中国古代の詩:古詩源から
「古詩源」は清代の学者沈徳潜の著した中国古代の詩歌拾遺集である。帝王の時代から隋の時代に至る古詩976篇を集めている。古詩を集めたものとしては、すでに古くから「文選」や「玉台新詠」などがあり、そのほかにも楽府歌辞を集めたものなどがあったが、沈徳潜は自分なりの考えに基づいてコンパクトな詩集を作ったのである。
「古詩源」は清代の学者沈徳潜の著した中国古代の詩歌拾遺集である。帝王の時代から隋の時代に至る古詩976篇を集めている。古詩を集めたものとしては、すでに古くから「文選」や「玉台新詠」などがあり、そのほかにも楽府歌辞を集めたものなどがあったが、沈徳潜は自分なりの考えに基づいてコンパクトな詩集を作ったのである。
史記列伝は冒頭に伯夷伝を置いている。周の武王が武力を以て殷を討とうとしたのを、伯夷・叔斉は非暴力の立場から諌めた。しかしその声が聞き入れられなかったので、後に周の時代が到来すると、伯夷・叔斉はその世にあることを潔しとせず、首陽山に隠れ蕨を摘んで命をつないだ。
中国4000年の歴史は数々の英雄たちの群像で彩られている。秦末に登場した項羽と劉邦は、そうした群像たちの中でもひときわ大きな光芒を放つ存在である。
漢の武帝は漢王朝五代目の君主として、漢を全盛時代に導いた。16歳で即位し、その在位期間は55年の長きに及んだ。北では匈奴が力を増し、外交上の緊張もあったが、この時代の漢はあらゆる意味で繁栄を誇ったといえる。
東方朔は能の曲目にも取り上げられているから、日本人には古くから馴染みの深い人物である。能においては仙人ということになっているが、実在の東方朔は漢の武帝に仕えた侍従であった。
漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。
蘇武は李陵とともに、漢武帝の時代に生きた武人である。天漢元年(紀元前100)、匈奴との和睦のために遣わされたが、匈奴の内紛に巻き込まれて抑留された。匈奴の単于に勇気を買われて帰順することを進められても節をまげず、生涯漢に忠節を尽くした。その姿勢が、愛国者としての蘇武のイメージを、長らく中国人の中に定着せしめてきたのである。
李陵は蘇武に遅れること1年後、匈奴との戦いに向かった。李陵を遣わした武帝は始め、李広利の輜重部隊として使うことを考えていたが、これに対し李陵自ら前線での戦闘を希望し、歩兵5000を授けられて北へと向かったのであった。
武帝の時代の漢は、絶えず匈奴と緊張状態にあった。漢は周辺諸国と積極的に同盟関係を結び、匈奴を牽制する策を用いた。そうした小国の一つに烏孫国があった。現在の新疆省にあたる地である。漢は同盟の証しに、王家につながる女性たちを嫁がせたが、その中に、後に烏孫公主と称される薄幸の女性がいた。
卓文君は司馬相如との熱烈な恋愛で知られ、中国史上もっとも愛に忠実な女性だったということになっている。
王昭君は烏孫公主同様、漢の政略結婚によって匈奴の王に嫁がされた薄幸の女性である。運命の過酷さから、中国人の間ではもとより、日本人にとっても同情の対象となってきた。古来能をはじめさまざまな分野でとりあげられてきたことからも、その同情の深さが察せられる。
班倢妤は日本人にとっては、能「班女」の典拠となった女性の名として知られてきた。能においては、絶えず扇をつま繰る主人公の姿が、班倢妤を思い起こさせるというので、班女というあだ名を頂戴することになっている。本物の班女のほうも、自らを扇に見立てた怨みの詩を残しているのである。
楽府は、古体詩、近体詩と並んで中国の韻文の三大様式の一をなすものである。曲をつけて歌うものであることから、樂曲ともいうべきものであり、その詩文を歌辞といった。題名には、歌、行、引、曲、吟などの文字を冠したものが多い。
「有所思」は、男に裏切られた女心の悲しさを歌ったものである。贈り物のために鼈甲の簪(男子が髷を結うのに使うもの)を用意したが、男の心変わりを知ってそれを砕いて焼き捨ててはみたが、なおも男を慕う気持ちが抑えられない、そんな女心の悲しさがよく出ている歌である。
上邪もまた鐃歌の一つ。上邪とは天への呼びかけとも、あるいは愛するものへの呼びかけともうけ取れる。天への呼びかけとするなら、天に誓って自らの愛の強さを述べたとも受け取れる。
中国語に「腸中車輪転ず」という言葉がある。腹の中で車輪が転ずるというのであるから、腹がひっくり返る、あるいはぎりぎりと揉まれる、そのような感じを表した言葉である。苦しくて、やりきれない、そんな煩悶がひしひしと伝わってくる。筆者などは、人間の苦悩を表現した言葉として、これ以上に迫力あるものを知らない。
