36歳の誕生日 My Thirty-Sixth Year:バイロン
36歳の誕生日 On This Day I Complete My Thirty-Sixth Year (バイロン:壺齋散人訳)
今やもう心をときめかす年ではない
人の心をときめかすこともない
だが愛されることはないにせよ
人を愛し続けたい
36歳の誕生日 On This Day I Complete My Thirty-Sixth Year (バイロン:壺齋散人訳)
今やもう心をときめかす年ではない
人の心をときめかすこともない
だが愛されることはないにせよ
人を愛し続けたい
ジョン・ダン John Donne (1572-1631) はイギリスの文学史上あまり例をみないユニークな詩人である。その文学上の業績は同時代人にとっては受け入れられることはなかった。だが20世紀になると深い影響を及ぼすようになり、イェイツやエリオットに高く評価された。ヘミングウェーやマートンは自分の作品の題名をダンの文章からとったりしている。
ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「蚤」The Flea(壺齋散人訳)
この蚤を見てごらん こいつにとっては
君が僕を拒絶したことなど 何の意味もないのだ
こいつはまず僕の血を吸い ついで君の血を吸った
こいつの中で僕らの血は混ざり合ったのだ
わかるだろうこれは 別に罪でもなく
恥でもなく 貞操が失われたわけでもない
こいつは求愛もしないうちからお楽しみ
僕ら二人の血を吸って丸々と太っている
僕らができないことをまんまとしでかして!
ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「唄」Song(壺齋散人訳)
さあ行け 流れ星をつかまえろ
マンドレークを根こそぎ引っこ抜け
過ぎ去った日々がどこに消えたか
悪魔の股を裂いたのは誰か言ってくれ
どうしたら人魚の歌が聞けるのか
嫉妬の針を避けられるのか 教えてくれ
そうすればどんな風が
正直な心を
育んでくれるかがわかるから
ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「昇る陽」The Sun Rising(壺齋散人訳)
せっかちなオヤジ がさつ者の太陽よ
どうしてそう気ぜわしく
窓のカーテン越しに僕らのことを伺うのだ?
恋の営みもお前の歩調に合わせろというのか?
助平なエロオヤジめ
怠け者の子供たちでも叱っていろ
鷹匠たちに王様のお出ましだと伝えろ
百姓たちをさっさと仕事に駆り立てろ
僕らの恋の営みには季節も陽気も
時間も月日も 時の歩みは関係ない
ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「餌」The Bait(壺齋散人訳)
さあおいで いとしい人よ
金色の砂浜 クリスタルな流れで
絹の糸と 銀の針を使って
気晴らしに釣りをしてみよう
川はせせらぎ流れ
君の目は太陽よりも暖かい
その目に恋をした魚たちは
君に釣られることを願うだろう
ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「傷心」The Broken Heart(壺齋散人訳)
こんなことをいうやつは全くのばか者だ
一時間の間恋をしたなどと
それもすぐに覚めたというのでなく
むさぼるような恋だったなどと
もし僕が一年間疫病にかかっていたといったら
誰が僕のいうことを信じるだろうか?
火薬の光が太陽を焼け焦がしたといったら
誰が僕を笑わないでいようか?
ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「告別」A Valediction(壺齋散人訳)
有徳の人が穏やかに息を引き取り
魂にさあ行こうとささやきかけるとき
悲しみにくれた友人たちはこもごもいう
「息を引き取った」とも 「いやまだだ」とも
そのように静かに消えていこう
涙の洪水もため息の嵐も引き起こさずに
世の中の人々に僕らの愛を語ることは
僕らの喜びを損なうことだもの
ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「恍惚」The Ecstacy(壺齋散人訳)
ベッドの上の枕のように
はちきれた土手が盛り上がって
スミレの頭を休ませてるところに
僕らは愛し合いながら横たわっていた
つなぎあった僕らの手は
にじみ出る汗の香油で固く結ばれ
二つの目から飛び出る視線は
僕らの目を二重の糸でつなぎ合わせる
ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「魂の喜び」Soul’s Joy(壺齋散人訳)
魂の喜び いま僕は逝く
君を残して
だけれども
僕は一人で行くわけじゃない
君も一緒に連れて行くのだ
僕らの目には
互いの姿が見えなくなり
永遠の闇に包まれるとき
そのとき互いが光に変わる
悲しみに沈むことなく
互いの愛を
信じ続け
この奇跡をおこさせよう
消え去るのは僕らではなく肉体なのだと
ジョン・ダンの詩「聖なるソネット1(翼をください)」(壺齋散人訳) -Z a
あなたは私を作られた なのに私は滅んでいく
私を回復してください でないと終わりがやってきます
私は死に向かって走り 死もまた私を迎えようとする
私のすべての喜びも 昨日の夢のように思われるのです
ジョン・ダンの「聖なるソネット4(黒く汚れた心よ)」(壺齋散人訳)
おお 私の黒く汚れた心よ いまやお前は召されるのだ
死の魁にして主人たる病にせかされて
お前は旅先で裏切を犯した罪によって
逃げてきた祖国に戻れない巡礼のようだ
死よ驕るなかれ:ジョン・ダンの「聖なるソネット10」(壺齋散人訳)
死よ驕るなかれ 汝を力強く恐ろしいと
いう者もいるが 決してそうではない
汝が倒したと考える者は 死にはしない
おろかな死よ 汝は私を殺せないのだ
ジョン・ダンの「聖なるソネット17(天国への思い)」(壺齋散人訳)
我が愛する女性が この世への負債を支払い
彼女自身と 私の幸福のために死んで
その魂が天に召されてからというもの
私はすっかり 天国へと思いをいたした
ここに彼女をたたえるあまりに 神よ
私はあなたを追い求めて 水源をたどった
でもあなたを見出し あなたに渇きを癒されても
あなたの癒しは 水腫となって私をとろかすのみ
ジョン・ダンの瞑想録から「誰がために鐘は鳴る」Meditation XVII(壺齋散人訳)
晩年のダンは、深い宗教的な思索を詩や説教の中で表した。それらは初期の詩に見られたような感性や諧謔、不安や絶望といったものを脱却して、魂の救済を大きなテーマにしている。なかでも「瞑想録」と題した一連の説経は、後世の人々にも大きな影響を与えた。
ジョン・ダンの詩「父なる神への讃歌」A Hymn To God The Father(壺齋散人訳)
私がそこから始まった罪 私自身の罪ではあるけれど
わたしが生まれる前になされていた罪を あなたは許し給うだろうか
私がそれによって生き 今もなお生き続けながら
常に悔いている罪を あなたは許し給うだろうか
だがあなたがそれを許し給うても 許されたことにはならない
私にはまだほかにも 罪があるのだから
ポエティカル・スケッチ Poetical Sketches はウィリアム・ブレイクの処女詩集である。ブレイクは1783年(26歳のとき)に、アンソニー・マーシュー牧師の援助を得て、この詩集を印刷した。そこに収められた二十数編の詩は、12歳から20歳までの間に書かれたものだといわれる。
ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「春に寄す」 To Spring(壺齋散人訳)
髪を露に滴らせ さわやかな朝の窓越しに
下界を見下ろしているあなた
その天使のまなざしを私たちの島に向けてください
私たちは合唱してあなたの到来を祝いましょう おお春よ!
ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「夏に寄す」 To Summer(壺齋散人訳)
我らが谷々を力強く通り過ぎる君よ
君の猛々しい駿馬をなだめ その大きな鼻の穴から
燃え出る炎の熱を鎮めよ 君よ おお夏よ!
君がここにしばし黄金のテントを設け
オークの木陰で眠りをむさぼる間
我らは喜びながら君の手足と見事な髪に眺めいるのだ
ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「秋に寄す」 To Autumn(壺齋散人訳)
たわわな果実 血のような葡萄の汁 おお秋よ!
立ち去らないで しばし我が屋根の下にいておくれ
そこで安らかにくつろぎながら
私の笛に合わせて楽しい歌を歌っておくれ
季節の娘たちも歌に合わせて踊るから
果物と花々の楽しい歌を歌おうよ