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2007年7月27日

タレス:最初の哲学者

今でも大学の哲学史の授業では、そもそも哲学なるものはギリシャの賢人タレスに始まると教えているのではないだろうか。

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2007年8月 3日

ピタゴラス:合理と非合理

哲学史においてピタゴラスの果たした役割は、実に複雑で含意に富んだものであった。ピタゴラスは一方では、例の三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。

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2007年8月11日

ヘラクレイトス:万物流転の思想

ヘラクレイトスはイオニアのギリシャ諸都市の一つエペソスの人で、紀元前500年頃に活躍したし思想家である。イオニアの人ではあるが、ミレトス派の説とは異なった独特の思想を作り上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説いた。

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2007年8月17日

パルメニデス:形而上学の創始者

パルメニデスは、プラトンのイデア論にインスピレーションを与え、そのことを通じて、西洋哲学二千数百年の伝統の中で、格別の貢献をしたといえる。パルメニデスは形而上学の創始者と目されてしかるべき哲学者なのである。

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2007年8月24日

エレアのゼノン:逆説と詭弁

エレアのゼノンは有名な「アキレスと亀の競争」の逆説によって、広く知られている。

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2007年8月31日

エンペドクレス:多元論的世界観

エンペドクレスは紀元前440年ころが活動のピークだったとされ、パルメニデスよりは一世代後の時代の人である。シチリアのアクラガスに生まれ、ピタゴラス以来のイタリアの知的伝統を受け継いだが、他方ではミレトス派の自然哲学の流れを集成し、多元論的な世界観を展開した。

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2007年9月 6日

アナクサゴラス:ヌースの原理

アナクサゴラスはアテナイに哲学をもたらした人である。その学説はイオニアの自然学の伝統に立ち、科学的精神に満ちたものだった。そこをペリクレスに買われ、アテナイに智恵あるものとして招かれたという。かれは生涯のうち30年間をアテナイで過ごしたが、最後はアテナイ市民によって裁かれ追放された。

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2007年9月15日

レウキッポスとデモクリトス:原子論的世界観

原子論は、タレスに始まる初期ギリシャの自然哲学的世界観の一つの到達点を示している。ギリシャの哲学者たちは、世界を形作っているそもそものもと、つまりアルケーとは何かについて考察を進めるうち、質量としてのアルケーについてはますます多元論的な方向に向かう一方、存在を非存在から峻別し、存在者を存在させている原因とは何かについて、考察を深めていった。レウキッポスとデモクリトスの原子論は、これらの問題に一定の結論をもたらしたのである。

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2007年9月22日

プロタゴラスとソフィストたち

プロタゴラスやゴルギアスを始めソフィストと呼ばれる人々は、プラトンが多くの対話編の中で取り上げ、良きにつけ悪しきにつけその説に言及しているから、今日哲学を学ぶものにとっては、哲学史の一ページを埋めるための、なくてはならない人びとのように受け取られている。

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2007年9月28日

ソクラテスとは何者か

ソクラテスは西洋哲学史上画期的な存在である。真の哲学はイオニアの自然学ではなくソクラテスに始まるという見方もあるほどだ。ソクラテスの思想はプラトン、アリストテレスを通じて後世に伝えられ、それが西洋哲学の太い流れとなったことを考えれば、当然の見方といえなくもない。

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2007年10月 5日

ソクラテスの弁明

ソクラテスがアテナイの法廷によって裁かれ、死刑判決を受けたのに対して、弟子のクセノポンとプラトンは師を擁護するための弁明の書を書いた。クセノポンは旅行先にあって裁判の様子を見てはいなかったが、プラトンの方は法廷での様子を身近に見ていた。したがって、プラトンの「ソクラテスの弁明」は、法廷におけるソクラテスの様子や、そこで自ら述べたであろう主張を、忠実に伝えているとされてきたのである。

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2007年10月12日

プラトンの「饗宴」に描かれたソクラテス

「饗宴」は、プラトンの作品の中でも最も知られているものだ。テーマが「エロス」つまり愛とか恋とかいわれるものであり、ギリシャ風の宴会スタイルにのっとって、出場者たちが次々と珍説を展開していくという筋運びが、わかりやすくまた艶めいてもいるからだろう。

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2007年10月19日

ソクラテスのディアレクティケー:帰納と概念的知

ソクラテスの方法はディアレクティケー(弁証法)と呼ばれるものである。この言葉は近代に至ってヘーゲルが自分の方法として用いるようになったので、また別の色合いを持たされるようにもなったが、もともとは弁論・弁証を通じて、真理とは何か、徳とは何かについて、考究しようとする方法であった。

