佐倉連隊にみる戦争の時代
この夏、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で「佐倉連隊にみる戦争の時代」と題した企画展が催された。筆者は少年時代を佐倉で過ごし、今でも両親の墓が佐倉にあることから、しばしば佐倉を訪れるが、そんな折にこの展示のあることを知り、立ち寄ってみた。
この夏、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で「佐倉連隊にみる戦争の時代」と題した企画展が催された。筆者は少年時代を佐倉で過ごし、今でも両親の墓が佐倉にあることから、しばしば佐倉を訪れるが、そんな折にこの展示のあることを知り、立ち寄ってみた。
筆者には、学生時代から仲良くしている友人が何人かいて、そのうちの3人とは、毎年の秋、小旅行を楽しんできた。ドライブ好きな男がいるので、運転は彼に任せて、残りの3人は車の中でのんびりと過ごすのである。そんな我々が、去年、今年と2年続けて会津を旅した。昨年は、土湯に一泊して、福島から会津に回り、今年は、母成峠近くの中ノ沢温泉に一泊して会津盆地をドライブした。
アツモリソウ(敦盛草)は、本州の亜高山地帯や寒冷地に自生するラン科の多年草である。野生のランの中では、一段と大きな花を咲かせ、野生ランの王者といわれている。しかしかえってそのことが徒となって盗掘が絶えず、いまでは絶滅が心配されるほどに減ってしまった。それ故、幻の花ともいわれている。
プロ野球では、昨年のロッテ・オリオンズに続いて、今年も外国人監督ヒルマン氏率いる球団日本ハム・ファイターズが優勝した。球団にとっては、実に44年ぶりの日本一ということだ。北海道に移転して4年目、いまではすっかり地元に溶け込み、北海道の人々の熱い応援に答えての優勝だった。
吉田拓郎といっても、今時の若い人たちにはぴんとこないかもしれない。1970年代の前半に活躍したミュージシャンで、日本のシンガーソングライターの草分けとされる男だ。比較的若くして表舞台を去ってしまったので、大方忘れられたと同様の存在だったが、中高年層を中心に、いまだに根強いファンを持っている。
大人が子どもをどう育てるか、それは民族の根幹をなすことである。また、子どもが大人たちの築き上げた世界をどう受容するか、それは民族の行く末を方向づけるもとである。子どもは小さな大人ではない。彼らは無限の可能性をたたえた器であり、民族の、ひいては宇宙の鏡である。
和歌山県岩橋千塚山古墳群(前方後円墳)の遺蹟の中から、6世紀前半のものと見られる双面の埴輪の顔が見つかった。数年前の発掘作業の過程で出土した埴輪の断片を復元しているうちに、現れてきたという。頭部と首からなり、高さは19センチほど、新聞に掲載された写真でその表情をみると、素朴ななかにも力強い印象が伝わってきて、古代人の想像力が思いやられる。
若者もすなるブログといふものを、翁もしてみんとてするなり
先日、NHKの特集番組が、極地に生きる動物たちの姿を追跡していた。その中で特に印象深かったのは、北極圏の白熊と、南極の皇帝ペンギンたちだった。
絞首刑の最中に首がちぎれ飛ぶこともあると聞き、驚いた。イラクで起きたことだ。昨年暮のサダム・フセインの処刑に続き、昨日(1月15日)は更に二人、前政権時代の高官が絞首刑に付されたが、その際、サダム・フセインの異父弟で秘密警察長官だったバルザン・イブラヒムの首が、吊るされた直後にちぎれ、頭部と胴体が分離してしまったというのである。
アメリカではいま、老人たちを対象にした性教育が盛んになっているそうだ。(老人にも安全なセックスを)
日本人が馬肉を食うようになったのは何時の頃からだろうか。古い記録が見当たらないのでよくはわからないが、信州の伊那地方や会津など馬の産地では、400年程前から食っていたらしい。東京の庶民についていえば、明治以降馬肉を食う慣習が広まったようだ。明治時代の浅草界隈には、馬肉を売る店が何軒もあったという。
アメリカの2月から3月にかけてはアーモンドの開花シーズンだ。桜に似た花を咲かせ、夏には実がなる。アメリカ人が最も好む木の実の一つだ。この実をならせるための受粉の作業には、蜜蜂が大いに活躍する。今では、商業用のアーモンドの殆どが蜜蜂の世話によって、受粉するのだという。ところが今年、その蜜蜂たちが大量に消えているというニュースが全米を賑わせた。