曹操は三国志の英雄たちのなかでも、人気という点では分がない。蜀の劉備が関羽や張飛などの英雄たちとともに生き生きと描かれているのに対して、曹操には陰険なイメージが付きまとっている。戦いには滅法強かった曹操が、赤壁の戦いで呉の孫権の火責めにあって敗れたのを捕らえて、歴史上これを喝采しなかった者はいなかったほどだ。
曹丕は曹操の庶子であったが、幼い頃から才能を示し、正室が死んでその母が曹操の正室につくと、俄然曹操の後継者となった。曹操自身は生前魏王を称し、漢の帝位を奪うことはしなかったのであるが、曹丕は父の死後漢の献帝に禅譲をせまり、自ら皇帝となる。
曹植は曹操の庶子で曹丕の実弟である。少年時代から父に従って戦闘に従事し、また詩歌にも非凡な才能を示した。このため、曹操の後継者として目されたこともあったが、曹操が死に曹丕が後継者としての地位を確立すると、曹丕によって迫害された。
阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。
古詩十九首は、南朝梁の昭明太子によって編纂された「文選」に始めて収録された。それ以来古詩の範とされ、また五言の冠ともされて、後代に大きな影響を及ぼした。文選よりやや遅れてなった「玉台新詠集」にも、同じ内容のものが、順序を異にして収められているほか、歴史上折につれて編纂された詩歌集に必ずといっていいほど収められてきた。
古詩十九首から其一「行行重行行」を読む。
古詩十九首から其二「青青たる河畔の草」を読む。
古詩十九首から其三「青青たる陵上の柏」を読む。
古詩十九首其四:今日良宴會
今日良宴會 今日の良宴會
歡樂難具陳 歡樂 具さには陳べ難し
彈箏奮逸響 箏を彈じて逸響を奮ひ
新聲妙入神 新聲の妙 神に入る
令德唱高言 令德 高言を唱へば
識曲聽其真 曲を識りて其の真を聽く
齊心同所願 心を齊しうし願ふ所を同じうするも
含意俱未申 意を含んで俱に未だ申さず
人生寄一世 人生の一世に寄すること
奄忽若飆塵 奄忽として飆塵の若し
何不策高足 何ぞ高足に策うち
先據要路津 先づ要路の津に據らずして
無為守貧賤 無為に貧賤を守り
坎坷長苦辛 坎坷 長しへに苦辛する
古詩十九首其五:西北有高樓
西北有高樓 西北に高樓有り
上與浮雲齊 上は浮雲と齊し
交疏結綺窗 交疏せる結綺の窗
阿閣三重階 阿閣三重の階
上有弦歌聲 上に弦歌の聲有り
音響一何悲 音響 一に何ぞ悲しき
誰能為此曲 誰か能く此の曲を為す
無乃杞梁妻 乃ち杞梁の妻なる無からんか
清商隨風發 清商 風に隨って發し
中曲正徘徊 中曲にして正に徘徊す
一彈再三歎 一たび彈じて再三歎じ
慷慨有餘哀 慷慨 餘哀有り
不惜歌者苦 歌者の苦を惜しまず
但傷知音稀 但 知音の稀なるを傷む
願為雙鴻鵠 願はくは雙鴻鵠と為りて
奮翅起高飛 翅を奮ひ起って高く飛ばんことを
古詩十九首其六「涉江采芙蓉」
涉江采芙蓉 江を涉りて芙蓉を采る
蘭澤多芳草 蘭澤 芳草多し
采之欲遺誰 之を采りて誰にか遺らんと欲する
所思在遠道 思ふ所は遠道に在り
還顧望舊鄉 還顧して舊鄉を望めば
長路漫浩浩 長路 漫として浩浩たらん
同心而離居 同心にして離居せば
憂傷以終老 憂傷 以て終に老いなん
古詩十九首其七「明月皎として夜光る」
明月皎夜光 明月 皎として夜光り
促織鳴東壁 促織 東壁に鳴く
玉衡指孟冬 玉衡 孟冬を指し
眾星何歷歷 眾星 何ぞ歷歷たる
白露沾野草 白露 野草を沾し
時節忽複易 時節 忽ち複た易はる
秋蟬鳴樹間 秋蟬 樹間に鳴き
玄鳥逝安適 玄鳥逝りて安くにか適く
昔我同門友 昔 我が同門の友
高舉振六翮 高舉して六翮を振るふ
不念攜手好 手を攜へし好しみを念はず
棄我如遺跡 我を棄つること遺跡の如し
南箕北有鬥 南には箕 北には斗あり
牽牛不負軛 牽牛 軛を負はず
良無磐石固 良に磐石の固きこと無くんば
虛名複何益 虛名 複た何の益かあらん
古詩十九首其八「冉冉たる孤生の竹」
冉冉孤生竹 冉冉たる孤生の竹
結根泰山阿 根を泰山の阿に結ぶ
與君為新婚 君と新婚を為すは
菟絲附女蘿 菟絲の女蘿に附くなり
菟絲生有時 菟絲 生ずるに時あり
夫婦會有宜 夫婦 會するに宜あり
千里遠結婚 千里 遠く婚を結び
悠悠隔山陂 悠悠 山陂を隔つ
思君令人老 君を思へば人をして老いしむ
軒車來何遲 軒車 來ること何ぞ遲き
傷彼蕙蘭花 傷む 彼の蕙蘭の花
含英揚光輝 英を含みて光輝を揚げ
過時而不采 時を過ぎて采らずんば
將隨秋草萎 將に秋草の萎むに隨はんとするを
君亮執高節 君 亮に高節を執らば
賤妾亦何為 賤妾 亦何をか為さん
古詩十九首其九「庭中に奇樹有り」
庭中有奇樹 庭中に奇樹有り
綠葉發華滋 綠葉 華滋を發く
