休暇を終えて江陵へ赴く途上の作。(赴假は休暇を終えて帰任すること)当時江陵には、荊州刺史桓玄の本拠があった。

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2007年5月21日

陶淵明:和郭主簿

隆安五年(401)11月、陶淵明は母が死んだために服喪生活に入った。当時、親が死ぬと三年の間、公職を辞して喪に服すのが原則であった。陶淵明は図らずして、田園での静かな生活を楽しむことができるようになったのである。

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2007年5月22日

陶淵明:癸卯歳始春懷古田舍

癸卯歳は元興二年(403)陶淵明39歳の年、母の喪に服してから3年目にあたる。前年東晋の政権を崩壊せしめて実権を握った桓玄は、この年の十二月東晋の安帝を廃して自ら皇帝を名乗り、国号を楚と称した。このような激動の時期にあって、陶淵明は田園に閉居することで、身辺に災いの及ぶのを避けることが出来た。

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榮木:陶淵明不惑の思い

元興三年歳次甲辰(404)、陶淵明は不惑の年を迎えた。母親の喪が明けたこの年、東晋の政情は激変する。国を乗っ取って新しい王朝を開いていた桓玄が劉裕によって打倒され、5月には追い詰められて殺されるのである。

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2007年5月28日

陶淵明:連雨獨飮

連雨獨飮は元興3年(404)の作。陶淵明が母親の喪に服していた年で、同じ頃の作品に栄木や停雲などがある。

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2007年5月29日

陶淵明:乙巳歳三月爲建威參軍使都經錢溪

元興三年(404)、陶淵明は母の喪があけたのを契機に再び仕官し、劉裕の幕下に入った。その年の三月、劉裕は桓玄を破って建康を回復し、鎮軍将軍となっていたのである。

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2007年6月 4日

陶淵明:帰去来辞

陶淵明は、29歳の頃江州祭酒となったのを始めにして、断続的にいくつかの職についているが、義煕元年(405)41歳のとき、彭沢県令になったのを最後に、公職を退いて二度と仕官することはなかった。

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2007年6月 5日

帰りなんいざ、田園將に蕪れなんとす

帰去来兮辞の本文は四段からなる。一段目は、官を辞して家に帰る決意を述べ、はやる心で帰路に赴く様を描く。彭沢から故郷の柴桑までは凡そ百里、陶淵明は長江を船で遡った。なお、「帰去来兮」を「かへりなんいざ」と訓読したのは菅原道真である。以後日本の訓読の中で定着した。

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陶淵明

陶淵明に関する当ブログ内の記事を集めた作品インデックス。あわせて外部リンク集。

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2007年6月11日

帰園田居五首:田園詩人陶淵明

帰園田居は歸去來兮辭の姉妹作のような作品である。彭沢県令を辞して、あらゆる官職をやめ、田園に生きることを決意した陶淵明は、その喜びを歸去來兮辭に歌い、なおかつその延長上で、帰園田居五首を作った。

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2007年6月12日

帰田園居五首その二: 陶淵明田園生活を歌う

帰田園居五首の後半三首を取り上げる。第三首目は、第一首と並んで有名になった歌である。そこには、田園において日々耕作に励む喜びが描かれている。

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2007年6月18日

移居:陶淵明南村に移る

陶淵明は、義煕四年(408)火事に遭い、帰去来の詩に歌ったあの園田の居を消失した。陶淵明はそこに家を再建する代わりに、翌年、南村というところに移居した。場所は不明であるが、柴桑からはそう遠くはなかったのではないか。

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2007年6月19日

庚戌歳九月中於西田穫早稻:陶淵明収穫を歌う

庚戌歳は義煕六年(410)、陶淵明46歳。田舎に閑居して、農耕生活を営み、長沮傑溺の古の聖人に思いをはせる。淵明の理想とする生き方を歌った詩である。

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2007年6月25日

酬劉柴桑:陶淵明

陶淵明は、南村の居に移ってからも、故郷の柴桑を忘れたわけではなかった。また、故郷からも帰ってくるようにとの呼びかけがあったようだ。

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2007年6月26日

陶淵明:五月旦作、和戴主簿

陶淵明は、田園の一角に隠棲したとはいえ、世間との交渉を全く断ったわけではなかった。時には、役人たちとも交わり、詩のやりとりなどをしている。

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2007年7月 2日

陶淵明:贈羊長史 (劉裕の北伐)

義煕十二年(416)、劉裕は北伐を行い、翌年には長安に攻め上って後秦を滅ぼした。この知らせは、久しく中原の地を異民族に奪われていた漢人たちをいたく感激させた。陶淵明もその一人であった。

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2007年7月 3日

陶淵明:於王撫軍坐送客(王弘との交友)

義煕十四年(418)陶淵明が54歳の年、王弘が江州刺史として赴任してきた。王弘の王氏は山東朗邪の出身であり、当時の晋にあっては最高の家柄を誇っていた。その王弘がすでに隠士として名をあげつつあった陶淵明を尊重し、何かと淵明の世話を焼いた。陶淵明は著作佐朗に推挙されて断っているが、これも王弘の推薦によったものだといわれている。

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2007年7月 9日

陶淵明:答龐參軍(來會何れの年にか在らん)