アメリカ人の夫婦仲のよさは世界中に知れわたっている。可能な限り行動をともにし、寝るときも一緒だ。マスターベッドルームとそこに置かれた大きなダブルベッドは、アメリカの最もアメリカらしいライフスタイルとして、日本を含め世界中の進歩的な男女の模範となってきた。
日本家族計画協会が、先週ショッキングな報告を発表した。16歳から49歳までの男女を対象にアンケート調査を実施したところ、最近一ケ月以上セックスしたことがない者が39.7パーセントもあったというのだ。結婚している男女でさえ、34.6パーセントもあるという。一月以上セックスしない者は、一年間セックスしない可能性も高いから、この数字は非常に深刻な意味を持っている。
チョコレートといえば、大方の日本人にとっては、年に一度のバレンタインデーを彩る季節的な食べ物だろう。つい最近まで、子どもはいざ知らず、大人が年中チョコレートを食うことはなかった。それを裏付けるように、チョコレート業界の売り上げは、バレンタインデーに依存することが大きかったのだ。
死者の火葬は、ヨーロッパ文化圏では長らくタブーに近い扱いを受けてきた。しかし近年に至って、プロテスタント文化圏を中心に火葬を受け入れる雰囲気が広がり、急速に普及しつつある。
先稿「アーモンド栽培と蜜蜂」の中で、アメリカの蜜蜂が大量に消滅していることを紹介した。その時点では季節柄、アーモンド栽培への影響が懸念されたのであったが、蜜蜂の消滅はその後も止まるところをしらず、さまざまな農作物に深刻な打撃をもたらしつつあるという。
梶井基次郎の短編小説「交尾」を読んだ人は、一度はその趣向の斬新さに関心したに違いない。梶井基次郎という作家にはどことなく妙なところがあるから、こんな妙なものに着目したのだろう、と。
フラミンゴにもゲイのカップルがあるというので驚いた。しかもそのゲイのカップルが雌雄一対のフラミンゴのカップルから卵を奪い、雛をかえして育てているというから、二重の驚きだ。
ロンドン旅行をした人には、グリニッジの船着場付近に係留された帆船カティ・サーク号を見た方も多いことだろう。海洋国家イギリスの全盛時代を象徴するものとして、今も英国民に親しまれている船だ。ウィスキーの銘柄にもなっている。その貴重な歴史的遺産が炎上したというニュースが人々を驚かせた。
かつて20世紀初頭における世界の知的運動をリードしたバウハウス。そのワイマールとデッサウの校舎群が世界文化遺産に登録されたのは1996年のことであった。以来、長らく放置されてきたこれらの校舎群の修復作業が進められ、このたびバウハウス・ミュージアムとして一般公開される運びとなった。
先日、コンゴ民主共和国の東部にあるヴィルンガ国立公園内において、マウンテンゴリラの生後2ヶ月ほどの子どもが、死んだ母親にしがみついているところを、公園のレンジャーが発見した。
アメリカの大手コンドーム会社トロージャンが作成したコンドームのテレビ向け広告を、4大ネットワークの二つ、フォックスとCBSが拒否したというニュースが伝わり、大きな関心を呼んでいる。
日本はいまや世界一の長寿国だ。WHOの2006年版世界保健報告によれば、日本人の平均寿命は、女性86歳、男性79歳、総合で82歳、いづれの数字も国別順位で最高である。
ネット上に存在するアダルトサイトはすさまじい数に上る。何しろ性欲は人間の本性に根ざしたものだから、需要は限界をしらない。その数は無限大にむかって増え続けるばかりだろう。
現在地球上には6億匹の飼い猫 House Cat が暮らしているそうだ。(無論野良猫も数に含む)従来これらの猫たちの祖先はエジプトに発祥したのだろうと思われていた。しかし3年前にキプロス島で発見された猫の遺骸をめぐり、それがエジプト文明よりはるか以前に、トルコ経由でキプロス島に渡ってきたことが実証されて、この説は覆った。
オーストラリアのテレビでは今、交通事故防止キャンペーンに流されているユニークな映像が話題を呼んでいる。スピードを上げて得意気な青年たちに向かって、女性たちが小指を突き出して揺らす仕草をみせ、「ペニスが小さいからって、スピードを出すもんじゃないわ」といっているシーンである。
先日NHKテレビが奥羽山地の一角に広がる和賀山塊の自然を紹介していた。日本一といわれるブナの巨樹や、ミズナラやクリの巨木など、日本の自然を彩る豊かな山林の映像を目にして、筆者は数年前に訪れた白神山地のブナの森を思い出し、懐かしい気分になった。
