メイン

中国古代の詩




2007年07月23日

中国古代の詩:古詩源から

「古詩源」は清代の学者沈徳潜の著した中国古代の詩歌拾遺集である。帝王の時代から隋の時代に至る古詩976篇を集めている。古詩を集めたものとしては、すでに古くから「文選」や「玉台新詠」などがあり、そのほかにも楽府歌辞を集めたものなどがあったが、沈徳潜は自分なりの考えに基づいてコンパクトな詩集を作ったのである。

続きを読む "中国古代の詩:古詩源から" »

2007年07月24日

采薇歌:伯夷・叔斉三皇五帝を思う

史記列伝は冒頭に伯夷伝を置いている。周の武王が武力を以て殷を討とうとしたのを、伯夷・叔斉は非暴力の立場から諌めた。しかしその声が聞き入れられなかったので、後に周の時代が到来すると、伯夷・叔斉はその世にあることを潔しとせず、首陽山に隠れ蕨を摘んで命をつないだ。

続きを読む "采薇歌:伯夷・叔斉三皇五帝を思う" »

2007年07月30日

項羽と劉邦:垓下歌と大風歌

中国4000年の歴史は数々の英雄たちの群像で彩られている。秦末に登場した項羽と劉邦は、そうした群像たちの中でもひときわ大きな光芒を放つ存在である。

続きを読む "項羽と劉邦:垓下歌と大風歌" »

2007年07月31日

漢武帝:秋風辞

漢の武帝は漢王朝五代目の君主として、漢を全盛時代に導いた。16歳で即位し、その在位期間は55年の長きに及んだ。北では匈奴が力を増し、外交上の緊張もあったが、この時代の漢はあらゆる意味で繁栄を誇ったといえる。

続きを読む "漢武帝:秋風辞" »

2007年08月06日

東方朔:誡子詩

東方朔は能の曲目にも取り上げられているから、日本人には古くから馴染みの深い人物である。能においては仙人ということになっているが、実在の東方朔は漢の武帝に仕えた侍従であった。

続きを読む "東方朔:誡子詩" »

2007年08月07日

李延年:絶世傾国の美人の歌

漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。

続きを読む "李延年:絶世傾国の美人の歌" »

2007年08月13日

蘇武:妻との別れ

蘇武は李陵とともに、漢武帝の時代に生きた武人である。天漢元年(紀元前100)、匈奴との和睦のために遣わされたが、匈奴の内紛に巻き込まれて抑留された。匈奴の単于に勇気を買われて帰順することを進められても節をまげず、生涯漢に忠節を尽くした。その姿勢が、愛国者としての蘇武のイメージを、長らく中国人の中に定着せしめてきたのである。

続きを読む "蘇武:妻との別れ" »

2007年08月14日

李陵:蘇武に与える詩

李陵は蘇武に遅れること1年後、匈奴との戦いに向かった。李陵を遣わした武帝は始め、李広利の輜重部隊として使うことを考えていたが、これに対し李陵自ら前線での戦闘を希望し、歩兵5000を授けられて北へと向かったのであった。

続きを読む "李陵:蘇武に与える詩" »

2007年08月20日

烏孫公主 劉細君

武帝の時代の漢は、絶えず匈奴と緊張状態にあった。漢は周辺諸国と積極的に同盟関係を結び、匈奴を牽制する策を用いた。そうした小国の一つに烏孫国があった。現在の新疆省にあたる地である。漢は同盟の証しに、王家につながる女性たちを嫁がせたが、その中に、後に烏孫公主と称される薄幸の女性がいた。

続きを読む "烏孫公主 劉細君" »

2007年08月21日

卓文君:白頭吟

卓文君は司馬相如との熱烈な恋愛で知られ、中国史上もっとも愛に忠実な女性だったということになっている。

続きを読む "卓文君:白頭吟" »

