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日本文化考



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禅寺と精進料理

魚肉類を用いず穀物と野菜で調理する精進料理は、日本の食文化の中で長い伝統を有する。日本人は中世の頃まで、魚は無論獣肉も食していたのであるが、徳川時代には獣肉を食わなくなったために、精進料理もそれだけ洗練されるようになった。今日においても、和食に色を添えるものとして、確固たる位置を占めている。西洋風のベジタリアン趣味とは別の意味で、日常の食生活の中に溶け込んでいるのである。

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2008年01月12日

茶会と懐石料理:利休の精神

茶が日本で本格的に飲まれるようになるのは、栄西が茶の苗木を宋から持ち帰り栽培するようになってからである。当初は禅寺の中で、修行の一環として飲まれていたのが始まりらしい。茶とともに点心類も伝わり、茶と点心を用いて茶会が行なわれるようになると、その風習は寺院の内部から次第に一般に広まっていった。

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2008年01月19日

食卓の変遷:銘々膳、ちゃぶ台、テーブル

今日我々日本人の平均的な食卓のイメージとしては、ダイニングルームの一角に家族の規模に応じた洋風のテーブルが据えられ、それを囲んで家族が椅子に腰掛けて食事をとるといったものだろう。洋風という形容詞がともなうように、この食卓洋式はそう古いことではない。せいぜい昭和40年代以降のものだ。折から高度成長に乗り、勤労者のための団地が相次いで建てられた。その団地生活を彩る一つの様式として、洋風の食卓が普及したのである。

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2008年01月26日

そばの食い方:日本的外食の原点

そばといえば普通蕎麦屋で食うものだ。もちろんスーパーでそば玉を買ってきて、自分で茹でて食うこともできるが、何となく味気がない。そばはやはり蕎麦屋で食うからうまいと感じるのは、筆者だけではあるまい。

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2008年02月02日

寿司の食い方:江戸前の握り寿司と華屋与兵衛

現在我々日本人が普通に食っている握り寿司は、文政年間(1820年代)に江戸の寿司職人華屋与兵衛が発明したということになっている。与兵衛は酢飯の上に魚を乗せ、それを掌で握り締めて客に出した。魚は江戸前でとれたもので、アナゴ、鯖、こはだ、車海老といったものが中心だったらしい。江戸前寿司とは、そうした材料から出た言葉だが、握り寿司が江戸で始まったという事情も含んでいるのだろう。

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2008年02月09日

日本酒の醸造法

日本酒は、米、麹、酵母、水を原料にして作る。米に含まれる澱粉を土台にして、麹が澱粉を糖に変え、酵母が糖を分解してアルコールに変える。これは日本酒に限らず醸造酒といわれる酒の造り方の基本である。原料が変わっても、工程そのものはほとんど変わりがない。日本人が日本酒を愛してきたのは、米が日本人にとっての主要な澱粉源であったからだ。

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2008年02月16日

焼酎の味

日本酒を蒸留すると焼酎が出来る。焼酎の製造技術は室町時代の末期には確立していたと思われるが、何故か日本の酒の文化の中では普及することがなかった。一昔前まで焼酎といえば安酒のイメージが付きまとっていたものだ。それが昭和50年代の後半から俄かに日本中で飲まれるようになった。「いいちこ」とか「二階堂」といった麦焼酎の銘柄が人気を集めたのがきっかけだったようだ。

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2008年02月23日

漬物と日本人

野菜を漬けて食う風習は世界共通のことだ。なまで食うことをのぞいたら、野菜の食い方としてもっとも古い歴史を有する。人類最古の食品の調理法だともいえる。日本でも例外ではなく、すでに縄文時代から野菜の漬物が食われていた。

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