男子に対する割礼は、ユダヤ人社会やイスラム教圏において、長い文化的背景と歴史を有している。それは宗教的な理由から、一種の通過儀礼としてなされてきたのだと思われる。恐らくユダヤ教が始原で、そこからアラブ社会に伝わったのではないか。
先日は、ワイルドキャットからハウスキャットへの猫の進化について考察した。結論は、今日地球上に生きるすべての猫は、ほぼ1万年前の中東にいたわずか5匹のワイルドキャットから生まれてきたのだということだった。そこで犬のほうはどうなのだろうと、もう一つの人間の友に関心が向くのは自然の勢いだろう。
アメリカロードアイランド州のある医療施設には、不思議な能力を持った猫がいるそうだ。その猫は患者の死期が近付くと、決まってその患者のもとに現れ、患者の死を見取るというのである。だから逆に、その猫がやってくると、担当の医療スタッフは患者の死が差し迫っていることを予想し、臨終の準備をするのだそうである。
ネット上の仮想空間 Second Life が急速に膨張している。フィリップ・ローズデール Philip Rosedale が2001年に立ち上げて以来、最初の数年間は緩やかな伸びで、2006年までの登録者は150万人だったものが、過去一年間に800万人、この2ヶ月間に200万人という具合に、加速度的に増加している。この調子だと2011年までに、世界中のインターネット利用者の5分の4、数にして16億人がSecond Lifeを利用するようになるだろうと予測されている。
2007年8月7日(火)夜、サンフランシスコ・ジャイアンツのスラッガー、バリー・ボンズ(43)が大リーグのホームラン記録を塗り替える歴史的な一発を放った。1976年にハンク・アーロンが記録した755本という数字を、31年ぶりに更新したのだ。
「揚子江の女神」として親しまれてきた揚子江イルカ、別名バイジ(白暨)が、どうも絶滅したらしい。チューリッヒに本拠を置くバイジ研究財団が、1997年に調査した時点で既に14頭まで激減しているのが確認されていたが、昨年12月の調査では、3500キロにわたる流域に一頭も発見できなかった。この結果を踏まえて、財団代表のプフルーガー氏が、このたび絶滅宣言を出したのである。
人間誰しも穏やかに老い、尊厳の中で死を迎えたいと思うものだ。だが現実はなかなか厳しいものがある。日本人の寿命が延びて、80歳を超えて生きる人々が増えてきているのは無論喜ばしいことには違いないが、その人たちが余り不自由を感じず、楽しく生きているかというと、そうはいえないところがある。
カラスの知能が高いことは良く知られている。日本に生息するカラスはハシブトガラスがもっとも多く、それにハシボソガラスが続くが、どちらも利口な生き物である。ヨーロッパやアメリカではワタリガラスが多いようだが、これも非常に利口らしい。
まさに死なんとする瞬間、その人のまぶたの裏には、歩んできた人生がフラッシュバックのようによみがえるということだ。といっても、死んでしまった人間がそんなことを証言できるわけもないから、これは幸か不幸か死から生き返った人間たちがいっていることである。
老いて猶仲が良く、気が置けない友達は何者にも代えがたいものだ。ましてそんな友達と小さな旅に出かけ、温泉につかり杯を酌み交わす、これほど幸福な時間があるだろうか。
東京の祭は、都市全体が共同で集中的に行うものはないかわりに、地域ごとに残っている伝統的な祭が、夏から秋にかけて、あちこちで断続的に行われ、それぞれに季節を彩っている。
日本女性の美肌へのこだわりは、世界でも例を見ないほど熱心なものだそうだ。いつまでも若々しく美しい肌を保ちたいという願望は、世界中どこの女性でも共通のものだとは思うのだが、日本人女性の場合は、その願望が度を越して強いということらしい。
17世紀オランダ絵画の巨匠フェルメールの傑作「牛乳を注ぐ女」が、完成したばかりの国立新美術館で公開された。日頃フェルメールの絵を愛してやまない筆者は、早速乃木坂の美術館まで足を運んだ次第だ。フェルメールの絵を見る楽しみは無論、黒川紀章の設計した美術館がどんなものか、見たくもあったのだ。
ヨーガが静かなブームを引き起こしている。もともと年配の人を中心に行われていたが、最近は若い人にも人気があるという。心身のバランスを追及する人から、フィットネス気分で行う人々まで、幅広い層に浸透しつつあるようだ。
ニンニクが健康によいことは古くから知られている。あの古代ギリシャ人も、オリンピックの競技に先立ち、たらふくニンニクを食っていたということだ。ところが、ニンニクの何が健康によいのか、これまであまり明らかではなかった。
