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知の快楽




2008年5月 3日

ドゥンス・スコトゥス

スコラ哲学を体系化したのはドミニク派の修道僧でもあったトマス・アクィナスであるが、ドミニク派と並んで勢力のあったフランチェスコ団は、さまざまな点でトマスの説と対立し、互いに論争しあっていた。フランチェスコ団に属する修道僧たちは、創設者アッシジのフランチェスコの衣鉢をついで、トマス・アクィナスとは一風変わった説を展開していた。それは簡単に言うと、トマスの主知主義に対して、実践や人間の意志をより強く押し出すというものであった。

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2008年5月 9日

ウィリアム・オッカム:実在論と唯名論

ウィリアム・オッカム(またはオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?)は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する学者である。オッカムとは彼の生まれた土地の名である。イングランドのサリー州にあったともいい、ヨーク州にあったともいう。当時聖職者の名を、その出身地によって呼ぶことが広く行なわれていた。聖トマス・アクィナスも、やはり父親の知行地アクィノが自分の姓名になっている。

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2008年5月16日

ルネサンスと宗教改革

ルネサンスという言葉は、一時期の日本人にとっては光明にあふれた言葉だった。それはヨーロッパを中世の暗黒から開放し、近代の偉大な文明を用意した幕開けの光として、受け取られた。封建的な残渣を色濃く残し、また無謀な侵略戦争に明け暮れた上、完膚なきまでに叩きのめされた戦後の日本人にとって、西欧文明は改めて学び取るべき模範として意識されたのであるが、その西洋文明がルネサンスを契機にして花開いたことを知った日本の知識人は、この言葉をお経の題目のように唱え始めたものだった。

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2008年5月23日

ピコ・デラ・ミランドラ:イタリアの人文主義

ルネサンス時代は、文学、芸術、建築などの分野で偉大な天才を輩出したが、哲学思想の面では大した人物が出ていない。それでも時代を彩る思想的な流れはあった。人文主義といわれるものがそれである。

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2008年5月30日

マキャヴェリ Machiavelli :君主論と近代政治思想

様々な学者や研究者によって書かれた古今のヨーロッパ思想史の書物は、ルネサンスを代表する思想家として、必ずといっていいほど、ニコロ・マキャヴェリの名を筆頭にあげている。これは、この時代に彼をしのぐほどの優れた思想家が現れなかったという事情にもよるが、他方では、彼ほどルネサンスという時代の精神を体現していた思想家はいないという事情もある。

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2008年6月 6日

エラスムスと北方の人文主義

アルプス以北の北ヨーロッパにルネサンスの動きが広がったのは、イタリアよりはるかに遅れてであった。しかもそれはやがて始まる宗教改革の運動に飲み込まれていくので、期間としては短いものではあったが、イタリアとは異なった、独特の様相を見せた。中世以来の民衆文化と深く結びつき、民衆文化の持つエネルギーをカトリック教会の束縛から解放したという側面である。

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2008年6月13日

トーマス・モアのユートピア

トーマス・モア Thomas More (1478-1535) は、「ユートピア」の著者として広く知られている。この本は人間にとって究極の世界といえる「理想郷」を描き出したものだ。テーマからして時代を超越しており、ルネサンスのイメージとは直接結びつかないようにも思えるが、しかしルネサンスの時代であったからこそ生まれた書物ともいえる。

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2008年6月19日

パラケルススと錬金術

パラケルスス Paracelsus (1493-1541) は、ルネサンス期に活躍した神秘思想家であり、かつ錬金術師であった。パラケルススという名は、本名であるテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムのファミリーネームをギリシャ語風に言い換えたとも、あるいは、古代の医学者ケルススを超えるという意味を含ませたとも言われる。

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2008年6月27日

ルターと宗教改革

マルティン・ルター Martin Luther (1483-1546) が始めた宗教改革は、ヨーロッパの精神史上において、巨大な意義を持つ出来事だった。影響の範囲からすればルネサンスの比ではない。ルネサンスが一部の知識人を中心としたサークル的な運動にとどまったのに対し、宗教改革は広範な民衆を巻き込み、巨大なうねりとなって社会を変えていった。特に北部ヨーロッパにおいては、宗教改革は、社会や政治のあり方、経済活動の変動とも密接に結びついているのである。