王弘の部下に龐參軍という者があった。陶淵明は王弘を通じてこの人物とも親しくなったようだが、それは龐參軍が高潔の気風を持っていたからであろう。この人物が詩をたしなんだらしいことは、陶淵明の別の文から伺われる。

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2007年7月10日

桃花源記 :陶淵明のユートピア物語

陶淵明の作品「桃花源記」は中国の古代の詩人が描いたユートピア物語として、千数百年の長きにわたって人口に膾炙してきた。日本人にとっても親しみ深い作品である。そこに描かれた「桃源郷」は、理想の安楽世界を意味する東洋流の表現として、いまや世界的な規模で定着しているといえる。

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2007年7月16日

陶淵明:桃源郷詩

桃花源記には詩一首が添えられている。あるいは、この詩に対する序が桃花源記ということなのかもしれない。

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2007年7月17日

閑情賦:陶淵明のエロティシズム

閑情賦は、陶淵明の数ある作品の中でも、古来議論の多かったものだ。陶淵明といえば反俗を旨とし、田園に生きることを謳歌した詩人というイメージが確立されていたから、人間の情念を怪しく描いたエロティシズム溢れるこの作品は、淵明にまとわるイメージから著しく外れていると受け取られてきたのである。

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2007年10月 1日

形影神(陶淵明:自己との対話)

陶淵明は自分自身を形影神、つまり身体と影と精神の三つに分解し、それぞれに話をさせるという珍しい手法を用いて詩を作った。「形影神」がそれである。

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2007年10月 2日

擬挽歌詩:陶淵明自らのために挽歌を作る

陶淵明は晩年、自分自身のために挽歌を作った。擬挽歌詩三首がそれである。何のために、自分自身の死を悼む詩をつくったのか。単なる遊び心からか、それとも陶淵明一流の空想が働いたか。解釈は様々になされうるが、中国史上にも例を見ないユニークな思いつきであることに違いはなかろう。

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2007年10月 8日

自祭文:陶淵明自らを祭る

祭文とは儀式にあたって読み上げられる文章である。原則として散文でつづられた。雨乞いなどの際に作られることもあるが、多くは葬儀にあたって読み上げられたようである。

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2007年10月 9日

陶淵明:飲酒二十首

陶淵明といえば、田園や隠逸、反俗といったイメージとともに、酒のイメージが欠かせない。酒を歌った中国の詩人としては、李太白と並んで双璧となすべきだろう。

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2007年10月15日

衰榮無定在(陶淵明:飮酒其一)

陶淵明「飲酒二十首」から其一「衰榮無定在」を読む

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2007年10月16日

道喪向千載(陶淵明:飲酒其三)

陶淵明「飲酒二十首」から其三「道喪向千載」を読む。

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2007年10月22日

栖栖失群鳥(陶淵明:飲酒其四)

陶淵明「飲酒二十首」から、其四「栖栖失群鳥」を読む。

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2007年10月23日

結廬在人境(陶淵明:飲酒其五)

陶淵明「飲酒二十首」から、其五「結廬在人境」を読む。

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2007年10月29日

秋菊有佳色(陶淵明:飲酒其七)

陶淵明「飲酒二十首」から其七「秋菊有佳色」を読む。

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2007年10月30日

青松在東園(陶淵明:飲酒其八)

陶淵明「飲酒二十首」から其八「青松在東園」を読む。

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2007年11月 5日

顏生稱爲仁(陶淵明:飲酒其十一)

陶淵明「飲酒二十首」より其十一「顏生稱爲仁」を読む

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2007年11月 6日

有客常同止(陶淵明:飲酒其十三)

陶淵明「飲酒二十首」より其十三「有客常同止」を読む

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2007年11月12日

故人賞我趣(陶淵明:飲酒其十四)

陶淵明「飲酒二十首」より其十四「故人賞我趣」を読む

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2007年11月13日

貧居乏人工(陶淵明:飲酒其十五)

陶淵明「飲酒二十首」より其十五「貧居乏人工」を読む。

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2007年11月19日

少年罕人事(陶淵明:飲酒其十六)

陶淵明「飲酒二十首」より其十六を読む。

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2007年11月20日

幽蘭生前庭(陶淵明:飲酒其十七)

陶淵明「飲酒二十首」より其十七を読む。

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2007年11月26日

歳月人を待たず(陶淵明:雜詩其一)

雑詩十二首は、陶淵明が折に触れて感慨を詠んだもので、秀作が多い。すべてが同じ時期のものではなく、大きく二つのグループに分けられる。

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2007年11月27日

日月人を擲てて去る(陶淵明:雑詩其二)

陶淵明の詩から「雑詩其二:日月人を擲てて去る」を読む。

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2007年12月 3日

盛衰量るべからず(陶淵明:雜詩其三)

陶淵明の詩から「雜詩其三:盛衰量るべからず」を読む。

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2007年12月 4日

百年邱壟に帰す(陶淵明:雜詩其四 )

陶淵明の詩から、「雜詩其四:百年邱壟に帰す」を読む。

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2007年12月10日

古人寸陰を惜しむ(陶淵明:雜詩其五)

陶淵明の詩から、「雑詩其五:古人寸陰を惜しむ」を読む。

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子有るも金を留めず(陶淵明:雜詩其六)

陶淵明の詩から、「雜詩其六:子有るも金を留めず」を読む。

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2007年12月18日

家は逆旅の舍なり(陶淵明:雑詩其七)