笑えない笑い話を紹介しよう。牛や羊など家畜の屁が、一部の国では深刻な環境問題となり、そのあおりでカンガルーが受難しそうになっているという話だ。
平成十九年十二月十五日(土)昨年例の家鴨の諸君と利尻礼文へ旅行せし折、次は是非海外へいかばやなんどと話しあひしが、喧々囂々議論の末台湾へ二泊三日の小旅行をなすこととはなりぬ。台湾は地理歴史ともに日本に近し。衛生状態悪からず、食物も美味にして日本人の口にあふべし、されば国内旅行の感覚もて旅を楽しむを得べしといふがその理由なりき。
ムンク展が上野の国立西洋美術館で開催されている。正月明けの一月六日までというので、暮れで忙しいさなかではあったが、足を運んでみた。
今年平成二十年(2008年)は、暦の上では戊子の年にあたる。筆者がこの世に生まれて来たのは昭和23年、やはり戊子の歳であったから、今年は筆者にとっては暦が一巡する年、つまり還暦に当たる年である。いうまでもなく、暦が一巡するためには60年を要する。信長の時代には人生50年であったものが、今日では60年を生きることは珍しくなくなった。そのおかげをこうむって、筆者も暦上の一区切りの長さを生き永らえることができた次第である。
売春は人類の歴史上もっとも古い職業の一つである。それはまた、人類にのみ見られるものだと考えられてきた。売春とは経済的な対価と引き換えに性的交渉をすることを意味し、そこには未来の確実性に対する予測や、ギヴ・アンド・テイクに関する比較考量といった精神的な過程が介在する。したがって高度な知性を備えるに至った我々人類の祖先にして、始めて行い得た行為と考えられてきたのである。
イギリスではいま、双子の兄妹であることを知らずに結婚したカップルの悲劇が人々の同情を誘っているそうだ。AFPの伝えるところによると、このカップルの話は、人間の生殖と人工授精を議論する国会の場において、オルトン上院議員によって始めて紹介された。
昨年暮れに発表されたミシュラン・ガイド東京版は、日本人の間で大フィーバーを巻き起こした。9万部用意した初版本が即日完売したというから、そのすさまじさがわかるだろう。余熱は今も続き、NHKのテレビ番組をはじめ多くのメディアが、受賞した店とそこのシェフを、毎日のように紹介している。
インドで起きた不思議な話だ。列車のトイレを使っていた妊娠中の女性が、それとは意識せずに子どもを分娩し、その子どもが走っている列車のトイレの穴をすり抜けて、地上に産み落とされたというのだ。その様子をロイターが伝えているので、紹介したい。
先稿「いつまでも恋人同士でいられるために」の中で、人は努力によっては、配偶者との間でいつまでも新鮮な恋愛感情を持続させることができるということを書いた。そうした努力なしでは、愛情は次第に摩滅して、互いの関係は味気ないものに変わっていく。
ロリコンサイトと呼ばれる、児童を対象にした卑劣で醜悪なポルノサイトがインターネット上にあふれている。それもロシアと並んで、日本が最大の発信基地だというから、見逃せない。いまや世界中の変質者たちにとって、日本は尽きせぬロリータの泉になってしまったのだろうか。
人間に最も近い種であるチンパンジーについて、その行動特性や知的能力が明らかになってきたのは、つい最近のことに属する。そこには科学者たちによる、辛抱強い調査活動があった。中でも意義が高いとされるのは、ジェーン・グドール女史による個体の知能の研究と、京都大学の研究グループによる、集団の行動様式の研究だ。
奈良薬師寺の日光・月光両菩薩が東京上野の国立博物館にやってきたというので、早速見に行った。普段は薬師寺の金堂の中で、薬師如来の脇侍として並び立っている両菩薩像が、そろって寺を出るのは今回が初めてだという。しかも背中についている後背を外した状態で来たというから、全身をくまなく見られる稀有のチャンスだ。
モディリアーニは西洋の近代絵画のなかでも日本人に最も愛されている画家の一人だ。その展覧会が乃木坂の国立新美術館で開催されている。筆者もモディリアーニ・ファンの一人として見に行ったが、予想以上に多くの人々が訪れているのに驚いた。人気の根強さを伺わせる。
東京下町の夏の風物詩になっている三社祭に、今年はちょっとした異変が起きた。三社の名のとおり三体ある本社神輿の渡御が今年は行なわれなかったのだ。三社祭といえば、本社神輿の渡御が最大の行事であるから、これが行なわれないでは、祭の雰囲気は今ひとつ盛り上がらない。
