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日本文化考



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2006年11月01日

子規の埋葬談義(死後をめぐって)

正岡子規の随筆に、「死後」と題する一篇がある。死の前年、明治34年の2月に書かれた作品である。晩年の子規は、20台半ばにかかった結核がもとで脊椎カリエスを患い、常に死と向かい合った毎日を送っていた。カリエスが悪化して、腰に穴が開くほど苦しい目にあいながら、結核菌が頭脳を明晰にしたためか、創作意欲は衰えることなく、「病床六尺」を始めとして、死に至るまで名品を生み出し続けた。そんな子規が、自分の死を、埋葬に事寄せて語ったのがこの作品である。全篇に子規持ち前のユーモアがあふれ、実にすがすがしい読後感をもたらしてくれる。

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2006年11月03日

日本における火葬の始まり(柿本人麻呂の挽歌)

日本における火葬は、文武天王4年(西暦700年)3月に僧道昭を荼毘に付したのが始まりであると、続日本紀の記録にある。大宝2年12月(703年1月)には、持統天皇が歴代の天皇としてははじめて火葬にされ、天皇の孫だった文武天皇、同じく孫の元正とその母元明の両女帝もまた火葬に付された。これ以後、天皇が火葬されるのは、後鳥羽上皇や北朝の各天皇など、一部の例をのぞけば、なされなかったのであるから、8世紀初頭のこの時代は、火葬が一種の文化現象だったことが、察せられるのである。

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2006年11月28日

日本の埋葬文化(埋葬の諸形態と歴史的変遷)

先稿「子規の埋葬談義」の中で、埋葬の諸形態について触れ、別稿では、日本における火葬の始まりについて述べた。子規自身は土葬されたように、明治の半ば頃までは、日本人の埋葬は土葬が圧倒的に多く、火葬は一割程度だったとされる。それも京都などの既成の大都市や、真宗地帯に偏っており、殆どの人は土葬されていたのである。

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2006年11月29日

日本人の死生観と他界観

死者をどのように埋葬するかは、民族の死生観や他界観にかかわることであり、その民族の文化の根本をなすものである。肉の復活の思想を根底に置くキリスト教文化においては、遺体は丁寧に飾られて、来るべき復活に備える。遺体を損傷するなど許されざるタブーである。一方、輪廻転生のなかで魂の実体を信ずるインド文化においては、遺体そのものは重大な関心事にならない。

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2006年11月30日

子どもの死と葬送

子どもの死ほど悲しいものはない。また、子どもの葬儀ほど、みて痛々しいものはない。火葬に付しても、七つ八つくらいまでの小さな子は、骨が十分に発達していないから、あっという間に焼けてしまい、あとには灰しか残らないこともある。それでも、子を失った親たちは、遺灰を小さな壺に収めて家族の墓に葬り、やがては自分たちも一緒に入るよと、その冥福を祈るであろう。

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2006年12月01日

閻魔大王と死者の蘇生(中世人の仏教的死生観)

誰しも子どもの頃に、「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれる」といって、親や兄弟から脅かされた経験があることだろう。人は死ぬと閻魔大王の裁きを受けて、極楽へ行けるか地獄へ落ちるか、振りわけられる。その際に、人の罪状のうちにも、うそというのはもっとも罪が重いもので、たんに地獄へ落ちるにとどまらず、舌まで抜かれてしまうというのである。

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2007年10月04日

日本人の墓

今日われわれ日本人の間に普通に行われている墓の形式は家族墓と呼ばれるものである。寺院あるいは公共の墓地の一角に墓石を立て、その表面に○○家の墓と標すのがもっとも一般的だろう。墓石の下には納骨用のスペースが設けられていて、そこに壺に収めた骨を埋葬する。数世代が眠るには適した空間だ。

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2007年10月27日

古代日本の婚姻と家族:母系社会と通い婚

古代日本における婚姻と家族のあり方が、近年まで支配的であった嫁取り婚、つまり女が男の家に嫁ぐといったあり方とはかなり様相を異にしていたことは、文献その他を通じて広く理解されるようになってきた。