攀條折其榮 條を攀じて其の榮を折り
將以遺所思 將に以て思ふ所に遺らんとす
馨香盈懷袖 馨香 懷袖に盈つれども
路遠莫致之 路遠くして之を致すなし
此物何足貴 此の物何ぞ貴ぶに足らんや
但感別經時 但 別れて時を經たるに感ずるのみ
古詩十九首から其十「迢迢たる牽牛星」を読む。
迢迢牽牛星 迢迢たる牽牛星
皎皎河漢女 皎皎たる河漢の女
纖纖擢素手 纖纖として素手を擢(あ)げ
劄劄弄機杼 劄劄として機杼を弄す
終日不成章 終日 章を成さず
泣涕零如雨 泣涕 零ちて雨の如し
河漢清且淺 河漢 清く且つ淺し
相去複幾許 相去ること複た幾許ぞ
盈盈一水間 盈盈たる一水の間
脈脈不得語 脈脈として語るを得ず
古詩十九首から其十一「盛衰各々時あり」を読む。
回車駕言邁 車を回らせて駕して言に邁き
悠悠涉長道 悠悠として長道を涉る
四顧何茫茫 四顧すれば何ぞ茫茫たる
東風搖百草 東風 百草を搖がす
所遇無故物 遇ふ所 故物無し
焉得不速老 焉んぞ速やかに老いざるを得んや
盛衰各有時 盛衰 各々時あり
立身苦不早 立身 早からざるを苦しむ
人生非金石 人生は金石にあらず
豈能長壽考 豈に能く長く壽考ならんや
奄忽隨物化 奄忽として物に隨って化す
榮名以為寶 榮名 以て寶と為さん
古詩十九首から其十二「東城高く且つ長し」を読む。
東城高且長 東城 高く且つ長く
逶迤自相屬 逶迤として自づから相屬す
回風動地起 回風 地を動かして起り
秋草萋已綠 秋草 萋として已に綠なり
四時更變化 四時 更ごも變化し
歲暮一何速 歲暮 一に何ぞ速き
晨風懷苦心 晨風 苦心を懷き
蟋蟀傷局促 蟋蟀 局促を傷む
蕩滌放情志 蕩滌して情志を放にせん
何為自結束 何為れぞ自から結束する
燕趙多佳人 燕趙 佳人多く
美者顏如玉 美なる者 顏 玉の如し
被服羅裳衣 羅の裳衣を被服し
當戶理清曲 戶に當りて清曲を理む
音響一何悲 音響 一に何ぞ悲しき
弦急知柱促 弦 急にして柱の促れるを知る
馳情整巾帶 情を馳せて巾帶を整へ
沉吟聊躑躅 沉吟して聊く躑躅す
思為雙飛燕 思ふ 雙飛燕と為りて
銜泥巢君屋 泥を銜んで君が屋に巢くはんことを
古詩十九首から其十三「人生忽として寄するが如し」を読む。
驅車上東門 車を上東門に驅り
遙望郭北墓 遙かに郭北の墓を望む
白楊何蕭蕭 白楊 何ぞ蕭蕭たる
松柏夾廣路 松柏 廣路を夾む
下有陳死人 下に陳死の人有り
杳杳即長暮 杳杳として長暮に即く
潛寐黃泉下 黃泉の下に潛み寐ねて
千載永不寤 千載 永く寤めず
浩浩陰陽移 浩浩として陰陽移り
年命如朝露 年命 朝露の如し
人生忽如寄 人生 忽として寄するが如く
壽無金石固 壽には金石の固き無し
萬歲更相送 萬歲 更も相送り
賢聖莫能度 賢聖 能く度ゆる莫し
服食求神仙 服食して神仙を求むれば
多為藥所誤 多くは藥の誤る所と為る
不如飲美酒 如かず 美酒を飲みて
被服紈與素 紈と素とを被服せんには
古詩十九首から其十四「去る者は日に以て疏し」を読む。
去者日以疏 去る者は日びに以て疏く
来者日已親 来る者は日びに已に親しむ
出郭門直視 郭門を出でて直視すれば
但見丘與墳 但 丘と墳とを見るのみ
古墓犁為田 古墓は犁かれて田と為り
松柏摧為薪 松柏は摧かれて薪と為る
白楊多悲風 白楊 悲風多く
蕭蕭愁殺人 蕭蕭として人を愁殺す
思還故里閭 故の里閭に還らんことを思ひ
欲歸道無因 歸らんと欲するも道に因る無し
古詩十九首から其十五「生年百に満たず」を読む。
生年不滿百 生年 百に滿たざるに
常懷千歲憂 常に千歲の憂ひを懷く
晝短苦夜長 晝は短くして夜の長きに苦しむ
何不秉燭遊 何ぞ燭を秉りて遊ばざる
為樂當及時 樂しみを為すは當に時に及ぶべし
何能待來茲 何ぞ能く來茲を待たん
愚者愛惜費 愚者は費を愛惜し
但為後世嗤 但 後世の嗤ひと為る
仙人王子喬 仙人王子喬は
難可與等期 與に期を等しうすべきこと難し
古詩十九首から其十六「凜凜として歲雲に暮る」を読む。
凜凜歲雲暮 凜凜として歲雲に暮れ
螻蛄夕鳴悲 螻蛄 夕べに鳴き悲しむ
涼風率已厲 涼風 率かに已に厲しく
遊子寒無衣 遊子 寒くして衣無し
錦衾遺洛浦 錦衾 洛浦に遺りしも
同袍與我違 同袍 我と違へり
獨宿累長夜 獨り宿して長夜を累ね
夢想見容輝 夢に想ふて容輝を見る
良人惟古歡 良人 古歡を惟ひ
枉駕惠前綏 駕を枉げて前綏を惠まる
願得常巧笑 願はくは常に巧笑し
攜手同車歸 手を攜へ車を同じうして歸ることを得んと
既來不須臾 既に來りて須臾ならず
又不處重闈 又重闈に處らず
亮無晨風翼 亮に晨風の翼無し
焉能淩風飛 焉んぞ能く風を淩いで飛ばん
眄睞以適意 眄睞 以て意に適ひ
引領遙相希 領を引いて遙かに相希ふ