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2007年10月26日

プラトン哲学の諸源泉

プラトンが西洋哲学に及ぼした影響は計り知れないものがある。その説は、一部はアリストテレスによってソフィスティケートされて、その後の西洋的な知の枠組みを制約し続けてきた。それは一言では言い表せないが、現象を理解する際の概念的で論理的な方法であり、また世界の本質を理念的なものとしてとらえる態度であるといえよう。

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2007年11月 2日

プラトンの対話編「テアイテトス」:感覚と知

プラトンの対話編「テアイテトス」は、プラトンがソクラテスから自立して独自の思想を展開し始めた中期の作品群の先頭をなすものである。彼の思想の最大のテーマとなった「イデア」の研究に向けての橋頭堡ともなった。

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2007年11月 9日

プラトンのイデア論:観念論の創設

プラトンが良きにつけ悪しきにつけ西洋哲学にもたらした最大の寄与は、イデアの解明とそれにもとづく観念論的世界観を確立したことだろう。プラトン以降の西洋の哲学的伝統は、個別と普遍、現象と実体、存在と知識、世界の認識論的解明といった諸問題についてかかわり続けてきたが、それらの諸問題はすべて、プラトンによってはじめて体系的な形で提出されたのである。

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2007年11月16日

プラトンの倫理学:個人と国家

プラトンは倫理思想については、師ソクラテスの教えを生涯忠実に守った。ソクラテスによれば徳とは知識であり、従って教えることのできるものであった。人は真理を知っておりながら、それを実践しないことは矛盾である。だから、人びとに正しい知識を持たせれば、おのずから徳が実現されるようになる。

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2007年11月23日

プラトンの国家論:原始共産制的階級社会

プラトンの理想とした国家像は原始共産制的階級社会というべきものであった。原始的とはいえ、共産主義と階級社会とは相容れないもののように考えられがちであるが、プラトンはこれらを融合させて、究極の超国家主義的な社会のありかたを理想のものとして夢見たのであった。

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2007年11月30日

プラトンの自然哲学:ティマイオスと宇宙創生

プラトンはイオニアの自然哲学者たちのようには、自然に大きな関心を持つことがなかった。かれが自然を問題として取り上げるときには、つねにイデア、つまり理性的な存在者との関連のもとに考察する。自然はそれ自体では、自足し完結した存在ではなく、イデアの似姿としてのみ意義を持ちえたのである。

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2007年12月 8日

プラトンの不死説とギリシャ人の霊魂観

プラトン哲学の著しい特徴は、実在と仮象、イデアと現象的な世界、理性と感性とを峻別する厳しい二元論である。プラトンはこれらそれぞれに対をなすものうち、前者こそが真理や善にあずかるものであり、後者はかりそめなものに過ぎないという、強い確信を持っていた。

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2007年12月12日

アリストテレス:西洋思想へのインパクト

アリストテレスは、ギリシャの哲学が創造的でありえた時代の最後に現れた哲学者である。西洋の哲学が真に創造的であったのは、アリストテレスの時代までであって、その後近代の夜明けに至るまで、形式主義に毒された長い沈滞の時代が続いた。だからアリストテレスは、さまざまな意味で、西洋思想の節目を画す巨大な存在だったといえる。

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2007年12月21日

アリストテレスの形而上学:質料と形相

形而上学という言葉は、西洋哲学の長い歴史の中でさまざまな衣をかぶせられ、実に曖昧な意味に覆われてしまった。時にはこの世の秩序を越えた天上界のことを研究する学問という風にも解釈される。しかし、もともとこの言葉の元になったアリストテレスの著作は名称を持たなかったし、アリストテレスの著作を整理して名称を付した者にとっても、形式的な意味しか持たなかったのである。

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2007年12月28日

アリストテレスの論理学:演繹的推論と三段論法

アリストテレスが後世に影響を及ぼした業績の中でもっとも重要なものは、形式論理学である。カントは、アリストテレス以来論理学は進歩も退歩もしなかったといっているくらいである。今日においては、集合論の見地から、アリストテレスの論理学は乗り越えられ、また彼の追及した推論の形式が論理的思考の一部に過ぎないことが明らかになってきたが、それにもかかわらず、アリストテレスの論理学が歴史上に果たした役割は偉大であった。