陶淵明の詩から雑詩其七「家は逆旅の舍なり」を読む。

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代耕は本より望みに非ず(陶淵明:雜詩其八)

陶淵明の詩から雜詩其八「代耕は本より望みに非ず」を読む。

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2007年12月24日

王維、陶淵明を歌う:偶然作其四

盛唐の大詩人王維は、陶淵明と同様田園詩人の名を以て呼ばれる。田園の生活をこよなく愛し、また田園風景を好んで歌ったことについては、陶淵明に勝るとも劣らない。その陶淵明を再評価し、唐代以前におけるもっとも偉大な詩人として位置づけたのも王維である。

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2007年12月25日

孟浩然、陶淵明に倣う:故人の荘に過る

盛唐の詩人孟浩然は、自然派詩人として王維と並び称され、時に王孟と呼ばれる。王維よりは10歳年長であるが、両者は親しく交友した。その死に際して、王維は深い悲しみを表した詩を作っている。

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2007年12月31日

李白、陶淵明を歌う:桃花流水杳然として去る

杜甫によって酒仙と称された李白は自他ともに認める酒豪、酒の歌を多く作った。そんな李白にとって、陶淵明は酒の風雅を愛する者の先輩格。李白は折に触れて陶淵明を念頭においた詩を作っている。

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2008年1月 1日

白楽天、陶淵明に效う

唐宋以降の中国の詩人たちにとって陶淵明は詩聖のごとき存在であったから、誰しもその体に倣った詩を作った。中でも白楽天は、陶淵明に心酔すること深く、陶淵明の生き方を強く意識していた。

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2008年1月 7日

蘇東坡、陶淵明に和す

北宋の大詩人蘇東坡は波乱に富んだ生涯を送った。若くして高級官吏となったが、政争に巻き込まれて何度も挫折し、左遷、下獄、追放を繰り返した挙句、晩年は南海の果ての海南島に流されている。

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2008年1月 8日

陸游、陶淵明を慕う

陸游は南宋第一の詩人。宋が女真族の金によって侵略され、北土を失い江南によって南宋となったころ、その混乱に満ちた時代を生きた。中国が南北に分断された状況は、陶淵明の生きた南北朝時代と共通するものがあった。

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2008年1月14日

陶淵明擬古九首:其一榮榮窓下蘭

陶淵明擬古九首から其一「榮榮窓下蘭」を読む。

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2008年1月15日

迢迢百尺樓:陶淵明擬古九首其四

陶淵明擬古九首から其四「迢迢百尺樓」を読む。

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2008年1月21日

東方有一士:陶淵明擬古九首其五

陶淵明擬古九首から其五「東方有一士」を読む。

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2008年1月22日

日暮天無雲:陶淵明擬古九首其七

陶淵明擬古九首から其七「日暮天無雲」を読む。

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2008年1月28日

少時壯且厲:陶淵明擬古其八

陶淵明擬古其八「少時壯且厲」を読む。

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2008年1月29日

山河忽ち改まる:陶淵明擬古其九

陶淵明擬古九首から其九「種桑長江邊(山河忽ち改まる)」を読む。

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2008年2月 4日

陶淵明、貧士を詠ず:其一「萬族各有託」

陶淵明の「詠貧士七首」は、古の貧士にことよせて、己の生き方とそこに貫く矜持を歌った作品群だ。貧士とは清貧と孤独に甘んじつつ、世の流れに流されず、あくまでも己の美学を追及した人々である。清廉潔白の士と言い換えてもよい。陶淵明はそうした人々の生き方に己の生き方を重ねることによって、汚濁にまみれた世に生きざるを得なかった、無念のようなものを昇華したかったのだと思われる。

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2008年2月 5日

淒厲歳云暮:陶淵明詠貧士其二

陶淵明の詩「貧士を詠ず」其二「淒厲歳云暮」を読む。

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2008年2月11日

荊軻を詠ず:陶淵明

荊軻はいうまでもなく秦王(後の始皇帝)を暗殺するために、燕によって派遣された刺客である。史記が刺客列伝の中で荊軻をとりあげ、その壮烈な志を描いたことから、中国史上でも最も人気のある人物となった。その荊軻を、陶淵明は、史記の記述をもとに一遍の詩に歌った。

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2008年2月12日

乞食(飢來って我を驅って去る):陶淵明

陶淵明の詩「乞食(食を乞う)」を読む。

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2008年2月18日

陶淵明:山海経を読む。

山海経は中国最古の地理書である。地理書といっても、単なる地理を記したものではなく、各地にまつわる神々や妖怪、珍獣の類について、空想力豊かに記している。成立したのは秦から漢にかけての頃と推測されているが、古い部分は周の時代に遡ると思われる。その中には、神話の記述も含まれ、古代の中国を知る上で貴重な文献である。