徙倚懷感傷 徙倚して感傷を懷き
垂涕沾雙扉 涕を垂れて雙扉を沾す
古詩十九首から其十七「孟冬寒氣至る」を読む。
孟冬寒氣至 孟冬 寒氣至り
北風何慘栗 北風 何ぞ慘栗たる
愁多知夜長 愁ひ多くして夜の長きを知り
仰觀眾星列 仰いで眾星の列なるを觀る
三五明月滿 三五 明月滿ち
四五蟾兔缺 四五 蟾兔缺く
客從遠方來 客 遠方より來り
遺我一書劄 我に一書劄を遺る
上言長相思 上には長く相思ふと言ひ
下言久離別 下には久しく離別すと言ふ
置書懷袖中 書を懷袖の中に置き
三歲字不滅 三歲なるも字滅せず
一心抱區區 一心に區區を抱き
懼君不識察 君の識察せざらんことを懼る
古詩十九首から其十八「客遠方より來る」を読む。
客從遠方來 客 遠方より來り
遺我一端綺 我に一端の綺を遺る
相去萬餘裏 相去ること萬餘裏なるも
故人心尚爾 故人の心尚ほ爾り
文采雙鴛鴦 文采は雙鴛鴦
裁為合歡被 裁ちて合歡の被と為す
著以長相思 著するに長相思を以てし
緣以結不解 緣とるに結不解を以てす
以膠投漆中 膠を以て漆中に投ずれば
誰能別離此 誰か能く此を別離せん
古詩十九首から其十九「明月何ぞ皎皎たる」を読む。
明月何皎皎 明月 何ぞ皎皎たる
照我羅床幃 我が羅の床幃を照らす
憂愁不能寐 憂愁 寐ぬる能はず
攬衣起徘徊 衣を攬りて起ちて徘徊す
客行雖雲樂 客行 樂しと雲ふと雖も
不如早旋歸 早く旋歸するに如かじ
出戶獨彷徨 戶を出でて獨り彷徨し
愁思當告誰 愁思 當に誰にか告ぐべき
引領還入房 領を引いて還って房に入れば
淚下沾裳衣 淚下りて裳衣を沾す
詩経は中国最古の詩篇を集めたものである。成立過程については諸説あって明らかでない。司馬遷は、孔子が当時伝えられていた三千もの詩篇の中から三百篇を選んで一本に編纂したのだといっている。確固たる根拠はないらしいが、孔子がこれを易や春秋と並んで重視したことは確かで、論語為政篇には次のような記述がある。
詩経国風に出てくる十五の国・地方のうち、最初に位置するのは周南である。周南は次に出てくる召南とともに、周の南の地域の歌謡を集めたものだとされる。周の始祖后稷から数代を経た時、周は故地を分かちて、周公と召公とにそれぞれ治めさせた。いづれも今の陝西省の地域に属する。周は後に華北全体を覆う大帝国となるが、そのなかでも陝西省にあった周と召とは、国家の中核をなすところだったのである。
詩経国風:周南篇から「葛覃」を読む。(壺齋散人注)
葛之覃兮 葛の覃(の)びるや
施于中谷 中谷に施(うつ)る
維葉萋萋 維(こ)れ葉 萋萋たり
黃鳥于飛 黃鳥于(ここ)に飛ぶ
集于灌木 灌木に集(つど)ひ
其鳴喈喈 其の鳴くこと喈喈たり
詩経国風:周南篇から「卷耳」を読む。(壺齋散人注)
采采卷耳 卷耳を采り采る
不盈頃筐 頃筐に盈たず
嗟我懷人 嗟(ああ)我 人を懷ひて
寘彼周行 彼の周行に寘(お)く
詩経国風:周南篇から「樛木」を読む。(壺齋散人注)
南有樛木 南に樛木(きゅうぼく)有り
葛藟纍之 葛藟(かつるい)之に纍(かさ)なる
樂只君子 樂しきかな君子
福履綏之 福履之に綏んず
詩経国風:周南篇から「桃夭」を読む。(壺齋散人注)
桃之夭夭 桃の夭夭たる
灼灼其華 灼灼たり其の華
之子于歸 この子ここに歸(とつ)がば
宜其室家 其の室家に宜しからん
詩経国風:周南篇から「芣苡」を読む。(壺齋散人注)
采采芣苡 芣苡を采り采り
薄言采之 薄(いささ)か言(ここ)に之を采る
采采芣苡 芣苡を采り采り
薄言有之 薄か言に之を有(も)つ
詩経国風:周南篇から「漢廣」を読む。(壺齋散人注)
南有喬木 南に喬木有り
不可休息 休息す可からず
漢有游女 漢に游女有り
不可求思 求思す可からず
詩経国風:周南篇から、「汝墳」を読む。(壺齋散人注)
遵彼汝墳 彼の汝墳に遵(したが)ひ
伐其條枚 其の條枚を伐る
未見君子 未だ君子を見ず
惄如調飢 惄(でき)として調飢の如し
召南とは、周南の項で記したとおり、周の領土の南部のうち、召公が分け持った土地を指す。今そこがどのあたりにあたるのかについては、諸説ある。黄河の南であろうとすることから、楚の地に当たるところではないかとする説もあるが、真相はわからない。いづれにしても、周の領土の一部であるから、そこから生まれた歌謡群は、周南に収められたものと共通するところが多い。
詩経国風:召南篇から「草蟲」を読む。(壺齋散人注)
喓喓草蟲 喓喓たる草蟲
趯趯阜螽 趯趯(てきてき)たる阜螽(ふしゅう)
未見君子 未だ君子を見ず
憂心忡忡 憂心 忡忡たり
亦既見止 亦既に見
亦既覯止 亦既に覯(あ)はば
我心則降 我が心則ち降(よろこ)ばん
詩経国風:召南篇から「殷其雷」を読む。(壺齋散人注)