自分の家のどこかに、赤の他人が住みついているとしたら、誰しも気味が悪く思うだろう。昔の古い家の天井裏には青大将が住んでいたこともあったが、これは家の守り神などといって、大目に見られていた。しかしことが人間となると、そう大らかではいられない。
雨もよいの鬱陶しい日が続いている。今年は例年より半月以上も入梅が早かった。雨の量も多くなりそうだ。これは春以来の傾向で、今年の四月は関東地方で、観測史上最も多い降雨量を記録した。
今年の七月に筆者が定年退職するのを記念して、職場の連中が送別旅行を催してくれた。マイクロバスのレンタカーを借り、一泊二日で会津方面へ行こうというのである。計画を煮詰めるに当って、幹事役が筆者に、寄りたいところがあればいえという。そこで筆者は迷うことなく、大内宿を歩いてみたいと答えた。
インターネットの普及は人間同士のコミュニケーションのあり方を大きく変えつつある。メールやブログあるいはSNSといったコミュニケーションツールを通じて、個人間や企業間のコミュニケーションが飛躍的に便利になった。いまや我々は、地球上のどこにいても、いついかなるときにおいても、話しかけたい相手にメッセージを発信し、オンラインで互いに情報をやり取りすることができる。
戦後63年を経て、日本人の戦争体験が風化しつつあるといわれるが、その中で1945年3月10日の東京大空襲に始まる戦争末期の無差別爆撃については、体系的な調査も十分とはいえなかった。この無差別爆撃は、初期の爆撃が主に軍事施設を対象にしていたのとは異なり、一般の住宅地域を標的にしたもので、膨大な数の庶民が犠牲になった。米国はこれを、日本人の戦意を喪失させるために必要な行為だったと弁明している。
仕事の縁で親しくしている人が数人いて、節目節目に都内の料理屋に集まっては、銘酒を堪能し料理に舌鼓を打ちながら、浮世話に花を咲かせるのを楽しみにしている。この度は筆者ともう一人の男(K氏)が定年で勤めていた職場を去ることとなったので、他の連中が我々の送別会に事寄せて、久しぶりに集まろうということになった。
不振が目立つ近年の日本の柔道界だが、その中で今回の北京オリンピックでの石井の金メダルは、無論快挙というべきだが、反面見るものに複雑な思いをもさせた。石井の勝利には、我々が思い浮かべるような柔道本来の痛快な一本技は全く見られず、相手との駆け引きばかりが目立ったからだ。
伊豆伊東の温泉街の一角、松川の流れを背後にして、古びた木造の建物が立っている。東海館といって、かつては温泉旅館だった建物である。今は市の観光施設に衣替えして、一般の人々に開放されているから、伊豆に遊んだ人は気軽に立寄ることができる。
中川一政といえば、荒々しいタッチでゴッホの絵を思わせるような作風で知られる洋画家だ。美術を含めてアカデミックな教育は受けていないが、多方面な才能に恵まれ、短歌や随筆にも優れたものを残した。明治の半ばに生まれ、97歳という生涯を平成まで生き残ったわけだから、まざに日本の近現代を体現したような人だった。
牛馬の糞が燃料になるこことは広く知られている。草原の民の中には、家畜の糞を乾燥させて、それを主要な燃料として使っているものもある。家畜の糞で可能なことが、人間の排泄物でもできないわけがない。実際人間の排泄物の中にはメタン成分が豊富に含まれ、それを燃料に利用することは、大いに可能なのだ。
筆者は現役最後の職場を三年半も勤めたので、その間に多くの人と出会った。それらのうち今は転出してほかの職場で働いている連中が、筆者の定年退職を記念して、送別会を開いてくれた。場所は地下鉄本所吾妻橋駅近くにある「稲垣」というもつ焼屋である。
幻想的な風景画で知られる日本画家東山魁夷の童画展が、千葉県市川市の東山魁夷記念館で開かれている。東山魁夷は東京美術学校(現東京芸術大学)に在学中の昭和初期から終戦近くに至るまで、数多くの童画を製作したが、それらは後年の作品の陰に隠れて、今まであまり注目されることがなかった。だが、それらには風景画の大作とはまた一味違った趣がある。今回はそんな童画をまとめて展示する初めての試みだというので、期待しながら出かけてみた。
巨大なダイアモンド鉱石が南アフリカのレソトで発掘された。478カラットあり、歴史上20番目の大きさだそうだ。形がまとまっており、これをうまく研磨すれば150カラットのダイアモンド宝石を作り出すことができる。しかも色合いや透明度の点では、第一級の品質を持つことになるだろうといわれている。
