知の快楽


ソクラテスがアテナイの法廷によって裁かれ、死刑判決を受けたのに対して、弟子のクセノポンとプラトンは師を擁護するための弁明の書を書いた。クセノポンは旅行先にあって裁判の様子を見てはいなかったが、プラトンの方は法廷での様子を身近に見ていた。したがって、プラトンの「ソクラテスの弁明」は、法廷におけるソクラテスの様子や、そこで自ら述べたであろう主張を、忠実に伝えているとされてきたのである。

ソクラテスは西洋哲学史上画期的な存在である。真の哲学はイオニアの自然学ではなくソクラテスに始まるという見方もあるほどだ。ソクラテスの思想はプラトン、アリストテレスを通じて後世に伝えられ、それが西洋哲学の太い流れとなったことを考えれば、当然の見方といえなくもない。

プロタゴラスやゴルギアスを始めソフィストと呼ばれる人々は、プラトンが多くの対話編の中で取り上げ、良きにつけ悪しきにつけその説に言及しているから、今日哲学を学ぶものにとっては、哲学史の一ページを埋めるための、なくてはならない人びとのように受け取られている。

原子論は、タレスに始まる初期ギリシャの自然哲学的世界観の一つの到達点を示している。ギリシャの哲学者たちは、世界を形作っているそもそものもと、つまりアルケーとは何かについて考察を進めるうち、質量としてのアルケーについてはますます多元論的な方向に向かう一方、存在を非存在から峻別し、存在者を存在させている原因とは何かについて、考察を深めていった。レウキッポスとデモクリトスの原子論は、これらの問題に一定の結論をもたらしたのである。

アナクサゴラスはアテナイに哲学をもたらした人である。その学説はイオニアの自然学の伝統に立ち、科学的精神に満ちたものだった。そこをペリクレスに買われ、アテナイに智恵あるものとして招かれたという。かれは生涯のうち30年間をアテナイで過ごしたが、最後はアテナイ市民によって裁かれ追放された。

エンペドクレスは紀元前440年ころが活動のピークだったとされ、パルメニデスよりは一世代後の時代の人である。シチリアのアクラガスに生まれ、ピタゴラス以来のイタリアの知的伝統を受け継いだが、他方ではミレトス派の自然哲学の流れを集成し、多元論的な世界観を展開した。

エレアのゼノンは有名な「アキレスと亀の競争」の逆説によって、広く知られている。

パルメニデスは、プラトンのイデア論にインスピレーションを与え、そのことを通じて、西洋哲学二千数百年の伝統の中で、格別の貢献をしたといえる。パルメニデスは形而上学の創始者と目されてしかるべき哲学者なのである。

ヘラクレイトスはイオニアのギリシャ諸都市の一つエペソスの人で、紀元前500年頃に活躍したし思想家である。イオニアの人ではあるが、ミレトス派の説とは異なった独特の思想を作り上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説いた。

哲学史においてピタゴラスの果たした役割は、実に複雑で含意に富んだものであった。ピタゴラスは一方では、例の三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。

今でも大学の哲学史の授業では、そもそも哲学なるものはギリシャの賢人タレスに始まると教えているのではないだろうか。

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