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2008年7月 4日

カルヴィニズムとメランコリー

宗教改革の結果生まれてきた新教の各派は、反カトリックという旗印のほかは、あまり共通したものを持たなかった。まして、統一した宗教組織を形成しなかった。ドイツを中心にした北ヨーロッパでは主にルター派が、スイスではツヴィングリやカルヴァンの教義が、そしてイギリスでは国教会がそれぞれ並び立ち、そのほかにも再洗礼派などの小さな宗教運動がばらばらに分立するといった具合だった。

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2008年7月11日

コペルニクスの宇宙

コペルニクス的転回と言う言葉があるように、コペルニクス (1473-1543) の地動説が科学の発展に及ぼした影響には大きなものがあった。だがコペルニクスはそれをひとつの仮説として提出しただけで、命をかけて守るべき信念とは考えていなかったらしい。彼はこの説がローマ教会を刺激することを恐れて、生前には大々的に吹聴することをしなかったし、地動説を記述した書物「天体の回転について」が出版されたのは、その死の直後だったのである。

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2008年7月18日

フランシス・ベーコン Francis Bacon

フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1622) は、近代的な帰納法の創始者として知られている。また学問を確固たる実証の手続きによって基礎付けようとした点において、近代科学の精神を体現した最初の思想家であったということができる。その人物がイギリスに出現したことの意味も大きい。イギリスはベーコンの業績を踏まえ、以後経験を重視する学問が栄えていくのである。

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2008年7月25日

ガリレオ・ガリレイ:近代科学の創始者

ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564-1642) は、近代科学の偉大な創始者として、科学史上特別の敬意を払われている。その業績は主に、天文学の分野と力学の分野において著しい。そのなかには今日から見て明らかな誤りも含まれているが、ガリレオが科学者として偉大な所以は、その達成した成果以上に、科学に臨む彼の態度にあった。

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2008年8月 1日

西洋哲学におけるデカルトの位置:意識の呪縛

西洋の近代哲学はルネ・デカルト René Descartes に始まる。そういえる理由はいくつかある。まず第一に、哲学を思弁ではなく、経験に立脚させたことである。西洋の近代哲学は、経験論の潮流にせよ、観念論の潮流にせよ、人間の確固とした経験に裏付けられていない形而上学的な思弁を排除する傾向を持つが、そうした態度はデカルトの方法的な態度に淵源する。

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2008年8月 8日

デカルトにおける学問の方法:近代合理主義哲学の形成

「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。」(野田又夫訳、以下同じ)これはデカルトの著作「方法序説」第一部の冒頭を飾る言葉である。デカルトは続けて次のようにいう。「よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、これはすべての人において相等しい。」

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2008年8月15日

デカルトのコギト Cogito ergo sum:我思う故に我あり

デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり」 Cogito ergo sum は、あらゆる意味でヨーロッパの近代思想の出発点となった。それは世界の存在や人間の認識を、個人の意識の明証性に立脚させるものである。何者もこの明証性によって支持されないものは、その存在を明証的なものとして主張し得ない。デカルト以降今日に至るヨーロッパの哲学思想は、すべてこの意識の呪縛の中から生まれてきたのである。

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2008年8月22日

デカルトの二元論:精神と物体、意識と存在の分裂

デカルトは方法的懐疑を用いて、人間の感覚、知覚や思考の中に現れてくるすべての事象を一旦棚上げした。そうすることで「思考する我」つまり「精神的存在としての私」を抽出してくるのであるが、この際に疑いの対象となったものの中心は、通常我々が物質と呼ぶものである。物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない、それはいくらでも疑いうるものなのだ、これがデカルトの方法的懐疑の核心的主張であった。

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2008年8月30日

デカルトの情念論

デカルトは、精神と物体とをそれぞれ異なった本質を持つ二つの別個の実体として区別した。しかもこの世界には、神をのぞいては、この二つの実体より以外には本質的なものは何も存在しないのである。

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2008年9月13日

自然科学者としてのデカルト

デカルトは若い頃から自然観察に深い興味を示し、自然の体系に関する独特の理論を築き上げた。彼はその成果を30歳ころ「世界論」という著作にまとめたが、そのなかには地動説を支持する考えが述べられていた。ところがガリレオの地動説が弾圧されるのを見たデカルトは、この書物の出版をあきらめてしまった。

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2008年9月20日

デカルトにおける神の存在証明

デカルトは方法的懐疑を行使してすべてのものの存在を一旦棚上げした上で、私の心の中にあるものを探っていくうちに、こうして考えているという行為そのものが、明晰で疑い得ないことであるし、したがって考えている私そのものの存在も疑い得ないものなのだという心証に達した。

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