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2008年2月19日

西王母:山海経を読む其二

陶淵明「山海経を読む」から其二「玉臺凌霞秀(西王母)」を読む。

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2008年2月25日

三羽の青鳥:山海経を読む其五

陶淵明「山海経を読む」から其五「翩翩三青鳥」を読む。

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2008年2月26日

太陽の女神羲和:山海経を読む其六

陶淵明「山海経を読む」から其六「太陽の女神羲和」の詩を読む。

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2008年3月 3日

陶淵明、不老不死の願望を歌う:山海経を読む其八

陶淵明「山海経を読む」から其八「自古皆有沒」(不老不死の願望を歌う)を読む。

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2008年3月 4日

夸父誕宏の志:山海経を読む其九

陶淵明「山海経を読む」から其九「夸父誕宏の志」

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2008年3月10日

精衞と刑天:山海経を読む其十

陶淵明「山海経を読む」から其十「精衞銜微木」を読む。

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2008年3月11日

帝王は用才を愼しむ:山海経を読む其十三

陶淵明「山海経を読む」から其十三「帝は用才を愼しむ」を読む。

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2008年12月10日

李白:漢詩と中国文化

このサイトでは、中国が生んだ偉大な詩人李白について、その放浪の足取りをたどりながら、代表的な作品を読み解いていきたいと思う。

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2008年12月11日

李白:生涯と作品

李白は申すまでもなく杜甫と並んで中国が生んだ最も偉大な詩人である。しかもこの二人は李白が11歳年長だったことを考慮に入れても、ほぼ同時代人であった。そこから李杜と並び称されるようにもなるが、これは単に同時代人としての併称であることを超えて、中国4000年の文学の真髄を表した言葉なのでもある。

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2008年12月16日

李白放浪の前半生:25歳から42歳まで

李白は25歳の頃、蜀を出て長江を東へと下った。彼の生涯にわたる放浪の旅への出発である。この旅の当初の目的が何だったのか、またそれを支えた資産をどのように調達したのかについては、詳しいことは分っていない。とにかく李白はこの後二度と蜀に戻ることはなかった。

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2008年12月17日

峨眉山月歌:李白

李白の七言絶句「峨眉山月歌」(壺齋散人注)

  峨眉山月半輪秋  峨眉山月半輪の秋
  影入平羌江水流  影は平羌の江水に入りて流る
  夜發清溪向三峽  夜清溪を發して三峽に向ふ
  思君不見下渝州  君を思へども見えず渝州に下る

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2008年12月18日

早發白帝城:李白

李白の七言絶句「早(つと)に白帝城を發す」(壺齋散人注)

  朝辭白帝彩雲間  朝に辭す白帝彩雲の間
  千里江陵一日還  千里の江陵一日にして還る
  兩岸猿聲啼不住  兩岸の猿聲啼いて住(つ)きず
  輕舟已過萬重山  輕舟已に過ぐ萬重の山

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2008年12月23日

懷仙歌:李白

李白の七言古詩「仙を懷ふの歌」(壺齋散人注)

  一鶴東飛過滄海  一鶴東に飛んで滄海を過ぎ
  放心散漫知何在  放心散漫 知んぬ何くにか在る
  仙人浩歌望我來  仙人浩歌して我の來るを望み
  應攀玉樹長相待  應に玉樹に攀じて長く相ひ待たん
  堯舜之事不足驚  堯舜の事 驚くに足らず
  自餘囂囂直可輕  自餘囂囂 直(た)だ輕んずべし 
  巨鼇莫戴三山去  巨鼇三山を戴きて去ること莫かれ
  我欲蓬萊頂上行  我蓬萊の頂上に行かんと欲す

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元丹丘歌:李白

李白の詩「元丹丘の歌」(壺齋散人注)

  元丹丘        元丹丘
  愛神仙        神仙を愛す
  朝飲頴川之清流  朝には頴川の清流を飲み 
  暮還嵩岑之紫煙  暮には嵩岑の紫煙に還る
  三十六峰長周旋  三十六峰長く周旋す  
  長周旋        長く周旋し 
  躡星虹        星虹を躡(ふ)む
  身騎飛龍耳生風  身は飛龍に騎(の)って耳に風を生じ
  橫河跨海與天通  河を橫ぎり海を跨いで天と通ず
  我知爾游心無窮  我知る 爾の游心窮り無きを

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2008年12月30日

山中問答:李白

李白の七言絶句「山中問答」(壺齋散人注)
 
  問余何意棲碧山  余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと
  笑而不答心自閑  笑って答へず心自から閑なり
  桃花流水杳然去  桃花流水杳然として去る
  別有天地非人間  別に天地の人間に非ざる有り

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山中與幽人對酌:李白

李白の七言絶句「山中幽人と對酌す」(壺齋散人注)

  兩人對酌山花開  兩人對酌すれば山花開く
  一杯一杯復一杯  一杯一杯また一杯
  我醉欲眠卿且去  我醉ひて眠らんと欲す卿且(しばら)く去れ
  明朝有意抱琴來  明朝意有らば琴を抱いて來れ

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2009年1月 6日

静夜思:李白

李白の五言絶句「静夜に思ふ」(壺齋散人注)

  牀前看月光  牀前 月光を看る
  疑是地上霜  疑ふらくは是れ地上の霜かと
  挙頭望山月  頭を挙げては山月を望み
  低頭思故郷  頭を低れては故郷を思ふ

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2009年1月 7日

長干行:李白

李白の五言古詩「長干行」(壺齋散人注)

  妾髮初覆額  妾が髮初めて額を覆ふとき
  折花門前劇  花を折って門前に劇(たはむ)る
  郎騎竹馬來  郎は竹馬に騎って來り
  遶床弄青梅  床を遶りて青梅を弄す
  同居長干里  同じく長干の里に居り
  兩小無嫌猜  兩つながら小(おさな)くして嫌猜無し