筆者は、若い頃はコーヒー党で、暑い日でも寒い日でも、ブレーキングタイムでも食事をした後でも、コーヒーばかり飲んでいたものだが、50を過ぎた頃から日本茶のうまさもわかるようになり、最近ではもっぱら日本茶ばかり飲むようになった。それにつれて、お茶の味にもこだわるようになり、多少値段が張ってもうまい茶葉を求めるようにもなった。
チョコレートに心臓病を予防する効果があることを、イタリアの研究グループが突き止めた。モリ・サニというプロジェクトがそれで、毎日少量のブラックチョコレートを食べ続けることが、血管の炎症を防ぎ、ひいては心臓血管障害や脳卒中の予防につながるというのだ。ただし食べ過ぎると効果がなくなり、またミルクチョコレートではだめだということだ。
ライオンは少数のオスを中心にして多数のメスとその子供たちが集団を作って生息している。群れの中でのオスの権威は絶対で、メスたちは自分たちの力でしとめた餌をまずオスにささげる。だからライオンの社会は、人間社会のハーレムによく喩えられてきた。
離婚すると、当事者には面倒なことが色々起こるものだ。子どもがいれば、どちらがどの子の親権を行使するかを巡って激しい争いが起こる。財産の分割をどうするかも、厄介な問題だ。
渡り鳥は季節ごとに長い距離を飛行して、子育てや餌の確保に努めているものだが、中でもシギの類は長距離を休みなく一気に飛ぶことで知られている。
2008年のワールドシリーズは、ナショナルリーグのフィラデルフィア・フィリーズがアメリカンリーグのタンパベイ・レイズを4勝1敗で破り、28年ぶり2度目の制覇を果たした。フィリーズは初戦敗退の後4連勝、しかも第5戦では6回表の攻撃中大雨に見舞われ、ワールドシリーズ史上初めてのサスペンデッド・ゲームになるおまけまでついた。
誰しも、少年時代から青年時代にかけて口ずさみ、生涯思い入れの深い歌やそれを歌った歌手の思い出を持っているものだ。筆者にとって、フランク永井はそんな歌手の一人だった。昭和30年代の高度成長期に東京で育った筆者にとって、フランク永井のあの低音の歌声は、いまでも少年時代の幸福な日々の追憶と結びついている。
フランス人がセックスを巡る事柄に鷹揚なことはよく知られている。特に女性は、ほかの国の女性たちに比べセックスへのタブー意識が弱いとされる。既にヴィヨンの時代から、パリ女たちはセックスを謳歌し、年老いた女たちもセックスの喜びから遠ざけられることを何よりの痛恨事としてきた。
輸出立国日本がまた一つ妙なものを輸出したというので、ちょっとした反響を呼んでいるそうだ。その品目というのがふるっている。生身の人間、しかもホームレスだというのだ。
正月をすぐ近くに控え、デパートやスーパーではおせち料理の商戦が熱気を帯びてきたようだ。一流の料亭による凝った重箱やら、スーパー自社ブランドの手頃な価格のものやら、豊富な品揃えで消費者の食欲と美意識に訴え、財布の紐を緩めさせようと、みなさん躍起だ。
先日NHKのテレビ番組が、野宿が好きだという変わった女性を紹介していた。この女性は27歳の若さだが、数年前から野宿の楽しみに取り付かれ、寝袋を担いでどこへでも出かけていっては、気に入った場所を選んで寝るのだそうだ。河川敷に寝たり、野っ原に寝たりするほか、天気の良くないときには建物の軒先を借りて寝るという。最近では同好の人々もでき、原っぱに寝袋を並べて寝るようにもなった。
人間というものはごくあっさりと死ぬこともあるものだ。筆者は最近心筋梗塞で突然倒れた男が、そのまま静かに死んでいった事態を目のあたりにして、人間の命のはかなさに感じ入るとともに、自分も死ぬのなら、こんな風に穏やかに死んでいきたいと、なかばうらやましく思ったことがあった。
筆者の今の職場は総勢50人ばかりの世帯、構成員の殆どは女性である。それも年配の女性、いわゆる熟女が多い。直前に勤めていたところは300人近い従業員の全部が男だったから、えらい様変わりといえる。
介護の現場において、ロボットの果たす役割がこれまで以上に多彩になってきそうだ。ただに身体的な面の介護にとどまらず、認知障害のような精神作用にかかわる介護も日程に上ってきたらしい。まだまだ人間のヘルパー並というわけにはいかぬが、主人の基本的な行動パターンを覚えこんで、それから逸脱するような行為に対し警告を発するくらいのことはできるまでになったそうだ。
1980年代に、台湾や沖縄諸島から本州へ渡り飛ぶ蝶のいることが確認されて、大きな話題となったことがあった。アサギマダラという大型の蝶で、もともと本州でも確認されていたものだが、それが1000キロ以上もの距離を飛んで、南西諸島から本州へと渡っていることは意外な発見だった。