殷其雷 殷たる其の雷
在南山之陽 南山の陽(みなみ)に在り
何斯違斯 何ぞ斯れ斯(ここ)を違(さ)って
莫敢或遑 敢(あ)へて遑(いとま)或ること莫きや
振振君子 振振たる君子
歸哉歸哉 歸らん哉 歸らん哉
詩経国風:召南篇から「摽有梅」を読む。(壺齋散人注)
摽有梅 摽(お)ちて梅有り
其實七兮 其の實七つ
求我庶士 我を求むるの庶士
迨其吉兮 其の吉に迨(およ)ぶべし
詩経国風:召南篇から「小星」を読む。(壺齋散人注)
嘒彼小星 嘒(けい)たる彼の小星
三五在東 三五 東に在り
肅肅宵征 肅肅として宵(よる)征き
夙夜在公 夙夜 公に在り
寔命不同 寔(これ)命同じからざればなり
詩経国風:邶風篇から「柏舟」を読む。(壺齋散人注)
汎彼柏舟 汎たる彼の柏舟
亦汎其流 亦た汎として其れ流る
耿耿不寐 耿耿として寐ねられず
如有隱憂 隱憂あるが如し
微我無酒 我に酒の以て敖(ごう)し
以敖以遊 以て遊する無きに微(あら)ず
詩経国風:邶風篇から「日月」を読む。(壺齋散人注)
日居月諸 日や月や
照臨下土 下土を照臨す
乃如之人兮 乃ちかくの如き人
逝不古處 逝(ここ)に古處せず
胡能有定 胡(なん)ぞ能く定まることあらんや
寧不我顧 寧(なん)ぞ我を顧りみざるや
詩経国風:邶風篇から「北風」を読む。(壺齋散人注)
北風其涼 北風其れ涼たり
雨雪其れ 雨雪其れ雱たり
惠而好我 惠にして我を好(よみ)するものと
攜手同行 手を攜へて同行せん
其虚其邪 其れ虚(ゆる)くせんや 其れ邪(ゆる)めんや
既亟只且 既に亟(すみやか)ならん
詩経国風:邶風篇から「靜女」を読む。(壺齋散人注)
靜女其姝 靜女 其れ姝(かおよ)し
俟我於城隅 我を城隅に俟(ま)つ
愛而不見 愛(かく)れて見えず
搔首踟躕 首を搔きて踟躕す
詩経国風:鄘風篇から「柏舟」を読む。(壺齋散人注)
汎彼柏舟 汎たる彼の柏舟
在彼中河 彼の中河に在り
髧彼兩髦 髧(たん)たる彼の兩髦
實維我儀 實に維れ我が儀
之死矢靡它 死に之(いた)るまで矢(ちか)って它靡(な)し
母也天只 母や天や
不諒人只 人を諒とせず
詩経国風:衛風篇から「氓」を読む。(壺齋散人注)
氓之蚩蚩 氓の蚩蚩(しし)たる
抱布貿絲 布を抱いて絲を貿(か)ふ
匪來貿絲 來って絲を貿ふに匪(あら)ず
來即我謀 來って我に即(つ)いて謀るなり
送子涉淇 子を送りて淇を涉り
至於頓丘 頓丘に至る
匪我愆期 我期を愆(すぐ)すに匪ず
子無良媒 子に良媒無し
將子無怒 將(こ)ふ子怒ること無かれ
秋以為期 秋を以て期と為さん
詩経国風:鄘風篇から相鼠を読む。(壺齋散人注)
相鼠有皮 鼠を相(み)るに皮有り
人而無儀 人にして儀無し
人而無儀 人にして儀無くんば
不死何為 死せずして何をか為さんや
詩経国風:衛風篇から「河廣」を読む。(壺齋散人注)
誰謂河廣 誰か謂ふ河廣しと
一葦杭之 一葦もて之を杭(わた)らん
誰謂宋遠 誰か謂ふ宋遠しと
跂予望之 跂(つまだ)って予(われ)之を望まん
詩経国風:衛風篇から「伯兮」を読む。(壺齋散人注)
伯兮朅兮 伯の朅(けつ)なるや
邦之桀兮 邦の桀なり
伯也執殳 伯や殳(ほこ)を執りて
為王前驅 王の為に前驅す
詩経国風:衛風篇から「有狐」を読む。(壺齋散人注)
有狐綏綏 狐有り綏綏(すいすい)たり
在彼淇梁 彼の淇の梁(はし)に在り
心之憂矣 心之(こ)れ憂ふ
之子無裳 かの子裳(もすそ)無からん
詩経国風:衛風篇から「木瓜」を読む。(壺齋散人注)
投我以木瓜 我に投ずるに木瓜を以てす
報之以瓊琚 之に報ゆるに瓊琚を以てす
匪報也 報ゆるに匪ざる也
永以為好也 永く以て好みを為さんとする也
詩経国風:王風篇から「黍離」を読む。(壺齋散人注)
彼黍離離 彼の黍離離たり
彼稷之苗 彼の稷の苗
行邁靡靡 行き邁くこと靡靡たり
中心搖搖 中心搖搖たり
詩経国風:王風篇から「君子于役」を読む。(壺齋散人注)
君子于役 君子役に于(ゆ)く
不知其期 其の期を知らず
曷至哉 曷(いつ)か至らんや
詩経国風:鄭風篇から「將仲子」を読む。(壺齋散人注)
將仲子兮 將(こ)ふ仲子
無踰我里 我が里を踰ゆる無かれ
無折我樹杞 我が樹ゑし杞を折ること無かれ
豈敢愛之 豈に敢へて之を愛(お)しまんや
詩経国風:鄭風篇から「遵大路」を読む。(壺齋散人注)
遵大路兮 大路に遵(したが)って
摻執子之袪兮 子の袪(たもと)を摻(と)り執る
無我惡兮 我を惡(にく)むこと無かれ
不寁故也 故を寁(すみやかにす)てざれ
詩経国風:鄭風篇から「女曰雞鳴」を読む。(壺齋散人注)
女曰雞鳴 女曰ふ雞鳴くと
士曰昧旦 士曰ふ昧旦なりと
子興視夜 子興きて夜を視よ
明星有爛 明星爛たる有らん
