ミハイル・バフチーンのラブレー研究
ミハイル・バフチーン (Михаил Михайлович Бахти́н 1895-1975) の名は、日本の知的文化(そんなものがあるとすればだが)の中では、存在しないも同然だが、20世紀前半におけるヨーロッパの知的文化の中で、ひときわ大きな光芒を放ったユニークな思想家である。
ミハイル・バフチーン (Михаил Михайлович Бахти́н 1895-1975) の名は、日本の知的文化(そんなものがあるとすればだが)の中では、存在しないも同然だが、20世紀前半におけるヨーロッパの知的文化の中で、ひときわ大きな光芒を放ったユニークな思想家である。
ルネッサンスの時代は、ヨーロッパの歴史において、中世から近代への橋渡しをなす時代とされている。続いて起こる宗教改革と並んで、この時代に近代社会の秩序となるものが形成されてくるという歴史認識は、今日揺るぎのないものとなっている。したがって、ルネッサンスの時代は、主として近代との連続性においてとらえられてきたのであった。
ラブレーの作品世界を特徴付けている最大のものは、祝祭性である。ガルガンチュアとパンタグリュエルのいくところ、至る所にカーニバルの祝祭的空間が広がり、道化や、洒落のめしや、遊戯や、権威のひっくり返しや、ありとあらゆる滑稽な見世物があり、しかもそれらは笑いで満ち満ちている。
フランソア・ラブレーの大年代記「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」第一之書は次のような序詞で始まっている。
フランソア・ラブレーの作品には、糞尿のイメージがいたるところにあふれている。ラブレーの作品を糞尿(スカトロジー)の文学とする見方も成り立ちうるほどである。
フランソア・ラブレーにおいて、セックスにかかわる事柄は、何よりも生殖の豊穣さと結びついていた。男女が性的に交わるということは、新しい生を生み出すための行為なのであり、世界を絶えず更新させていくための、大いなる営みとみなされていた。
バートランド・ラッセルのいうとおり、ルネッサンスは時代の思想を集約するような偉大な理論的哲学者は一人も生んでいないが、時代全体としては、人間の世界観を180度転換するような巨大なうねりに満ちた時代であり、トータルとしてみて、新しい思想の体系がはぐくまれた時代であった。
ゲーテは「イタリア紀行」の中で、1788年に目撃したローマの謝肉祭の様子を描いている。(以下テキストは、相良守峯訳、岩波文庫版)
エラスムス Desiderius Erasmus (1467-1536) は、北欧ルネッサンスを代表するヒューマニスト(人文主義者)として、カトリック教会の堕落を告発し、ルターら宗教改革運動とも交流のあった人物として知られている。その著作「痴愚神礼賛」は、腐敗停滞した当時の社会を弾劾したものとして、ことのほかエラスムスの名を高めた作品である。
デジデリウス・エラスムス Desiderius Erasmus が「痴愚神礼賛」を書いたのは16世紀初頭の1509年、トーマス・モアの客分としてロンドンに滞在していたときであった。痴愚神のラテン語名Moriaeは、モアのラテン語表記 Morus に通じ、エラスムスはこの著作をトーマス・モアに捧げた。