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2009年1月13日

太原早秋:李白

李白の五言律詩「太原の早秋」(壺齋散人注)

  歳落眾芳歇  歳落ちて眾芳歇(や)み
  時當大火流  時は大火の流るるに當る
  霜威出塞早  霜威塞を出でて早く
  雲色渡河秋  雲色河を渡って秋なり
  夢繞邊城月  夢は繞る邊城の月
  心飛故國樓  心は飛ぶ故國の樓
  思歸若汾水  歸らんと思へば汾水の若く
  無日不悠悠  日として悠悠たらざるは無し

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2009年1月14日

憶舊遊,寄譙郡元參軍:李白

李白の詩「舊遊を憶ひて,譙郡元參軍に寄す」(壺齋散人注)

  憶昔洛陽董糟丘   憶ふ昔 洛陽の董糟丘の
  為余天津橋南造酒樓 余が為に天津橋の南に酒樓を造りしことを
  黄金白璧買歌笑   黄金 白璧 歌笑を買ひ
  一醉累月輕王侯   一醉月を累ねて王侯を輕んず
  海内賢豪青雲客   海内の賢豪 青雲の客  
  就中與君心莫逆   就中君と心莫逆たり
  迥山轉海不作難   山を迥り海に轉じて難しと作(な)さず
  傾情倒意無所惜   情を傾け意を倒(さかじま)にして惜しむ所無し

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2009年1月21日

春夜洛城聞笛:李白

李白の五言絶句「春夜洛城に笛を聞く」(壺齋散人注)

  誰家玉笛暗飛聲  誰が家の玉笛ぞ 暗に聲を飛ばす
  散入春風滿洛城  散じて春風に入りて洛城に滿つ
  此夜曲中聞折柳  此の夜 曲中に折柳を聞く
  何人不起故園情  何人か起こさざらん故園の情

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2009年1月22日

客中作:李白

李白の五言絶句「客中の作」(壺齋散人注) 

  蘭陵美酒鬱金香  蘭陵の美酒 鬱金香
  玉碗盛來琥珀光  玉碗に盛り來る 琥珀の光
  但使主人能醉客  但だ主人をして能く客を醉はしむれば
  不知何處是他鄕  知らず 何れの處か是れ他鄕

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2009年1月27日

嘲魯儒:李白

李白の五言古詩「魯儒を嘲る」(壺齋散人注)

  魯叟談五經  魯叟 五經を談じ
  白髮死章句  白髮 章句に死す
  問以經濟策  問ふに經濟の策を以てすれば
  茫如墜煙霧  茫として煙霧に墜つるが如し
  足著遠遊履  足には遠遊の履を著き
  首戴方山巾  首には方山の巾を戴く
  緩歩從直道  緩歩して直道に從ひ
  未行先起塵  未だ行かざるに先づ塵を起こす
  秦家丞相府  秦家の丞相府
  不重褒衣人  褒衣の人を重んぜず
  君非叔孫通  君は叔孫通に非ず
  與我本殊倫  我と本(もと)倫を殊にす
  時事且未達  時事すら且つ未だ達せず
  歸耕汶水濱  歸耕せよ汶水の濱に

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2009年1月28日

贈孟浩然:李白

李白の五言律詩「孟浩然に贈る」(壺齋散人注)

  吾愛孟夫子  吾は愛す孟夫子
  風流天下聞  風流 天下に聞こゆ
  紅顏棄軒冕  紅顏 軒冕を棄て
  白首臥松雲  白首 松雲に臥す
  醉月頻中聖  月に醉ふて頻りに聖に中(あた)り
  迷花不事君  花に迷ひて君に事(つか)へず
  高山安可仰  高山 安んぞ仰ぐ可けんや
  徒此揖清芬  徒(た)だ此に清芬を揖す

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2009年2月 5日

黄鶴樓送孟浩然之廣陵:李白

李白の五言絶句「黄鶴樓に孟浩然の廣陵に之くを送る」(壺齋散人注)

  故人西辭黄鶴樓  故人西のかた黄鶴樓を辭し
  煙花三月下揚州  煙花三月 揚州に下る
  孤帆遠影碧空盡  孤帆の遠影 碧空に盡き
  惟見長江天際流  惟だ見る 長江の天際に流るるを

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襄陽歌:李白

李白の雑言古詩「襄陽の歌」(壺齋散人注)

  落日欲沒峴山西   落日沒せんと欲す峴山の西
  倒著接離花下迷   倒(さかし)まに接離を著けて花下に迷ふ 
  襄陽小兒齊拍手   襄陽の小兒齊しく手を拍ち
  攔街爭唱白銅鞮   街を攔(さへぎ)って爭ひ唱ふ白銅鞮
  傍人借問笑何事   傍人借問す 何事をか笑ふと
  笑殺山翁醉似泥   笑殺す 山翁醉ひて泥に似たるを

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2009年2月11日

南陵別兒童入京:李白

李白の七言古詩「南陵にて兒童に別れ京に入る」(壺齋散人注)