2007年08月27日

王昭君:怨歌

王昭君は烏孫公主同様、漢の政略結婚によって匈奴の王に嫁がされた薄幸の女性である。運命の過酷さから、中国人の間ではもとより、日本人にとっても同情の対象となってきた。古来能をはじめさまざまな分野でとりあげられてきたことからも、その同情の深さが察せられる。

続きを読む "王昭君:怨歌" »

2007年08月28日

班倢妤:怨歌行と趙飛燕

班倢妤は日本人にとっては、能「班女」の典拠となった女性の名として知られてきた。能においては、絶えず扇をつま繰る主人公の姿が、班倢妤を思い起こさせるというので、班女というあだ名を頂戴することになっている。本物の班女のほうも、自らを扇に見立てた怨みの詩を残しているのである。

続きを読む "班倢妤:怨歌行と趙飛燕" »

2007年09月04日

楽府歌辞:戦城南

楽府は、古体詩、近体詩と並んで中国の韻文の三大様式の一をなすものである。曲をつけて歌うものであることから、樂曲ともいうべきものであり、その詩文を歌辞といった。題名には、歌、行、引、曲、吟などの文字を冠したものが多い。

続きを読む "楽府歌辞:戦城南" »

有所思:古楽府

「有所思」は、男に裏切られた女心の悲しさを歌ったものである。贈り物のために鼈甲の簪(男子が髷を結うのに使うもの)を用意したが、男の心変わりを知ってそれを砕いて焼き捨ててはみたが、なおも男を慕う気持ちが抑えられない、そんな女心の悲しさがよく出ている歌である。

続きを読む "有所思:古楽府" »

2007年09月11日

上邪:古楽府

上邪もまた鐃歌の一つ。上邪とは天への呼びかけとも、あるいは愛するものへの呼びかけともうけ取れる。天への呼びかけとするなら、天に誓って自らの愛の強さを述べたとも受け取れる。

続きを読む "上邪:古楽府" »

2007年09月12日

腸中車輪転ず(古歌と悲歌:楽府歌辞)

中国語に「腸中車輪転ず」という言葉がある。腹の中で車輪が転ずるというのであるから、腹がひっくり返る、あるいはぎりぎりと揉まれる、そのような感じを表した言葉である。苦しくて、やりきれない、そんな煩悶がひしひしと伝わってくる。筆者などは、人間の苦悩を表現した言葉として、これ以上に迫力あるものを知らない。

続きを読む "腸中車輪転ず(古歌と悲歌:楽府歌辞)" »

2007年09月17日

曹操:却東西門行

曹操は三国志の英雄たちのなかでも、人気という点では分がない。蜀の劉備が関羽や張飛などの英雄たちとともに生き生きと描かれているのに対して、曹操には陰険なイメージが付きまとっている。戦いには滅法強かった曹操が、赤壁の戦いで呉の孫権の火責めにあって敗れたのを捕らえて、歴史上これを喝采しなかった者はいなかったほどだ。

続きを読む "曹操:却東西門行" »

2007年09月18日

曹丕:燕歌行

曹丕は曹操の庶子であったが、幼い頃から才能を示し、正室が死んでその母が曹操の正室につくと、俄然曹操の後継者となった。曹操自身は生前魏王を称し、漢の帝位を奪うことはしなかったのであるが、曹丕は父の死後漢の献帝に禅譲をせまり、自ら皇帝となる。

続きを読む "曹丕:燕歌行" »

2007年09月24日

曹植:七歩詩

曹植は曹操の庶子で曹丕の実弟である。少年時代から父に従って戦闘に従事し、また詩歌にも非凡な才能を示した。このため、曹操の後継者として目されたこともあったが、曹操が死に曹丕が後継者としての地位を確立すると、曹丕によって迫害された。

続きを読む "曹植:七歩詩" »

2007年09月25日

阮籍:詠懐詩(竹林の七賢)

阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。

続きを読む "阮籍:詠懐詩(竹林の七賢)" »




ブログ作者: 壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2006