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2008年1月 4日

アリストテレスのカテゴリー論:実体と本質

演繹的推論としての三段論法に関する議論と並んで、アリストテレスの論理学が後世に及ぼした影響の中で重要なものは、カテゴリーに関する議論である。カテゴリーとは、存在のもっとも普遍的な規定であるような諸概念をさす。それは論理的に整理された存在の諸様相の一覧表であり、体系的な存在論の試みとして、後世の学者たちに受け取られてきた。

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2008年1月11日

アリストテレスの倫理学:幸福と中庸

アリストテレスの倫理学は、プラトンやソクラテスの倫理思想とは甚だ色合いを異にしている。プラトンとソクラテスが極めて理念的な倫理学を展開したのに対して、アルストテレスは同時代のギリシャ人の実際の生活に根ざした、常識的な議論を展開しているといえるのである。

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2008年1月19日

アリストテレスの政治思想:理想の都市国家

アリストテレスの政治思想は「政治学」の中で展開されている。それはアリストテレスが生きてきたギリシャの都市国家での政治的実践を踏まえたもので、プラトンに見られたような極端な傾向に陥らず、当時の政治的常識といったものを反映しているといえるが、他方、アレクサンドロスによってギリシャ世界が併合され、新たな帝国主義的動きが勃興しつつあった世界の動きに対しては殆ど無頓着なものである

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2008年1月26日

アリストテレスの自然哲学

アリストテレスの自然哲学は、プラトンに集約されたギリシャ古来の伝統的自然観にアリストテレス独自の「質量―形相」の理論を接木したものである。それは一言でいえば、人間を頂点とした目的論的自然観であったといる。

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2008年2月 1日

アリストテレスの宇宙像

アリストテレスは「天体論」の中で宇宙の構造について議論している。それは古代のギリシャ人が抱いていた天体と宇宙に関する想像力を理論的な形式のもとにまとめたものだといえる。その意味ではギリシャ的宇宙像の繰り返しであったが、後世に及ぼした影響は計り知れなかったのである。

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2008年2月 8日

アリストテレスの共感覚論

アリストテレスは人間の理性を二元的に捉えていたようである。理念的で能動的な理性と、感覚とつながりをもった受動的理性とである。

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2008年2月15日

存在の連鎖:アリストテレスによるギリシャ哲学史

アリストテレスは哲学史について自覚的に語った世界で最初の思想家である。無論彼の生きた歴史的な制約からして、その対象はギリシャの哲学であったが、そこにはある一定のヴィジョンにもとづいて思想の発展をたどるという、哲学史を叙述する際に必要な方法意識が働いていた。そういう意味合いにおいて、アリストテレスは世界で最初の哲学史研究家なのである。

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2008年2月22日

ディオゲネス:犬儒派或はキュニコスの徒

マケドニアのアレクサンドロスがギリシャから東方世界にかけてを統一し、世界帝国を作り上げると、かつてのギリシャの都市国家は没落した。それにともない、都市国家を舞台に花開いた、自由で闊達な議論、自然や人間の本性を見極めようとする客観的で普遍的な精神は衰退した。人びとは開かれた大帝国にコスモポリタンとして生きることに反比例するかのように、ますます個人的で主観的な世界に後退していったのである。

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2008年2月29日

ピュロンと懐疑主義の哲学

感覚がもたらすものへの懐疑論は、長い間ギリシャ哲学にとって難点の一つであった。そこでパルメニデスは感覚の世界を「あらぬもの」として、その存在を否定したし、逆にソフィストたちは、人間の感覚は人によってそれぞれ現れ方が異なるのであるから、世界には絶対的な真理などはありえないと主張した。プラトンは感覚のもたらすものを、イデアの似姿だといって、それに一定の場所を認めたのであるが、その説はアリストテレスによって、単なる比喩に過ぎないと批判された。

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2008年3月 7日

ゼノンとストア派の哲学

ゼノンに始まるストア派の哲学は、ヘレニズムからローマ時代にかけて、もっとも広範な影響力を持った思想的流れである。キケロやセネカ、エピクテトスといったローマ時代を代表する思想家たちはみなストア派の哲学者であるし、哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウスも、政治上の実践を別にすれば、ストア派の思想を展開し実践しようとした人物だった。