普段日記をつけている人は大体、大晦日の記事には、その年一年間の出来事を振り返らせるものだろう。それは世界や日本の出来事であったり、また自分自身にかかわる節目の出来事だったりするだろう。あの荷風散人も、毎年大晦日には決まって一年間を振り返り、それを自分なりに総括して、時には反省めいた言葉を添えていたものだ。
その例に従って、筆者も今年一年を振り返ってみよう。
今年2009年の元旦は、朝からからりと晴れ渡った空が、新年の門出を清々しく飾ってくれた。多少風は吹いていたが、まあまあの日和だった。今年一年が、このように順調に進むことを願わずにはいられない。
気の置けない人びとと一堂に会し、杯を酌み交わしながら清談に耽る、これほど人生に色を添えてくれるものはない。この日もそんな人びとと一夜を共にする機会に恵まれた。先日羽田でアナゴ料理を食った仲間だ。
昨日(1月16日)、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立った旅客機がエンジン・トラブルを起こし、ハドソン川に不時着するという事故が起きた。飛行機には合せて155人が乗っており、一歩間違えば大惨事になったところを、全員救出されたという。
アンドリュー・ワイエス Andrew Wyeth といえば、まるで写真のようにリアルなタッチの絵を描き続けた画家だ。それも水彩絵具やテンペラといった、現代アートではマイナーな画材を用いた。その世界は風景にしろ、人物にしろ、どこか郷愁を誘うようなところがある。日本人にとってもなじみの深い画家だ。この年末年始には渋谷の文化村で展示会が開かれていたから、見に行った人も多いことだろう。
昨夜は少年時代からの友人と久しぶりに会って一杯やった。場所は船橋の繁華街の中の小さな路地に面した加賀屋という赤提灯である。過去に何度かひとりで入ったことがあり、その度に居心地の良さを感じたので、自分の分身のような気の置けない男と二人で飲むには、ちょうどよい空間だろうと思って、この店を選んだ次第だ。
世界中のレストランに星をつけて格付けすることで知られるミシュランのガイドブックが、東京のレストランを高く評価して世界中に紹介したのは昨年のことだったが、今度は日本全国の観光地の中から、外国人が訪れたくなるような場所を選んで格付けし、ギド・ヴェール日本観光版として、今年3月に発表するそうだ。
先稿では筆者の職場の魅力ある女性たちを讃えて「豊穣たる熟女たち」と呼んだ。その彼女たちと遅ればせながらの新年会をかねて、秋葉原の和食屋車力で小宴を催した。総武線の高架沿いにある小さな店である。これまでは縄暖簾のようなところでばかりで飲んでいたので、たまには洒落た店でやろうと思ったのである。
学生時代から仲の良い友人3人と久しぶりに会い、上野池之端の鰻料理屋伊豆栄に懇談した。もともと新年会のつもりだったのを、滅茶苦茶に多忙な男がいて、1月をやり過ごしてしまったが、まあ暦の上では立春を過ぎたばかりだから、別の意味で新年会といえなくもない。
パソコンのリカバリーを初めてやってみた。リカバリーというのは、パソコンがウィルスに感染するなどして、まともに動かなくなった事態を前に、パソコンにインストールされているプログラムや情報をすべて消去して、OSのソフトを再入力し、買ったときの状態に引き戻すことを言う。こうすることで、機能していない機械に、もう一度活躍の機会を与えるという意味がある。
東京の大田区といえば、機械金属産業関連の中小零細企業が集積しているところとして知られている。中小零細企業といっても侮ってはいけない。これらの企業は高度な技術と熟練を武器に、世界に冠たる日本のものづくりを、産後基盤の面で支えてきたのである。これらの企業の努力がなかったら、経済先進国としての日本の今日はなかったといってもよい。
筆者には「あひるの会」と称する愉快な仲間がある。その連中と久しぶりに田町の「道灌かがり」という店に集まり、小宴を催した。メンバーの大部分が集まるのは、一昨年の暮れに台湾へ旅行して以来である。今回はメスのあひるが2羽、オスのあひるが7羽、計9羽集まった。
勤め人であれば、気の合わない連中とも付き合わねばならぬし、時にはまずい酒も飲まねばならない。だから定年を迎えて遠慮のいらない立場になると、そういうまずい付き合い酒は一切避けて、ほんとに気の会った連中ばかりと飲むようになる。