  白酒新熟山中歸  白酒新たに熟して山中に歸る
  黄雞啄黍秋正肥  黄雞黍を啄みて秋正に肥ゆ
  呼童烹雞酌白酒  童を呼び雞を烹(に)て白酒を酌み
  兒女嬉笑牽人衣  兒女嬉笑して人の衣を牽く
  高歌取醉欲自慰  高歌醉を取り自ら慰めんと欲し
  起舞落日爭光輝  起ちて舞へば落日光輝を爭ふ
  游説萬乘苦不早  萬乘に游説すること早からざりしに苦しみ
  著鞭跨馬渉遠道  鞭を著け馬に跨って遠道を渉る
  會稽愚婦輕買臣  會稽の愚婦買臣を輕んず
  余亦辭家西入秦  余も亦家を辭して西のかた秦に入る
  仰天大笑出門去  天を仰ぎ大笑して門を出でて去る
  我輩豈是蓬蒿人  我輩豈に是れ蓬蒿の人ならんや

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2009年2月15日

贈内:李白

李白の五言絶句「内(つま)に贈る」(壺齋散人注)

  三百六十日  三百六十日
  日日醉如泥  日日に醉ひて泥の如し
  雖爲李白婦  李白の婦爲ると雖も
  何異太常妻  何ぞ太常の妻に異らん

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2009年2月17日

長安の李白

李白が長安に召されたのは742年(天宝元年)の半ば頃だった。道士仲間の呉筠が先に朝廷に仕えており、彼の李白についての言葉が、何らかのルートで玄宗の耳にも聞こえ、召されることになったのだろうと推測されている。玄宗の妹の玉真公主が熱心な道教徒であったことから、恐らくこの女性の介在によって李白の朝廷入りが実現したのではないか。

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2009年2月19日

宮中行樂詞八首其二:李白

李白の五言律詩「宮中行樂詞八首其二」(壺齋散人注)

  柳色黄金嫩  柳色 黄金にして嫩(やはら)かに
  梨花白雪香  梨花 白雪にして香し
  玉樓巣翡翠  玉樓 翡翠巣くひ
  金殿鎖鴛鴦  金殿 鴛鴦を鎖す
  選妓隨雕輦  妓を選びて雕輦に隨はしめ
  徴歌出洞房  歌を徴(め)して洞房を出でしむ
  宮中誰第一  宮中誰か第一なる
  飛燕在昭陽  飛燕は昭陽に在り

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清平調詞:李白

李白の七言絶句「清平調詞」(壺齋散人注)

  名花傾國兩相歡  名花傾國 兩つながら相ひ歡ぶ
  長得君王帶笑看  長(つね)に得たり君王の笑みを帶びて看るを
  觧釋春風無限恨  觧釋す 春風無限の恨みを
  沈香亭北倚闌干  沈香亭北 闌干に倚る

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2009年2月27日

子夜呉歌:李白

李白の七言古詩「子夜呉歌」(壺齋散人)

  長安一片月  長安一片の月
  萬戸擣衣聲  萬戸衣を擣(う)つの聲
  秋風吹不盡  秋風吹いて盡きず
  總是玉關情  總て是れ玉關の情
  何日平胡虜  何れの日にか胡虜を平らげて
  良人罷遠征  良人遠征を罷めん

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烏夜啼:李白

李白の七言古詩「烏夜啼」(壺齋散人注)

  黄雲城邊烏欲棲  黄雲 城邊 烏棲まんと欲し
  歸飛啞啞枝上啼  歸り飛び啞啞として枝上に啼く
  機中織錦秦川女  機中錦を織る秦川の女
  碧紗如煙隔窗語  碧紗煙の如く 窗を隔てて語る
  停梭悵然憶遠人  梭を停め 悵然として遠人を憶ふ
  獨宿孤房涙如雨  獨り孤房に宿して涙雨の涙し

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2009年3月 5日

杜陵絶句:李白

李白の五言絶句「杜陵絶句」(壺齋散人注)

  南登杜陵上  南のかた杜陵の上に登り
  北望五陵間  北のかた五陵の間を望む
  秋水明落日  秋水 落日明らかに
  流光滅遠山  流光 遠山滅す

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少年行:李白

李白の七言絶句「少年行」(壺齋散人注)

  五陵年少金市東  五陵の年少 金市の東
  銀鞍白馬度春風  銀鞍 白馬 春風を度る
  落花踏盡遊何處  落花踏み盡くして何れの處にか遊ぶ
  笑入胡姫酒肆中  笑って入る胡姫の酒肆の中

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2009年3月11日

灞陵行送別:李白

李白の雑言古詩「灞陵行送別」(壺齋散人注)

  送君灞陵亭       君を送る灞陵亭
  灞水流浩浩       灞水流るること浩浩たり
  上有無花之古樹    上には無花之古樹有り
  下有傷心之春草    下には傷心之春草有り
  我向秦人問路岐    我秦人に向って路岐を問へば
  云是王粲南登之古道 云ふ是れ王粲南登之古道なりと
  古道連綿走西京    古道連綿として西京に走り
  紫闕落日浮雲生    紫闕 落日 浮雲生ず
  正當今夕斷腸處    正に當たる 今夕斷腸の處
  鸝歌愁絶不忍聽    鸝歌愁絶して聽くに忍びず

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月下独酌:李白

李白の五言古詩「月下独酌」四首其一(壺齋散人注)