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2008年3月14日

エピクロスと快楽主義の哲学

エピクロス (BC341-BC270) は、ストア派の創始者ゼノンとほぼ同じ時期に生まれ、アテナイを拠点に活動した。彼の創始した学説は、ストア派の説と並んでヘレニズム時代の思想を代表するものとなった。いずれも、世界帝国の中で相対的に地盤沈下した個人の生き方に焦点を当て、人間にとってよき生き方とは何か、個人の幸福とは何かについて考察した。ストア派が禁欲に重点を置いたのに対して、エピクロスの徒は快楽こそが幸福の源泉と考えたのであった。

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2008年3月21日

プロティノスと新プラトン主義

プロティノス(204-270)は、ギリシャの古典哲学の最後の巨人であったともに、それ以後に続くキリスト教的な世界観にとっては、端緒となる考え方を提供した思想家である。プロティノスが展開した新プラトン主義は、「一なるもの、精神、霊魂」の三位一体の形而上学に帰着するが、それはキリスト教における「父と子と精霊」の三位一体の神学に対応し、プラトンが教える永遠のイデアと神の永遠性の観念を橋渡しするものであった。

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2008年3月28日

聖アウグスティヌス:カトリック神学の祖

聖アウグスティヌス(354-430)は、聖アンブロシウス、聖ヒエロニムスとともに4世紀のローマ帝国に生き、当時勃興しつつあったキリスト教とカトリック信仰に対して、礎石を築いた人である。この3人に後の世代のグレゴリウス法王を加えて「西方教会の四博士」と呼んでいるが、それは彼らがカトリック教会の確立に果たした巨大な功績をたたえてのことであった。

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2008年4月 5日

アウグスティヌスの時間論

アウグスティヌスはキリスト教神学を深化発展させる過程で、ペラギウス派をはじめさまざまな教説と論争した。その際彼は、聖書を深く読み解き、そこに書かれたことを己の論証のよりどころとした最初の人であった。だからといって、彼の思想に不合理な部分が多いということではない。中には近代以降の思想にも通じる普遍的なものもある。

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2008年4月11日

アベラールとスコラ哲学の生成:普遍論争

長い期間にわたるヨーロッパ中世を思想史的な面から特徴付けるとすれば、キリスト教、それもカトリックの教義が支配した時代だったということができる。カトリックの正統教義の前では、それと相容れない考え方は、民衆文化も含めて、すべて異端のレッテルを貼られて迫害された。このカトリック教義を学問的に纏め上げたのが、スコラ哲学といわれるものである。

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2008年4月18日

アッシジのフランチェスコ

カトリック教会内部に修道僧からなる修道会の組織を立ち上げるきっかけをつくったのは、4世紀の聖ヒエロニムスであった。以後修道会はカトリック教会にとって中核的な組織を形成するようになり、その中から多くの聖職者を輩出した。修道会はカトリック教会を、教義と実践の面で支えてきたともいえる。

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2008年4月25日

トマス・アクィナスとスコラ哲学

トマス・アクィナス (1225?-1274) は中世最大のスコラ学者であり、キリスト教神学の歴史上もっとも重要な人物である。その業績は、神の存在の証明を中核として、神学、哲学、倫理学、自然学にわたり、中世人にとっての知のあらゆる領域をカバーし、カトリック的世界観を壮大な規模で展開した。

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2008年5月 3日

ドゥンス・スコトゥス

スコラ哲学を体系化したのはドミニク派の修道僧でもあったトマス・アクィナスであるが、ドミニク派と並んで勢力のあったフランチェスコ団は、さまざまな点でトマスの説と対立し、互いに論争しあっていた。フランチェスコ団に属する修道僧たちは、創設者アッシジのフランチェスコの衣鉢をついで、トマス・アクィナスとは一風変わった説を展開していた。それは簡単に言うと、トマスの主知主義に対して、実践や人間の意志をより強く押し出すというものであった。

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2008年5月 9日

ウィリアム・オッカム:実在論と唯名論

ウィリアム・オッカム(またはオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?)は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する学者である。オッカムとは彼の生まれた土地の名である。イングランドのサリー州にあったともいい、ヨーク州にあったともいう。当時聖職者の名を、その出身地によって呼ぶことが広く行なわれていた。聖トマス・アクィナスも、やはり父親の知行地アクィノが自分の姓名になっている。

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2008年5月16日

ルネサンスと宗教改革

ルネサンスという言葉は、一時期の日本人にとっては光明にあふれた言葉だった。それはヨーロッパを中世の暗黒から開放し、近代の偉大な文明を用意した幕開けの光として、受け取られた。封建的な残渣を色濃く残し、また無謀な侵略戦争に明け暮れた上、完膚なきまでに叩きのめされた戦後の日本人にとって、西欧文明は改めて学び取るべき模範として意識されたのであるが、その西洋文明がルネサンスを契機にして花開いたことを知った日本の知識人は、この言葉をお経の題目のように唱え始めたものだった。