先日アメリカジョージア州で、ある団体の幹部四人が自殺幇助の罪名で告訴され、大きな話題を呼んだ。団体の名は「最後の出口」Final Exit Network といい、生きることに絶望した人々に対して、自殺を助けることを目的に掲げている。ここ数年の間に、ジョージア州周辺で200人をこえるケースについて自殺幇助を行ってきているらしい。
筆者はムーバブルタイプ MovableTypeを使ってブログを運営しているが、2年半ほど前に3.3バージョンで開始して以来、これまでアップグレードを行ったことがなかった。というのも、シックスアパート社の説明によれば、結構面倒くさそうな感じがしていたからだ。
今日は2009年3月13日の金曜日だ。西洋人にとっては13日の金曜日は縁起の悪い日である。その縁起の悪い日が、今年は今日を含めて三日もある。こんなことはめったに起こらないかというと、そうでもなく、11年に一回の割合で起こるということだ。
昨日は3月13日を話題にしたから、翌日の今日は3月14日を取り上げよう。その3月14日といえば、世間普通の人にとってはホワイトデーである。先月もらったヴァレンタイン・チョコレートのお返しに、女性たちに飴玉を贈った男性も多かったことだろう。
イタリア・ヴェニスのラグーンにあるラザレット島で奇妙な骸骨が発見されたのは2006年のことだ。それは16世紀に埋葬された女性の骸骨で、両顎の間に大きなレンガを銜えていた。それが何を意味しているのか、2年間にわたって研究してきたフィレンツェ大学のマッテオ・ボリーニ Matteo Borrini 教授が、このたびその意味を明らかにした。この骸骨は吸血鬼 Vampire だったというのだ。
以前いた職場で一緒だった連中と、久しぶりに亀戸の大安という店に集まって飲んだ。今年で定年を迎えるものがいるので、その卒業祝いと、昇進試験に合格したものの祝いを兼ねて、集まった次第だ。
例の「豊穣たる熟女たち」と本八幡の「うえだ別館」で小宴を催した。この界隈では、人気のある割烹料理屋だそうだ。だが神田岩本町を根城にしているものが、何故市川の本八幡まで足を運んだかといえば、それには多少のわけがある。
アメリカ・ニュージャージー州で、14歳の少女が自分のヌード写真を携帯サイト上に公開したことを理由に逮捕された。児童ポルノの取り締まりグループが、ネット上の捜索をしている最中に発見したことがきっかけだった。
経済不況が世界規模で拡大し、どこの国の人々も、所得の減少はもとより、職そのものを失う事態まで拡大している。こうした風潮の中で、人々の財布の紐はいやおうなしにきつく締められようになり、消費はかつてない冷え込えこみをみせている。
平成二十一年四月十一日(土)晴。横・今の二子と上海・蘇州へ小遊せんと欲す。余少年の頃より漢籍に親炙し、李杜毛詩を空んじつる外十八史略の類に拠って中国史の概要を学びたれど、未だ中国本土を訪れしことなし。還暦を過ぎて些か閑暇を得たるを以て、ここに宿年の思ひを果たさんとするなり。幸ひ同行するものを得たれば、多少は快適な旅となるべし。
四月十二日(日)晴。ホテルの部屋は黄浦江に面せり。起床して八階なるその部屋より黄浦江を見下ろすに、霞がかりたる水面には夥しき数の貨物船行き交ひてあり。観光船の便宜を図りて夜中から早朝にかけて運行するものの如し。
四月十三日(月)陰、時に雨。この日は蘇州観光をなす。蘇州は古くから江南呉の都として大いに繁栄せるところなれば名所旧跡多し。しかも水の都にして、運河網の目の如く走り、風光頗る明媚なり。かつてこの地を訪れたるマルコ・ポーロが東洋のヴェニスと讃へたることはいふまでもなし。
四月十四日(火)陰。朝食を喫せし後八時頃ホテルを出づ。今日は李あらざれば、余らのみにて気ままな散策を楽しまんとするなり。
筆者が職場の豊穣たる熟女たちと折節に飲んでいることは、このブログでも何度か言及してきたが、この度はメンバーを少し拡大して、六人の熟女たちと本所吾妻橋のもつ焼屋「稲垣」で飲んだ。いつもの三人に加え、サブリーダー役の三人を加えた次第だ。
Japan Times の Web 判を覗いていたら、オンライン翻訳ツールに関する面白い記事が目に付いた。東大の影浦峡氏らのグループが四月に立ち上げた「みんなの翻訳」というサイトを紹介したものだ。ここにビルトインされている QRedit というツールを使うと、Web 上に公開されている英語の記事を、オンラインで効率よく翻訳できるという。