將翱將翔 將(は)た翱(かけ)り將た翔び
弋鳧與鴈 鳧(ふ)と鴈とを弋(よく)せん
詩経国風:鄭風篇から「蘀兮」を読む。(壺齋散人注)
蘀兮蘀兮 蘀(たく)や蘀や
風其吹女 風其れ女(なんじ)を吹かん
叔兮伯兮 叔や伯や
倡予和女 倡(うた)はば予女に和せん
詩経国風:鄭風篇から「狡童」を読む。(壺齋散人注)
彼狡童兮 彼の狡童
不與我言兮 我と言(ものい)はず
維子之故 維(こ)れ子の故に
使我不能餐兮 我をして餐(くら)ふ能はざらしむ
詩経国風:鄭風篇から「褰裳」を読む。(壺齋散人注)
子惠思我 子 惠にして我を思はば
褰裳涉溱 裳を褰(かか)げて溱を涉らん
子不我思 子 我を思はずんば
豈無他人 豈に他人無からんや
狂童之狂也且 狂童の狂や
詩経国風:鄭風篇から「風雨」を読む。(壺齋散人注)
風雨淒淒 風雨淒淒たり
雞鳴喈喈 雞鳴喈喈たり
既見君子 既に君子を見る
云胡不夷 云胡(いかん)ぞ不夷(たひらか)ならざらんや
詩経国風:鄭風篇から「子衿」を読む。(壺齋散人注)
青青子衿 青青たる子が衿
悠悠我心 悠悠たる我が心
縱我不往 縱(たと)へ我往かずとも
子寧不嗣音 子寧(なん)ぞ音を嗣がざらんや
詩経国風:鄭風篇から「出其東門」を読む。(壺齋散人注)
出其東門 其の東門を出づれば
有女如雲 女有り 雲の如し
雖則如雲 則ち雲の如しと雖も
匪我思存 我が思ひの存するところに匪(あら)ず
縞衣綦巾 縞衣綦巾
聊樂我員 聊か我を樂しましむ
詩経国風:鄭風篇から「溱洧」を読む。(壺齋散人注)
溱與洧 溱と洧と
方渙渙兮 方(まさ)に渙渙たり
士與女 士と女と
方秉蕑兮 方に蕑を秉(と)る
女曰觀乎 女曰く觀しやと
士曰既且 士曰く既に且(い)きしと
且往觀乎 且つ往きて觀んか
洧之外 洧の外に
洵訏且樂 洵(まこと)に訏(おほ)いにして且つ樂し
維士與女 維(こ)れ士と女と
伊其相謔 伊(こ)れ其れ相ひ謔むれ
贈之以勺藥 之に贈るに勺藥を以てす
詩経国風:齊風篇から「雞鳴」を読む。
雞既鳴矣 雞既に鳴きぬ
朝既盈矣 朝既に盈ちたり
匪雞則鳴 雞の則ち鳴くに匪ず
蒼蠅之聲 蒼蠅の聲なり
詩経国風:魏風篇から「陟岵」を読む。(壺齋散人注)
陟彼岵兮 彼の岵に陟(のぼ)りて
瞻望父兮 父を瞻望す
父曰嗟予子 父は曰へり 嗟(ああ)予が子よ
行役夙夜無已 行役せば 夙夜已むこと無けん
上慎旃哉 上(ねが)はくは旃(これ)を慎しめや
猶來無止 猶(なほ)來りて止まること無かれと
詩経国風:魏風篇から「伐檀」を読む。
坎坎伐檀兮 坎坎(かんかん)と檀(まゆみ)を伐り
寘之河之干兮 之を河の干(きし)に寘(お)く
河水清且漣猗 河水清く且つ漣猗(れんい)たり
不稼不穡 稼せず穡(しょく)せざるに
胡取禾三百廛兮 胡(なん)ぞ禾(か)三百廛(てん)を取るや
不狩不獵 狩せず獵せざるに
胡瞻爾庭有縣貆兮 胡ぞ爾の庭に縣貆あるを瞻(み)るや
彼君子兮 彼の君子は
不素餐兮 素餐せず
詩経国風:魏風篇から「碩鼠」を読む。(壺齋散人注)
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
無食我黍 我が黍を食ふ無かれ
三歳貫女 三歳女(なんじ)に貫(つか)へたれど
莫我肯顧 我を肯へて顧みること莫し
逝將去女 逝いて將に女を去り
適彼樂土 彼の樂土に適(ゆ)かん
樂土樂土 樂土 樂土
爰得我所 爰(ここ)に我が所を得ん
詩経国風:唐風篇から「綢繆」を読む。(壺齋散人注)
綢繆束薪 綢繆(ちうびう)として薪を束ぬ
三星在天 三星天に在り
今夕何夕 今夕何の夕ぞ
見此良人 此の良人を見る
子兮子兮 子や子や
如此良人何 此の良人を如何せん
詩経国風:秦風篇から「蒹葭」を読む。(壺齋散人注)
兼葭蒼蒼 兼葭蒼蒼たり
白露為霜 白露霜と為る
所謂伊人 所謂伊(こ)の人
在水一方 水の一方に在り
溯洄從之 溯洄して之に從はんとすれば
道阻且長 道阻にして且つ長し
溯游從之 溯游して之に從はんとすれば
宛在水中央 宛として水の中央に在り
詩経国風:秦風篇から「無衣」を読む。(壺齋散人注)
豈曰無衣 豈に衣無しと曰はんや
與子同袍 子と袍を同じうせん
王于興師 王 于(ここ)に師を興す
脩我戈矛 我が戈矛(かぼう)を脩めて
與子同仇 子と仇を同じうせん
詩経国風:陳風篇から「衡門」を読む。(壺齋散人注)
衡門之下 衡門の下
可以棲遲 以て棲遲(せいち)すべし
泌之洋洋 泌(ひ)の洋洋たる
可以樂飢 以て樂しみ飢うべし
詩経国風:陳風篇から「東門之楊」を読む。(壺齋散人注)
東門之楊 東門の楊
其葉牂牂 其の葉牂牂(そうそう)たり
昏以為期 昏(ゆうべ)を以て期と為す