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2008年5月23日

ピコ・デラ・ミランドラ:イタリアの人文主義

ルネサンス時代は、文学、芸術、建築などの分野で偉大な天才を輩出したが、哲学思想の面では大した人物が出ていない。それでも時代を彩る思想的な流れはあった。人文主義といわれるものがそれである。

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2008年5月30日

マキャヴェリ Machiavelli :君主論と近代政治思想

様々な学者や研究者によって書かれた古今のヨーロッパ思想史の書物は、ルネサンスを代表する思想家として、必ずといっていいほど、ニコロ・マキャヴェリの名を筆頭にあげている。これは、この時代に彼をしのぐほどの優れた思想家が現れなかったという事情にもよるが、他方では、彼ほどルネサンスという時代の精神を体現していた思想家はいないという事情もある。

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2008年6月 6日

エラスムスと北方の人文主義

アルプス以北の北ヨーロッパにルネサンスの動きが広がったのは、イタリアよりはるかに遅れてであった。しかもそれはやがて始まる宗教改革の運動に飲み込まれていくので、期間としては短いものではあったが、イタリアとは異なった、独特の様相を見せた。中世以来の民衆文化と深く結びつき、民衆文化の持つエネルギーをカトリック教会の束縛から解放したという側面である。

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2008年6月13日

トーマス・モアのユートピア

トーマス・モア Thomas More (1478-1535) は、「ユートピア」の著者として広く知られている。この本は人間にとって究極の世界といえる「理想郷」を描き出したものだ。テーマからして時代を超越しており、ルネサンスのイメージとは直接結びつかないようにも思えるが、しかしルネサンスの時代であったからこそ生まれた書物ともいえる。

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2008年6月19日

パラケルススと錬金術

パラケルスス Paracelsus (1493-1541) は、ルネサンス期に活躍した神秘思想家であり、かつ錬金術師であった。パラケルススという名は、本名であるテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムのファミリーネームをギリシャ語風に言い換えたとも、あるいは、古代の医学者ケルススを超えるという意味を含ませたとも言われる。

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2008年6月27日

ルターと宗教改革

マルティン・ルター Martin Luther (1483-1546) が始めた宗教改革は、ヨーロッパの精神史上において、巨大な意義を持つ出来事だった。影響の範囲からすればルネサンスの比ではない。ルネサンスが一部の知識人を中心としたサークル的な運動にとどまったのに対し、宗教改革は広範な民衆を巻き込み、巨大なうねりとなって社会を変えていった。特に北部ヨーロッパにおいては、宗教改革は、社会や政治のあり方、経済活動の変動とも密接に結びついているのである。

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2008年7月 4日

カルヴィニズムとメランコリー

宗教改革の結果生まれてきた新教の各派は、反カトリックという旗印のほかは、あまり共通したものを持たなかった。まして、統一した宗教組織を形成しなかった。ドイツを中心にした北ヨーロッパでは主にルター派が、スイスではツヴィングリやカルヴァンの教義が、そしてイギリスでは国教会がそれぞれ並び立ち、そのほかにも再洗礼派などの小さな宗教運動がばらばらに分立するといった具合だった。

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2008年7月11日

コペルニクスの宇宙

コペルニクス的転回と言う言葉があるように、コペルニクス (1473-1543) の地動説が科学の発展に及ぼした影響には大きなものがあった。だがコペルニクスはそれをひとつの仮説として提出しただけで、命をかけて守るべき信念とは考えていなかったらしい。彼はこの説がローマ教会を刺激することを恐れて、生前には大々的に吹聴することをしなかったし、地動説を記述した書物「天体の回転について」が出版されたのは、その死の直後だったのである。

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2008年7月18日

フランシス・ベーコン Francis Bacon

フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1622) は、近代的な帰納法の創始者として知られている。また学問を確固たる実証の手続きによって基礎付けようとした点において、近代科学の精神を体現した最初の思想家であったということができる。その人物がイギリスに出現したことの意味も大きい。イギリスはベーコンの業績を踏まえ、以後経験を重視する学問が栄えていくのである。