  花間一壺酒  花間 一壺の酒
  独酌無相親  独り酌みて相ひ親しむ無し
  挙杯邀明月  杯を挙げて明月を邀へ
  対影成三人  影に対して三人と成る
  月既不解飲  月既に飲むを解せず
  影徒随我身  影徒らに我が身に随ふ
  暫伴月将影  暫らく月と影とを伴って
  行樂須及春  行樂須らく春に及ぶべし
  我歌月徘徊  我歌へば月徘徊し
  我舞影零乱  我舞へば影零乱す
  醒時同交歓  醒むる時同(とも)に交歓し
  醉后各分散  醉ひて后は各おの分散す
  永結無情遊  永く無情の遊を結び
  相期邈雲漢  相ひ期せん 邈(はる)かなる雲漢に

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2009年3月19日

待酒不至:李白

李白の五言律詩「酒を待てど至らず」(壺齋散人注)

  玉壺繫青絲  玉壺 青絲に繫ぎ
  沽酒來何遲  酒を沽(か)って來ること何ぞ遲き
  山花向我笑  山花 我に向って笑ふ
  正好銜杯時  正に杯を銜むに好き時
  晩酌東窗下  晩酌す 東窗の下
  流鶯復在茲  流鶯復た茲に在り
  春風與醉客  春風と醉客と
  今日乃相宜  今日乃ち相ひ宜し

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前有一樽酒行二首其二:李白

李白の雑言古詩「前に一樽の酒有るの行(うた)」(壺齋散人注)

  琴奏龍門之綠桐  琴は奏す 龍門の綠桐
  玉壺美酒清若空  玉壺の美酒 清きこと空の若し
  催弦拂柱與君飲  弦を催し柱を拂って君と飲む
  看朱成碧顏始紅  朱を看て碧と成し顏始めて紅なり
  胡姫貌如花     胡姫は貌(かんばせ)花の如く
  當壚笑春風     壚に當たりて春風に笑ふ
  笑春風 舞羅衣   春風に笑ひ 羅衣を舞はしむ
  君今不醉欲安歸  君今醉はずして安(いづく)にか歸らんと欲する

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2009年3月26日

春日醉起言志:李白

李白の五言古詩「春日醉起して志を言ふ」(壺齋散人注)

  處世若大夢  世に處るは大夢の若し
  胡爲勞其生  胡爲(なんすれ)ぞ其の生を勞する
  所以終日醉  所以(ゆえ)に終日醉ひ
  頽然臥前楹  頽然として前楹に臥す
  覺來盼庭前  覺め來って庭前を盼(み)れば
  一鳥花間鳴  一鳥 花間に鳴く
  借問此何時  借問す 此れ何の時ぞ
  春風語流鶯  春風に 流鶯は語る
  感之欲歎息  之に感じて歎息せんと欲し
  對酒還自傾  酒に對すれば還た自から傾く
  浩歌待明月  浩歌して明月を待ち
  曲盡已忘情  曲盡きて已に情を忘る

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2009年3月27日

將進酒:李白

李白の雑言古詩「將に酒を進めんとす」(壺齋散人注)

  君不見黄河之水天上來  君見ずや 黄河の水天上より來り
  奔流到海不復回      奔流して海に到り復た回(かへ)らざるを
  君不見高堂明鏡悲白髮  君見ずや 高堂の明鏡白髮を悲しみ
  朝如青絲暮成雪      朝には青絲の如くも暮には雪と成るを
  人生得意須盡歡      人生 意を得なば 須らく歡を盡くすべし
  莫使金樽空對月      金樽をして空しく月に對せしむる莫かれ
  天生我材必有用      天の我が材を生ずるや必ず用有り
  千金散盡還復來      千金は散じ盡くすも還た復た來らん
  烹羊宰牛且爲樂      羊を烹(に)牛を宰して且らく樂しみを爲さん
  會須一飲三百杯      會らず須らく一飲三百杯なるべし

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2009年4月 1日

下終南山過斛斯山人宿置酒:李白

李白の五言古詩「終南山を下り斛斯山人の宿を過りて置酒す」(壺齋散人注)

  暮從碧山下  暮に碧山より下れば
  山月隨人歸  山月人に隨って歸る
  卻顧所來徑  來る所の徑を卻顧すれば
  蒼蒼橫翠微  蒼蒼として翠微に橫はる
  相攜及田家  相ひ攜へて田家に及べば
  童稚開荊扉  童稚 荊扉を開く
  綠竹入幽徑  綠竹 幽徑に入り
  青蘿拂行衣  青蘿 行衣を拂ふ
  歡言得所憩  歡言 憩ふ所を得て
  美酒聊共揮  美酒 聊か共に揮ふ
  長歌吟松風  長歌 松風に吟じ
  曲盡河星稀  曲盡きて河星稀なり
  我醉君復樂  我醉へり君も復た樂しめ
  陶然共忘機  陶然として共に機を忘れん

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對酒憶賀監:李白

李白の五言律詩「酒に對して賀監を憶ふ」(壺齋散人注)

  四明有狂客  四明に狂客有り
  風流賀季真  風流なる賀季真
  長安一相見  長安に一たび相ひ見しとき
  呼我謫仙人  我を謫仙人と呼ぶ
  昔好杯中物  昔は杯中の物を好みしが
  今爲松下塵  今は松下の塵と爲れり
  金龜換酒處  金龜 酒に換へし處
  卻憶涙沾巾  卻って憶へば涙巾を沾す