明星煌煌 明星煌煌たり
詩経国風:陳風篇から「澤陂」を読む。(壺齋散人注)
彼澤之陂 彼の澤の陂(きし)に
有蒲與荷 蒲と荷とあり
有美一人 美なる一人あり
傷如之何 傷めども之を如何せん
寤寐無為 寤めても寐ねても為すことなし
涕泗滂沱 涕泗滂沱たり
詩経国風:檜風篇から「隰有萇楚」を読む。(壺齋散人注)
隰有萇楚 隰に萇楚あり
猗儺其枝 猗儺(いだ)たる其の枝
夭之沃沃 夭(わか)くして之れ沃沃たり
樂子之無知 子の知ること無きを樂(うらや)む
詩経国風:曹風篇から「蜉蝣」を読む。(壺齋散人注)
蜉蝣之羽 蜉蝣の羽
衣裳楚楚 衣裳楚楚たり
心之憂矣 心の憂え
於我歸處 於(いづく)にか我歸り處らん
詩経国風:豳風篇から「七月」を読む。(壺齋散人注)
七月流火 七月流火あり
九月授衣 九月衣を授く
一之日觱發 一の日は觱發たり
二之日栗烈 二の日は栗烈たり
無衣無褐 衣無く褐無くんば
何以卒歲 何を以てか歲を卒へん
三之日于耜 三の日 于(ここ)に耜(し)し
四之日舉趾 四の日 趾(あし)を舉ぐ
同我婦子 我が婦子とともに
饁彼南畝 彼の南畝に饁(かれひ)す
田畯至喜 田畯至り喜ぶ
楚辞は詩経と並んで中国最古の詩集である。詩経は孔子が当時流布していた詩のうちから300篇を選んで編纂したとされ、周の時代にまでさかのぼるものを含むのに対し、楚辞の方は屈原という天才の詩を中心にして、それよりも後の時代の作品を多く含んでいる。おおむね紀元前300年前後より後の戦国時代末に作られた作品群ということができる。
屈原は中国4000年の文学史の上で、最初に現れた大詩人である。詩経以前の詩は、いずれも無名の庶民によって歌われたものであるのに対し、楚辞に収められた屈原の詩は、一個の天才によって書かれた個人の業績としては始めてのものである。その後中国に現れたすべての詩人たちは、多かれ少なかれ、屈原を自分たちの先駆者とし、模範として仰いできた。
離騷は屈原の代表作である。題意についてはいくつかの解釈があるが、史記は「離憂の如きなり」としている。すなわち「憂いにかかる」という意味である。詩の内容から推して、この解釈がもっとも自然といえる。
楚辞から屈原の歌「離騷」その二(壺齋散人注)
靈氛既告餘以吉占兮 靈氛既に餘に告ぐるに吉占を以てす
歴吉日乎吾將行 吉日を歴(えら)んで吾將に行かんとす
折瓊枝以為羞兮 瓊枝を折りて以て羞と為し
精瓊爢以為粻 瓊爢(けいび)を精して以て粻(ちゃう)と為す
九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。
楚辞・九歌から屈原作「東君」(壺齋散人注)
暾將出兮東方 暾(とん)として將に東方に出でんとし
照吾檻兮扶桑 吾が檻を扶桑に照らす
撫餘馬兮安驅 餘が馬を撫して安驅すれば
夜晈晈兮既明 夜は晈晈(けうけう)として既に明らかなり
楚辞・九歌から屈原作「河伯」(壺齋散人注)
與女遊兮九河 女(なんじ)と九河に遊べば
衝風起兮橫波 衝風起こって波を橫たふ
乘水車兮荷蓋 水車に乘って荷に蓋し
駕兩龍兮驂螭 兩龍を駕して螭(ち)を驂(さん)とす
登崑崙兮四望 崑崙に登って四望すれば
心飛揚兮浩蕩 心は飛揚して浩蕩たり
楚辞・九歌から屈原作「山鬼」(壺齋散人注)
若有人兮山之阿 若(ここ)に人有り山の阿(くま)に
被薜荔兮帶女羅 薜荔(へいれい)を被て女羅を帶とす
既含睇兮又宜笑 既に睇(てい)を含みて又宜(よ)く笑ふ
子慕予兮善窈窕 子予の善く窈窕たるを慕ふ
楚辞・九歌から屈原作「國殤」(壺齋散人注)
操吳戈兮被犀甲 吳戈を操(と)りて犀甲(さいかふ)を被り
車錯轂兮短兵接 車は轂(こく)を錯(まじ)へて短兵接す
旌蔽日兮敵若雲 旌は日を蔽ひて敵は雲の若く
矢交墜兮士爭先 矢は交も墜ちて士は先を爭ふ
天問の題意についてはさまざまな説がある。もっともらしいのは、屈原は放たれて山野をさまよううち、楚の先王の廟に天地山川の森羅万象を描いた図を見て、それに詩を供えたとするもので、一種の画賛とする見方である。
「九章」は「離騒」とならんで屈原自身の作として誰もが疑いをさしはさむことのない作品群である。そのほとんどは、懐王によって放逐された後に、離騒と前後して書かれたものと思われる。その内容も、離騒と重なるところが多い。
楚辞「九章」から屈原作「抽思」(壺齋散人注)
心鬱鬱之憂思兮 心鬱鬱として之れ憂思し
獨永歎乎增傷 獨り永歎して傷みを增す
思蹇産之不釋兮 思ひは蹇産(けんさん)として之れ釋(と)けず
曼遭夜之方長 曼として夜の方(まさ)に長きに遭ふ
卜居は屈原が占いに託して、自分が世に入れられぬ不満を述べたものである。卜居とはもともと、居宅の吉凶を占うことだが、ここでは運命を占うという意味で用いられている。