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2008年7月25日

ガリレオ・ガリレイ:近代科学の創始者

ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564-1642) は、近代科学の偉大な創始者として、科学史上特別の敬意を払われている。その業績は主に、天文学の分野と力学の分野において著しい。そのなかには今日から見て明らかな誤りも含まれているが、ガリレオが科学者として偉大な所以は、その達成した成果以上に、科学に臨む彼の態度にあった。

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2008年8月 1日

西洋哲学におけるデカルトの位置:意識の呪縛

西洋の近代哲学はルネ・デカルト René Descartes に始まる。そういえる理由はいくつかある。まず第一に、哲学を思弁ではなく、経験に立脚させたことである。西洋の近代哲学は、経験論の潮流にせよ、観念論の潮流にせよ、人間の確固とした経験に裏付けられていない形而上学的な思弁を排除する傾向を持つが、そうした態度はデカルトの方法的な態度に淵源する。

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2008年8月 8日

デカルトにおける学問の方法:近代合理主義哲学の形成

「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。」(野田又夫訳、以下同じ)これはデカルトの著作「方法序説」第一部の冒頭を飾る言葉である。デカルトは続けて次のようにいう。「よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、これはすべての人において相等しい。」

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2008年8月15日

デカルトのコギト Cogito ergo sum:我思う故に我あり

デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり」 Cogito ergo sum は、あらゆる意味でヨーロッパの近代思想の出発点となった。それは世界の存在や人間の認識を、個人の意識の明証性に立脚させるものである。何者もこの明証性によって支持されないものは、その存在を明証的なものとして主張し得ない。デカルト以降今日に至るヨーロッパの哲学思想は、すべてこの意識の呪縛の中から生まれてきたのである。

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2008年8月22日

デカルトの二元論:精神と物体、意識と存在の分裂

デカルトは方法的懐疑を用いて、人間の感覚、知覚や思考の中に現れてくるすべての事象を一旦棚上げした。そうすることで「思考する我」つまり「精神的存在としての私」を抽出してくるのであるが、この際に疑いの対象となったものの中心は、通常我々が物質と呼ぶものである。物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない、それはいくらでも疑いうるものなのだ、これがデカルトの方法的懐疑の核心的主張であった。

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2008年8月30日

デカルトの情念論

デカルトは、精神と物体とをそれぞれ異なった本質を持つ二つの別個の実体として区別した。しかもこの世界には、神をのぞいては、この二つの実体より以外には本質的なものは何も存在しないのである。

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2008年9月13日

自然科学者としてのデカルト

デカルトは若い頃から自然観察に深い興味を示し、自然の体系に関する独特の理論を築き上げた。彼はその成果を30歳ころ「世界論」という著作にまとめたが、そのなかには地動説を支持する考えが述べられていた。ところがガリレオの地動説が弾圧されるのを見たデカルトは、この書物の出版をあきらめてしまった。

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2008年9月20日

デカルトにおける神の存在証明

デカルトは方法的懐疑を行使してすべてのものの存在を一旦棚上げした上で、私の心の中にあるものを探っていくうちに、こうして考えているという行為そのものが、明晰で疑い得ないことであるし、したがって考えている私そのものの存在も疑い得ないものなのだという心証に達した。

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2008年9月26日

デカルトとパスカル

デカルトとパスカルには共通するところが多い。まず外面的な事情からいうと、二人はともに科学者として出発した。デカルトは数学の分野では座標幾何学の基礎を築き、力学の分野でも多大の業績を上げた。他方パスカルはデカルト以上の天才振りを科学研究史上に発揮した。すでに16歳にして「円錐曲線試論」を書き、真空の実験、大気の圧力の実証(ヘクトパスカルという言葉に残されている)、水圧の原理の発見(パスカルの原理)、確率論の創始などさまざまな業績を上げた。パスカルがもし、一生を科学に捧げたならば、考えられぬような偉業を達成したであろうといわれている。

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2008年10月 3日

パスカルにおける神と人間:ジャンセニスムとプロヴァンシャル

ブレーズ・パスカル Blaise Pascal (1623-1662) の宗教意識にはジャンセニスムの影響が見られる。ジャンセニスムとはオランダの神学者コルネリウス・ヤンセン (1585-1638) の思想であり、その遺作が1640年に発表されるや、フランスの貴族階級を中心に根強い信奉者を獲得した。パスカルは1646年に偶然ジャンセニスムの信徒と知り合いになり、その思想に帰依するようになったのだが、本格的なジャンセニストになるのは、1654年31歳の時である。彼はこの年、恩寵の火を見て決定的な回心を行い、その時の感動をメモリアルという形で羊皮紙に書き入れ、生涯お守りとして身につけていた。

