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芸能と演劇的世界



2006年12月04日

説経:語りの芸能

今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった。徳川時代の前半に刊行された版本が数点残っており、それが書物として流通してもいるので、わずかにそれを頼りに雰囲気の一端に触れることができるばかりである。それでも、説経というものが持っていた、怪しい情念の世界が、現代人にも激しい感動を呼び起こす。日本人の意識の底に、澱のようにたまっている情動のかたまりが、時代を超えて反響しあうからであろう。

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2006年12月05日

さんせう太夫(山椒大夫―安寿と厨子王の物語)

説経「さんせう太夫」は、高貴の身分の者が人買いにたぶらかされて長者に売られ、奴隷として辛酸をなめた後に、出世して迫害者に復讐するという物語である。高貴のものが身を落として試練にあうという構成の上からは、一種の貴種流離譚の体裁をとっているが、物語の比重は、迫害を受けるものの悲哀と苦しみに置かれており、故なき差別や暴力への怨念に満ちたこだわりがある。

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2006年12月06日

説経「をぐり」(小栗判官)

現存する説経本のなかでも、「をぐり」は筋立てが変化に富んで、場面の展開がスピーディーであり、また登場人物の情念が生き生きと描かれてもいるので、現代人にもわかりやすく、面白い作品である。そんなことから、ボートシアターの公演や、スーパー歌舞伎にも取り上げられ、大いに成功を収めたほどだ。

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2006年12月07日

ボートシアター公演 「小栗判官照手姫」

いまではユニークな仮面劇で知られる横浜の劇団ボートシアターが、説経「をぐり」に題材をとって、「小栗判官照手姫」を上演したのは、1982年のことであった。その様子はテレビでも放映され、現代人の共感を勝ち取ったものだ。ボートシアター劇団は、その後もこの演目を機会あるごとに上演し、海外においても成功を収めてきたという。この成功に触発されてか、歌舞伎でも、小栗判官の物語をとりあげたほどだ。

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2006年12月11日

説経「かるかや」(刈萱―中世人の遁世観)

説経「かるかや」は、遁世者をテーマにした語り物である。遁世者とは、故あって俗界の縁を断ち切り、高野山を始めとした大寺院に身を隠すことによって、別の生を生きようとした者どもをいった。髪を剃って寺に入るといっても、僧侶になる訳ではない。寺院の片隅に身を寄せ、懺悔をすることで、それまでの因業から開放され、聖の末端に連なって、生き返ることをのみ望んだ。

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2006年12月12日

説経「しんとく丸」(観音信仰と被差別者の絶望と救済)

説経「しんとく丸」は、継母の呪によって宿病に侵された者の、絶望と救済の物語である。宿病のなかでも癩病は、近年までも厳しい差別にさらされてきたのであるが、中世においては、それこそ禁忌の対象として、社会からの追放と孤立を意味した。こうした境遇に陥った主人公が、天王寺を舞台にして、女性の献身的な愛と観音の霊力によって救われるという物語である。

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2006年12月13日

愛護の若(恋の遺恨と救いのない漂泊)

愛護の若は、五説経の一つに数えられているが、ほかの四つの古い説経に比べると、体裁や内容に幾分かの相違を認めることができる。まず体裁であるが、現存するもっとも古い正本(寛文年間八太夫刊)でも、浄瑠璃と同じく六段ものになっており、この説経が比較的新しいことを物語っている。

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2006年12月14日

説経の節回し(哀れみて傷る)

説経がどのような節回しを以て語られていたか、説経の伝統を継ぐ者のいない今日においては、詳しく知るすべがない。謡曲や浄瑠璃など、今日においても演者が存在する芸能のうち、説経と接点を有するものを手がかりに、その実態にせまる試みがあってもよさそうであるが、いまのところそのような業績もないようなので、筆者のような門外漢には、はたと判らずじまいなのである。

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2006年12月18日

幸若舞の世界(人間五十年 夢幻の如くなり)

「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」 これは、幸若舞「敦盛」の一節、信長が桶狭間の合戦に赴くに際して、謡いかつ舞ったとされるものである。信長は、この一節に人間の転機というものを感じ取り、勇み立って出陣したといわれる。

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2006年12月19日

幸若舞「百合若大臣」(日本版「オデッセイ」の物語)

太宰春台がいうとおり、幸若舞の曲数はさして多くはなかったと思われるが、それでも、今日五十曲ばかりが伝えられている。それらは、幸若舞の独創にかかる創作というのではなく、ほとんどは、平家物語をはじめとした口承文芸や各地の伝説に題材をとったものであり、説経や浄瑠璃と同じようなテーマを取り上げたものである。

