乳母の計らいで二人きりになれたロメオとジュリエットは、甘美な初夜を明かした後、朝を迎える。それは普通の朝ではない。朝日はいまや犯罪人になったロメオにとって、衆目に姿をさらすことを意味し、それは自身の死につながることを意味する。生きながらえるためには、ふたたび闇の世界へと逃げ去らねばならない。

宇宙には新しい星が次々と誕生している領域がある。星の揺篭ともいうべきこうしたところが最近になって沢山見つかるようになったのは、NASAの研究が深まってきたおかげだ。上の写真(NASA)もそんな領域のひとつを捉えたもの。W5といって、地球からカシオペア座の方向に向かって6500光年の距離にある。
ルイ・アームストロングの歌から「素晴らしい世界」What a Wonderful World(壺齋散人による歌詞の日本語訳)
緑の木々 真っ赤なバラが
花咲くのは 僕らのため
なんて素晴らしい 世界なんだろう
ダンテ・ガブリエル・ロゼッティの詩から「真昼の野辺」SILENT NOON(壺齋散人訳)
君は手を広げ草の上に大の字になる
指先でノバラの花を確かめながら
君の瞳は穏やかに笑い 広々とした野原の上には
大空がまばゆく広がっている
ぼくらの周りには 見渡す限り
キンポウゲが銀色の綿をはためかせ
サンザシの垣根には野良ニンジンがまとわりつき
砂時計のようにゆったりと流れる時間

川越といえば店蔵の立ち並ぶ古い街並と時の鐘でよく知られている。佐原と並び関東地方では歴史的建造物が大規模に残っている数少ない街のひとつだ。その名声は全国に伝わっているようで、いつか四国を訪れた際、内子宿を案内してくれたガイドさんもその名を知っていたほどだ。
「春と修羅」の中の一篇「真空溶媒」は、いろいろな意味で宮沢賢治らしさが強く現れている作品だ。まず副題に、ドイツ語で「朝の幻想」とあるとおり、これは賢治の性癖であった幻想がテーマになっている。
宮沢賢治は自分の詩集を編むに当たって、配列を創作順にするのを原則とした。最初の詩集「春と修羅」の最初に収められた詩はだから、賢治の創作活動の出発点をなす記念すべき作品だということができる。その作品とは1922.1.6の日付を付せられた「屈折率」という詩である。
ポール・エリュアールの詩「見失ったもの」A perte de vue(壺齋散人訳)
木々 枝々 葉の繁み
根元には草むら 岩 重なり合った家々
遠くの海では君の瞳が泳いでいる
これらのイメージが日々新たに沸き起こる
美も醜も不完全だから
ポール・エリュアールの詩「愛の季節」La saison des amours(壺齋散人訳)
なぎさの道を通って
落ち着かない夢の中のひだのような影となって
ぼくは君のもとへやってきたよ ぼんやりとでしかないけど
デルタの時代を感じさせる君のもとへやってきたよ

日本では仲の良い夫婦をおしどりに譬えるが、西洋ではボタンインコを愛の鳥Lovebird といって、おしどり夫婦の代表選手としている。インコの仲間はだいたい夫婦仲がよいのだが、中でもボタンインコはいったんカップルが成立すると、生涯にわたって離れない、あらゆる行動を夫婦一緒におこなう、といった具合にうらやましいほど仲がよい。
三吏三別で民衆の塗炭の苦しみを歌った杜甫は、華州での地方官としての職を辞する決意を固めた。民衆の苦悩を前にして、自分もその原因を作っている一人だという自責の念が沸き起こるとともに、毎日が瑣末な決済に追われる職務に耐えられない気持ちを感じたからだろう。
無家別は戦いに駆り出されて家族を持つこともできなかった男の嘆きを歌ったもの。久しぶりに故郷に帰ってくると、どの家も荒れ放題、たった一人の家族たる母親も、苦労しながら死んでしまい、その遺骸は埋葬されることもなく朽ち果てようとしていた。これでは到底健民の境遇とはいえない。

ギネスブックから世界一背の高い人間の証明をもらったトルコ人男性スルタン・コーセンさんについては、先日このブログでも紹介した。そのコーセンさんと、これは世界一背の低い人間と認定された何平平(ハー・ピンピン)さんがトルコであったそうだ。(上の写真:AP提供)
初めて舞台に登場したときのジュリエットは、まだ幼さの残る少女であった。それがロメオとの恋に陥り、ロレンス神父の導きによって結婚の儀式を交わしてからは、成熟した女性へとドラスティックに変身する。成熟した一人の女としてのジュリエットは、女としての喜び、つまり性的な恍惚と結婚のもたらす豊穣を求めずにはいられない。
ロメオとジュリエットがバルコニー越に対面する場面は、この劇の、恋愛劇としてのハイライトシーンだ。二人の若い恋人たちが愛の言葉を交し合うこの場面は、おそらく人類が恋愛というものに関して抱いてきた、もっとも崇高な感情を盛り込んだものとして、未来に渡って引き継がれていくことだろう。
学生時代の仲間三人と両国でふぐを食った。松子がふぐを食いたいというのでわざわざ設定したものだ。昔本所の事務所に勤めていた折、よく利用した店があったのでそこにしようかと思ったのだが、どうやらすでに廃業していまはないらしい、そこで両国駅前のたらふくという店に予約した。

松風は、熊野松風に米の飯といわれるように、古来能としても謡曲としても人気の高かった曲だ。在原行平の歌をベースに、行平の恋の相手であった海女松風村雨の切ない思い出語りを、源氏物語須磨の巻の雰囲気を借りてしみじみと演出したものだ。また終わり近くでは、松風が狂乱状態で舞うなど、構成に変化があって、観客は飽きることがない。
ルイ・アームストロングの歌から「ハロー・ドリー」Hello, Dolly(壺齋散人による歌詞の日本語訳)
ハロー・ドリー そうさ ハロー・ドリー
きみが戻ってきてくれてよかったよ
きみはすてきだ ほんとさドリー
きみは輝いてる きみはさえずってる きみはいきいきしてる
まったくすばらしいよ きみが戻って
バンドの連中も歓迎の挨拶をしてるよ
ようこそごきげんよう こちらにおいでなさい
もう二度といかないでねって
ルイ・アームストロングの歌から「進めやモーゼス」Go Down Moses(壺齋散人による歌詞の日本語訳)
進めや モーゼス
エジプトの地を
ファラオに告げよ
レット・マイ・ピープル・ゴー
ダンテ・ガブリエル・ロゼッティの詩から「初夜の眠り」NUPTIAL SLEEP(壺齋散人訳)
ついに彼らは接吻をやめた 甘いうずきとともに
嵐が過ぎ去った後に軒端から落ちる
最後の一滴の水が残す余韻のように
二人の胸には静かな鼓動がこだました
二人はその胸を離しあい 束ねられたバラの
花束がほころびるように 別々に横たわった
それでも二人の唇はなお赤く燃えて
互いに求め合っては再びの結合を求めるのだ
本日
昨日

最近のコメント