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2008年10月11日

パンセ Pensées :パスカルの深淵

パンセは、パスカルが晩年(といっても30代半ばだが)に、キリスト教の弁証論を執筆するために書き溜めた草稿を、死後友人たちがまとめたものである。草稿といっても断片類が順序もなく乱雑に残されていただけで、そこにパスカル自身の明確で統一したヴィジョンが示されていたわけではなかった。だが友人たちは、それらをつなぎ合わせて一冊の書に纏めた。

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2008年10月17日

パスカルの賭:人は如何にして神と向き合うか

パスカルが神への信仰を賭に喩えたのはあまりにも有名だ。そこには二重の意味が込められている。神の存在が自明ではないことが一つ、もうひとつは、それにもかかわらず、我々人間は神の恩寵によってしか救われないということだ。

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2008年10月24日

スピノザ:哲学史上の位置づけ

スピノザ Baruch De Spinoza(1632-1677) の哲学を正しく理解するためには、時代的背景との関連を考慮に入れなければならない。

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2008年10月31日

スピノザの形而上学:論理的一元論

スピノザの世界観は、神の形而上学ともいうべきものである。スピノザは、人間の精神の働きを含めた、この世界のあらゆる営みや出来事を神の働きあるいは現われとして理解する。言い換えれば、全体としての世界が神という単一の実体をなしており、その部分はいずれも単独では存在しえず、全体の一部としてのみ存在すると説明する。このような教説を、バートランド・ラッセルは論理的一元論と表現した。

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2008年11月 8日

スピノザ「エチカ」の方法論:演繹的説明原理

スピノザの主著「エチカ」を読むと、まずその独特の構成に驚かされる。全体は第一部の「神について」に始まり、5部に分かれているが、いずれの部も、定義に始まり、公理、定理、証明の連鎖からなっており、あたかもユークリッド幾何学の論文でも読んでいるような感じをさせられる。

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2008年11月14日

スピノザの神

デカルトの心身二元論によれば、人間は精神という実体と延長としての身体という実体とが何らかの形で結合したものであった。そして神は、これら二つの実体に根拠を与えるところの第三のしかも高次の実体とされた。だがスピノザにいわせれば、精神と身体とは実体とはいえない。なぜなら、デカルトも認めるように、実体とは唯一にして無二の、それ自身の中に自分の根拠を有する存在であって、厳密にそういえるのは神しかないからだ。

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2008年11月21日

スピノザの人間観

スピノザの人間観あるいは倫理思想のユニークな点は、人間の自由な意思を否定するところである。スピノザによれば、世界のあらゆる事柄は、それを全体としてみればひとつの必然性に貫かれている。どんな出来事も偶然におきることはなく、必然の糸によってつながれている。人間の起こす出来事もそうだ。たとえある人間が恣意にもつづいて行なったと思われるものも、その裏には必然性が貫徹している。

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2008年11月28日

スピノザの永遠

スピノザの神はキリスト教が教えるような人格神ではなく、宇宙の存在そのものと不可分なもの、あらゆる事象の根拠となって、しかもその事象のうちに顕現しているものであった。この神は理念的には必然性をあらわし、存在性格としては永遠性という形をとる。だから我々が神について想念するとき、我々は永遠の相の下に世界を見ることになる。

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2008年12月 6日

スピノザの政治思想

スピノザには政治を論じた著作が二つある。ひとつは「神学・政治論」であり、彼の生前に刊行された唯一の体系的著作である。二つ目は「政治論」であるが、これは「エチカ」執筆後に書かれ、死後遺作集のなかに収められた。同じく政治を論じており、思想的な内容には共通するものがあるが、構成や問題提起の面で、多少の相違がある。

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2008年12月12日

ライプニッツのモナド

ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716)は、ドイツが生んだ最初の大哲学者である。ドイツ人はライプニッツ以前にもヤコブ・ベーメとマルチン・ルターという偉大な思想家を生んではいるが、体系的な哲学を展開したのはライプニッツが始めてである。以後ドイツ哲学は多かれ少なかれ、ライプニッツの影響を蒙った。

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2008年12月19日

ライプニッツとニュートン:微積分学発見の優先権論争

ライプニッツはデカルトやパスカルと同様、数学や自然科学の分野においても顕著な業績を残した。とりわけ数学の分野においては、微分積分学と記号論理学の創始者として、歴史的な業績を上げた。