漁父は漁父辞とも称され、楚辞の諸篇の中でも最も有名なものだ。司馬遷も史記の中で、屈原の孤高を象徴する詩として引用している。
曹操の詩「短歌行」を読む。(壺齋散人注)
對酒當歌 酒に對して当に歌ふべし
人生幾何 人生 幾何ぞ
譬如朝露 譬ゆるに朝露の如し
去日苦多 去る日は苦だ多し
慨當以慷 慨して当に以て慷すべし
幽思難忘 幽思 忘れ難し
何以解憂 何を以てか憂ひを解かん
惟有杜康 惟だ杜康有るのみ
曹丕の詩「燕歌行」を読む。
秋風蕭瑟天気涼 秋風蕭瑟として天気涼し
草木搖落露為霜 草木搖落して露霜となる
羣燕辭帰雁南翔 羣燕辭し帰りて雁南に翔る
念君客遊思断腸 君が客遊を念いて思ひ腸を断つ
慊慊思帰戀故郷 慊慊(けんけん)として帰るを思ひ故郷を戀はん
何為淹留寄佗方 何為れぞ淹留して佗方に寄る
賤妾煢煢守空房 妾煢々(けいけい)として空房を守り
憂来思君不敢忘 憂ひ来りて君を思ひ敢へて忘れず
不覚涙下霑衣裳 覚えず涙下りて衣裳を霑(うるお)すを
援琴鳴絃發清商 琴を援き絃を鳴らして清商を發するも
短歌微吟不能長 短歌微吟長くする能わず
明月皎皎照我牀 明月皎皎として我が牀を照らし
星漢西流夜未央 星漢西に流れ夜未だ央きず
牽牛織女遥相望 牽牛織女遥かに相望む
爾獨何辜限河梁 爾独り何の辜(つみ)ありて河梁に限らる
曹植の詩「七哀詩」を読む。(壺齋新人注)
明月照高樓 明月高樓を照らし
流光正徘徊 流光正に徘徊す
上有愁思婦 上に愁思の婦有り
悲歎有餘哀 悲歎餘哀有り
借問歎者誰 借問す歎ずる者は誰ぞ
言是客子妻 言ふ是れ客子の妻なりと
君行踰十年 君行きて十年を踰え
孤妾常獨棲 孤妾常に獨り棲む
君若淸路塵 君は淸路の塵の若く
妾若濁水泥 妾は濁水の泥の若し
浮沈各異勢 浮沈各おの勢を異にし
會合何時諧 會合何れの時にか諧はん
願爲西南風 願くは西南の風と爲り
長逝入君懷 長(とお)く逝きて君が懷に入らん
君懷良不開 君が懷良に開かずば
賤妾當何依 賤妾當に何にか依るべき
曹植の詩「白馬篇」を読む。(壺齋散人注)
白馬飾金羈 白馬金羈を飾り
連翩西北馳 連翩として西北に馳す
借問誰家子 借問す誰が家の子ぞ
幽并遊侠兒 幽并の遊侠兒
少小去鄕邑 少小にして鄕邑を去り
揚聲沙漠垂 聲(な)を沙漠の垂(ほとり)に揚ぐ
宿昔秉良弓 宿昔良弓を秉り
苦矢何參差 苦矢何ぞ參差たる
控弦破左的 弦を控(ひ)いて左的を破り
右發摧月支 右に發して月支を摧く
仰手接飛柔 手を仰ぎて飛柔に接し
俯身散馬蹄 身を俯して馬蹄を散ず
狡捷過猴猿 狡捷なること猴猿に過ぎ
勇剽若豹蛟 勇剽なること豹蛟の若し
曹植の詩「美女篇」を読む。(壺齋散人注)
美女妖且閑 美女妖にして且つ閑なり
採桑岐路閒 桑を岐路の閒に採る
柔條紛冉冉 柔條 紛として冉冉たり
落葉何翩翩 落葉 何ぞ翩翩たる
攘袖見素手 袖を攘げて素手を見(あらは)せば
皓腕約金環 皓腕 金環を約す
頭上金爵釵 頭上には金爵の釵
腰佩翠琅玕 腰には佩びる翠琅玕
明珠交玉体 明珠 玉体に交はり
珊瑚閒木難 珊瑚 木難に閒はる
羅衣何颿颿 羅衣 何ぞ颿颿たる
軽裾髄風還 軽裾 風に髄って還る
顧盼遺光彩 顧盼すれば光彩を遺し
長嘯気若蘭 長嘯すれば気は蘭の若し
行徒用息駕 行徒は用って駕を息め
休者以忘餐 休者は以て餐を忘る
曹植の詩「吁嗟篇」を読む。(壺齋散人注)
吁嗟此轉蓬 吁嗟 此の転蓬
居世何獨然 世に居る 何ぞ独り然るや
長去本根逝 長く本根を去りて逝き
夙夜無休閒 夙夜 休間無し
東西經七陌 東西 七陌を経て
南北越九阡 南北 九阡を越ゆ
卒遇囘風起 卒かに回風の起こるに遇い
吹我入雲閒 我を吹きて雲間に入れり
阮籍の詠懐詩其四を読む。(壺齋散人注)
天馬出西北 天馬は西北より出づるも
由来従東道 由来 東道に従う
春秋非有託 春秋 託する有るに非ず
富貴焉常保 富貴も焉ぞ常に保たん
清露被皐蘭 清露は皐の蘭を被ひ
凝霜霑野草 凝霜は野草を霑す
朝為媚少年 朝には媚少年たれども
夕暮成醜老 夕暮には醜老と成る
自非王子晉 王子晉に非ざる自りは
誰能常美好 誰か能く常に美好なるべき
阮籍の詠懐詩其三十三「一日復一夕」(壺齋散人注)
一日復一夕 一日復た一夕
一夕復一朝 一夕復た一朝
顔色改平常 顔色平常を改め
精神自損消 精神自ら損消す
胸中懷湯火 胸中湯火を懷き
變化故相招 變化故に相ひ招く
萬事無窮極 萬事窮極無く
知謀苦不饒 知謀饒(おほ)からざるに苦しむ
但恐須臾間 但だ恐る須臾の間に
魂氣隨風飄 魂氣の風に隨って飄るを
終身履薄冰 終身薄冰を履む
誰知我心焦 誰我が心の焦(あせ)るを知らん