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日本人の性愛・婚姻・家族と男女のあり方

人にとって生きる喜びはセックス、つまり男女の交わりに発する。人に限らずあらゆる生き物にとって、繁殖は己の存在を超えて種の保存につながるものだ。どんな生き物でも、それに自分の存在の殆どをかけて格闘している。植物もそうだ。動物もそうだ。これは2倍体として生まれたものの宿命のようなものなのだ。だから神の摂理は、生き物たちのために、生殖の営みに生きる喜びを与え給うたのだ。

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2007年11月03日

古代人の結婚式:婿取り婚の儀式

古事記の中に、山幸彦(火遠理命)が海底で海神の娘豊玉毘賣命と結ばれ、結婚式の執り行われる様子が描かれている。

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2007年11月10日

遊女の社会史:日本売春文化の始まり

かつて東欧の社会主義体制が崩壊して経済が一時的に混乱状態に陥ったとき、いち早く復活したものに売春があった。社会主義体制のもとでは基本的にありえなかったこの職業を、当時のジャーナリストたちは人類最古の職業が復活したといって、皮肉っぽく紹介していたものだ。

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2007年11月17日

男色と日本人

男色といえば、キリスト教文化圏においてはとかく白眼視され、変態であるとか性的倒錯であるとかいって、社会的迫害の対象とされてきた。だが歴史的にこれをみれば、男色に寛容な社会はいくらでもあった。日本もまたその例にもれない。

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2007年11月24日

日本の食文化

地球上に興隆したどんな民族にとっても、その生存の基盤となるものは食の体系であった。動物において食の連鎖が種の保存の基礎をなすのと同じである。特定の食の連鎖が崩れたとき、その一端につながる種が滅びることがあるように、どんな民族も安定した食の体系が確保できなければ、生き残ることは出来ない。

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2007年12月01日

古代日本の食物:縄文・弥生時代の主食と副食

縄文時代から弥生時代の古代日本人が、おもに何を食べていたかは、貝塚や集落遺跡の調査を通じて次第に明らかにされつつある。

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平安時代の食生活:和名類聚抄から読み取る

平安時代の日本人は何を食べていたか。日本人は古来、食生活を軽んじて、これを詳細な記録に残すということをしなかったので、詳しいことはわからないが、幸い平安時代中期(10世紀前半)に編纂された辞書「和名類聚抄」が、当時の食物や調理に関する項目を設けているので、これを通じて平安時代の食生活の一端に触れることができる。

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2007年12月08日

中世日本の食生活:日葡辞書と宣教師報告

日本の中世は普通、院政期から織豊時代までをさし、非常に長い期間をカバーしているので、一律に論ずることはできない。しかも南北朝時代を境に、日本の文化のあり方がドラスティックに変化したとされるので、なおさら一つの時代区分として論ずることは危険である。

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2007年12月13日

味噌と醤油:和食の味と歴史

どのような民族も、食事について固有の味の文化を持っている。食べ物の味を構成する要素は、甘(甘さ)、酸(酸味)、苦(苦さ)、鹹(塩辛さ)、辛(辛さ)の五つであるといわれているが、各民族はこれらの味をさまざまな食材から取り出して調味料として用い、自分たちの味を作ってきた。そして、味の決め手となる調味料の組み合わせを、長い歴史の中から選び取ってきたのである。

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2007年12月22日

日本人と食用油:油料理の歴史

油を用いた料理は、今日の日本人の食卓には欠かせないものである。中華風あるいは欧風料理はもとより、和風の料理にも天麩羅はじめさまざまなところで油がもちいられる。飽食の時代といわれる中で、その過剰摂取が健康に及ぼす悪影響が懸念されるほどである。

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2007年12月29日

日本的宴会と本膳料理

どの民族も、宴会を巡る文化というものを持っているものだ。宴会を催すには、目的とする行事があり、酒食の体系があり、そして宴会のしきたりとしての儀礼がある。日本もまた例外ではない。日本人は古来、宴会を「うたげ」と称し、節々の行事に合わせてとりおこなってきた。

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2008年01月05日

式三献:日本型宴会儀礼の原点

現代日本人の間で行われている宴会は、主催者の挨拶と主賓の礼辞に始まり、乾杯を経て酒宴があり、最後は手締めで散会となる。酒宴の合間には時に応じて芸者の芸や、参会者の下手な余興が披露されて、参加する者たちの退屈を紛らわしたりするものだ。

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