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2008年12月27日

ライプニッツの論理学

ライプニッツはアリストテレス以来の伝統的な論理学に対して、大きな風穴を開けた最初の哲学者だった。それは論理的思考をカテゴリーや推論の形態において捉えるのではなく、主語と述語という人間の対象認識のパターンに即して考えるものだった。

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2009年1月 2日

ライプニッツにおける存在と論理

ライプニッツは観念論者であったが、その観念論とは唯物論に対比されるような意味での観念論であるというより、存在を論理によって導き出そうとする意味での観念論であった。

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2009年1月 8日

ライプニッツの神

ライプニッツが真情から神の存在を信じていたかは疑わしい。なるほど彼は「弁神論」を始めさまざまな機会に神の存在に言及し、その証明まで試みてはいる。しかしそれらを読むと、神の存在はライプニッツにとって崇高で威服すべきことであるというよりは、彼の論説の支えとなるような位置づけを与えられているように見える。

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2009年1月16日

ホッブスの哲学

トーマス・ホッブス Thomas Hobbes (1588-1679) は、近代的な政治思想をはじめて体系的に展開した人物として、いうまでもなく政治思想史上の偉人であるが、哲学史の上でもユニークな位置を占めている。

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2009年1月24日

リヴァイアサン Leviathan:ホッブスの政治思想

トーマス・ホッブス Thomas Hobbesは、政治理論に関する最初の近代的な思想を展開した人である。ホッブス以前にマキャヴェリがいて、古い因習から開放された新しい権力のあり方を論じていたが、それはまだ近代的な国家というものと結びついていなかった。政治を国家論とからめながら、そこに近代的な考えを持ち込んだのはホッブスが初めてなのである。

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2009年1月30日

ロックの経験主義哲学

ジョン・ロック John Locke (1632-1704) は、近代以降の西洋の学問を特徴付けている経験科学的な方法を、哲学の上に組織的に適用した最初の思想家だといえる。その意味で彼は経験論的哲学の創始者といってよい。ロック以降あらゆる観念を経験にもとづかせ、帰納的方法を用いて、漸次に高度の真理に迫ろうとする哲学の流れが、それまで支配的であった観念論的で、したがって先験的な哲学と並んで、大きな潮流となった。

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2009年2月 7日

ロックの認識論:タブラ・ラサ

ロックは西洋哲学の伝統的な枠組みを形作っていた形而上学を軽蔑した。人間の経験に基礎をおかず、脆弱な根拠の上に、巨大な体系を築いていた形而上学というものを、ロックは有益な知識の拡大を妨げていると考えたのだ。

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2009年2月21日

ロックの倫理思想

ロックの倫理思想は快楽と欲望に立脚している点で、ベンサムの功利主義思想を先取りしている。ロックによれば、快楽を増進し苦痛を減退させるものが善である。だから我々人間は快楽が最大になるように欲望する。そして快楽が最大になった状態を幸福と感ずるのだ。

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2009年2月28日

ロックの政治思想:自然法と社会契約

国家の成立に先立って人間の自然状態を想定し、そこから社会契約によって国家あるいは政府というものが形成されると考える点で、ロックはホッブスの政治理論と似通った思想を抱いていた。しかし肝心なところで、ロックとホッブスとの間には相違がある。

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2009年3月 7日

権力の分立(チェック&バランス):ロックの政治思想

国家権力の構成要素は、立法、行政、司法の三権からなるが、これらを異なる機関に分担させ、相互の間に牽制とバランスを計ろうとする思想は、近代の民主主義政治にとって基本的な枠組になっている。それはイギリスの政治的伝統から生み出されてきたものであり、今日ではアメリカを典型として、民主主義を標榜する世界中の国々の政治体制に組み込まれている。

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2009年3月13日

バークリーの唯心論

唯心論的な観念論はバークリー George Berkeley (1685-1753) に始まるといってよい。その点で彼は近代哲学史上重要な位置を占めている。

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2009年3月21日

ヒュームの懐疑論:自我の否定

デヴィッド・ヒューム David Hume (1711-1776) は、ロックが始めた経験論的なアプローチを究極まで突き詰めることによって、そこから奇妙な帰結を引き出した。彼は、形而上学者たちがいう実体なるものの虚構性を改めて証明したばかりか、人間の精神活動を支えているもう一つの実体、つまり自我の存在まで否定したのである。

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