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2009年4月 7日

李白後半生の流浪の旅:偉大な創造の時期

744年(天宝三年)長安を追われた李白は黄河を下って魯(山東)へと向かった。その途中洛陽で杜甫と出会い、汴州で高適と出会う。意気投合した三人は共に河南に遊んだ。そして翌年の春、李白は魯の石門で杜甫と別れ、東魯の沙丘というところで結婚して家を持った。これは李白の三度目の結婚であり、妻との間に二人の子を設けている。後に「東魯の二稚子に寄す」という詩の中で歌っている子どもたちは、この結婚で生まれた子であると考えられる。

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梁園吟::李白

李白の雑言古詩「梁園吟」(壺齋散人注)

  我浮黄河去京闕  我黄河に浮かんで京闕を去り
  挂席欲進波連山  席(むしろ)を挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ
  天長水闊厭遠渉  天は長く水は闊くして遠渉に厭き
  訪古始及平臺間  古を訪うて始めて及ぶ平臺の間
  平臺爲客憂思多  平臺に客と爲りて憂思多く
  對酒遂作梁園歌  酒に對して遂に作る梁園の歌
  却憶蓬池阮公詠  却って憶ふ蓬池の阮公の詠
  因吟淥水揚洪波  因って吟ず淥水洪波を揚ぐるを
  洪波浩蕩迷舊國  洪波 浩蕩 舊國に迷ひ
  路遠西歸安可得  路遠くして西歸安んぞ得る可けんや
  人生達命豈暇愁  人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん
  且飲美酒登高樓  且らく美酒を飲まん高樓に登りて

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魯郡東石門送杜二甫:李白

李白の五言律詩「魯郡の東石門にて杜二甫を送る」(壺齋散人注)

  醉別復幾日  醉別 復た幾日ぞ
  登臨徧池臺  登臨 池臺に徧(あまね)し
  何言石門路  何ぞ言はん石門の路
  重有金樽開  重ねて金樽の開く有ると
  秋波落泗水  秋波 泗水に落ち
  海色明徂徠  海色 徂徠に明らかなり
  飛蓬各自遠  飛蓬 各自遠し
  且盡手中杯  且く手中の杯を盡くさん

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2009年4月15日

登金陵鳳凰臺:李白

李白の七言律詩「金陵の鳳凰臺に登る」(壺齋散人注)

  鳳凰臺上鳳凰遊  鳳凰臺上 鳳凰遊ぶ
  鳳去臺空江自流  鳳去り臺空しくして江自づから流る
  呉宮花草埋幽徑  呉宮の花草は幽徑に埋もれ
  晉代衣冠成古丘  晉代の衣冠は古丘と成る
  三山半落青天外  三山半ば落つ青天の外
  二水中分白鷺洲  二水中分す白鷺洲
  總爲浮雲能蔽日  總て浮雲の能く日を蔽ふが爲に
  長安不見使人愁  長安見えず 人をして愁へしむ

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蘇臺覽古:李白

李白の七言絶句「蘇臺にて古を覽る」(壺齋散人注)

  舊苑荒臺楊柳新  舊苑 荒臺 楊柳新たなり
  菱歌清唱不勝春  菱歌 清唱 春に勝(た)へず
  只今惟有西江月  只今 惟だ有り 西江の月
  曾照呉王宮裏人  曾て照らす呉王宮裏の人

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2009年4月22日

烏棲曲:李白

李白の七言古詩「烏棲曲」(壺齋散人注)

  姑蘇臺上烏棲時  姑蘇臺上 烏棲む時
  呉王宮裏醉西施  呉王の宮裏 西施醉ふ
  呉歌楚舞歡未畢  呉歌 楚舞 歡び未だ畢らず
  青山欲銜半邊日  青山銜(ふく)まんと欲す半邊の日
  銀箭金壺漏水多  銀箭 金壺 漏水多し
  起看秋月墜江波  起って看る秋月の江波に墜つるを
  東方漸高奈樂何  東方漸く高し 樂しみを奈何せん

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越中覽古:李白

李白の七言絶句「越中覽古」(壺齋散人注)

  越王句踐破呉歸  越王句踐呉を破って歸る
  義士還郷盡錦衣  義士郷に還って盡く錦衣す
  宮女如花滿春殿  宮女花の如く春殿に滿つ
  只今惟有鷓鴣飛  只今惟だ鷓鴣の飛ぶ有り

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2009年4月29日

寄東魯二稚子:李白

李白の五言古詩「東魯の二稚子に寄す」(壺齋散人注)

  呉地桑葉綠  呉地 桑葉綠に
  呉蠶已三眠  呉蠶 已に三眠す
  我家寄東魯  我が家東魯に寄す
  誰種龜陰田  誰が龜陰の田を種ゑん
  春事已不及  春事 已に及ばず
  江行復茫然  江行 復た茫然たり
  南風吹歸心  南風 歸心を吹き
  飛墮酒樓前  飛んで酒樓の前に墮つ
  樓東一株桃  樓東 一株の桃
  枝葉拂青煙  枝葉 青煙を拂ふ
  此樹我所種  此の樹我が種ゑし所
  別來向三年  別れて來(こ)のかた三年に向(なんなん)とす
  桃今與樓齊  桃は今 樓と齊しきも
  我行尚未旋  我が行尚未だ旋らず

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