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2006年12月20日

浄瑠璃の成立と発展

浄瑠璃は、今日では文楽一座に細々と命脈をつないでいるのみだが、江戸時代においては、歌舞伎とならんで、民衆芸能の代表格であった。とりわけ、元禄の頃から十八世紀半ばにかけては、歌舞伎をしのぐ人気を誇り、人形芝居のみならず、その伴奏音楽も庶民の間に浸透した。

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2006年12月21日

古浄瑠璃の世界

浄瑠璃は、元禄の頃竹本義太夫という名手が出現し、これに近松門左衛門という天才作家が詞章(台本)を提供することで完成期を迎えた。その後18世紀半ば頃までは、日本の演劇を代表するものとして、歌舞伎などほかの芸能を圧倒する人気を誇ったのである。

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2006年12月25日

平曲と平家語り(平家物語の成立と琵琶法師たち)

平家物語は、中世から近世にかけて、琵琶法師と呼ばれる盲僧たちによって、全国津々浦々に語り歩かれた。この国の口承文芸の中でも、とりわけて大きな流れをなしてきたものであり、能をはじめほかの文芸に及ぼした影響も計り知れないものがあった。また、口承の文芸というにとどまらず、読み物の形でも広く受容された。いわば、この国の民族的叙事詩ともいうべきものなのである。

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2006年12月26日

太平記読み(太平記の成立)

太平記は、平家物語とならんで、軍記物の代表とされている。後醍醐天皇の即位と北条氏の滅亡、南北朝の動乱から足利氏による天下平定までに至る、戦乱の世を描いた作品である。客観的な歴史認識というよりは、怒涛のように激しく移り変わる世の有様を、まさに同時代を生きた当事者の目を通じて描いている。この臨場感が、作品に生命を吹き込み、聞く者読む者をして、感動せしむるのである。

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2006年12月27日

バサラ(婆娑羅)の時代:太平記の世界

太平記の魅力の中でも最も大なるものは、後醍醐天皇を頂点として、登場人物たちが実にユニークであることだ。日本の長い歴史の中で、こんなにも短い期間に、かくもエネルギーに満ちた人物がひしめき合った時代は、そう多くはない。しかも、権力者にとどまらず、社会のあらゆる層に、そのような人物を見出すのである。

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2006年12月29日

婆娑羅大名・佐々木道誉(太平記の世界)

太平記の世界を吹き抜けたバサラ(婆娑羅)の風を、一つの言葉に凝集せしめようとすれば、それは佐々木道誉という名であろう。道誉は動乱に明け暮れたこの時代にあって、悪党たちのトレードマークともいうべき異形の姿で人の目を抜き、華美豪奢浪費三昧の振舞で世の物指をくつがえし、あらゆる権威を超越するかの如き不敵さが、世人をして婆娑羅大名といわしめた。様々な意味で、いかがわしさに満ちていたこの時代を象徴する人物である。

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2007年01月15日

楠木正成とは何者か(太平記の世界)

楠木正成は、太平記の群像の中でもとりわけ異彩を放ち、時代のヒーローとして描かれている。南朝方の武将の中で、正成ほど敵を震え上がらせたものはない。戦いぶりといい節度といい、その生き様は、足利方の視点から書かれた「梅松論」においてさえ、あっぱれと賞賛されている。また、戦前の権威主義的な教育にあっては、忠君愛国の士と称揚され、皇居前広場に銅像が立てられたほどであった。

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2007年01月16日

跳梁する悪党たち:中世的世界の形成

石母田正の労作「中世的世界の形成」は、伊賀国黒田荘を舞台に、東大寺による古代的な荘園支配が揺さぶられ、荘民たちによる権力の略取と自立を求める過程を描き出していた。やがては、この動きの中から、古代的な支配体制に替わる、封建的な仕組が生まれてくるのであるが、石母田はそこに、中世的世界の形成を読み取ったのであった。

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2007年01月17日

飢人投身事(太平記の世界)

太平記の時代は、日本の歴史のうちでも、まれに見る動乱の時代であった。権力をめぐる争いが全国規模で展開されたと同時に、古い秩序が瓦解し、人々の生活基盤ががらりと変わりつつあった。このような世にあっては、勝ち組、負け組みの差が歴然となり、人は勝ち残ろうと欲すれば、悪党たちのようにたくましくならないではおれなかったろう。

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2007年01月18日

白拍子:祇王と仏御前(平家物語)

白拍子は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて栄えた芸能の一種である。散楽から派生した諸々の芸能とは異なり、独自の歩みをたどったものらしい。平家物語は、祇王や静御前ら当時の有名な白拍子を描いており、一つの時代を画した遊女のあり方だったように思える。

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