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黍離:栄耀の移り変わり(詩経国風:王風)


詩経国風:王風篇から「黍離」を読む。(壺齋散人注)

  彼黍離離  彼の黍離離たり
  彼稷之苗  彼の稷の苗
  行邁靡靡  行き邁くこと靡靡たり
  中心搖搖  中心搖搖たり

  知我者    我を知る者は
  謂我心憂  我が心憂ふと謂ふ
  不知我者  我を知らざる者は
  謂我何求  我何をか求むと謂ふ
  悠悠蒼天  悠悠たる蒼天
  此何人哉  此れ何人ぞや

  彼黍離離  彼の黍離離たり
  彼稷之穗  彼の稷の穗
  行邁靡靡  行き邁くこと靡靡たり
  中心如醉  中心醉ふが如し

  知我者    我を知る者は
  謂我心憂  我が心憂ふと謂ふ
  不知我者  我を知らざる者は
  謂我何求  我何をか求むと謂ふ
  悠悠蒼天  悠悠たる蒼天
  此何人哉  此れ何人ぞや

  彼黍離離  彼の黍離離たり
  彼稷之實  彼の稷の實
  行邁靡靡  行き邁くこと靡靡たり
  中心如噎  中心噎(むせ)ぶが如し

  知我者    我を知る者は
  謂我心憂  我が心憂ふと謂ふ
  不知我者  我を知らざる者は
  謂我何求  我何をか求むと謂ふ
  悠悠蒼天  悠悠たる蒼天
  此何人哉  此れ何人ぞや

かつての宮殿は跡形もなく、それがあったところには黍が離離として穂を垂れ、稷の苗が連なっている、そこをゆけば歩みものろく、心中は搖搖とざわめくのみ、

わたしを知っているものは、わたしの心が憂いているといい、わたしを知らない者は、わたしが何を求めて悲しんでいるのかと問う、蒼天は昔のままに変わらずにあるが、かつての宮殿をこんな風にしてしまったのは、果たして誰だったのだろうか

かつての宮殿は跡形もなく、それがあったところには黍が離離として穂を垂れ、稷の穂が連なって茂っている、そこをゆけば歩みものろく、心中は酔っているかのように揺らいでいる、

わたしを知っているものは、わたしの心が憂いているといい、わたしを知らない者は、わたしが何を求めて悲しんでいるのかと問う、蒼天は昔のままに変わらずにあるが、かつての宮殿をこんな風にしてしまったのは、果たして誰だったのだろうか

かつての宮殿は跡形もなく、それがあったところには黍が離離として穂を垂れ、稷の実が連なって実っている、そこをゆけば歩みものろく、心中は咽ぶようにつらい、

わたしを知っているものは、わたしの心が憂いているといい、わたしを知らない者は、わたしが何を求めて悲しんでいるのかと問う、蒼天は昔のままに変わらずにあるが、かつての宮殿をこんな風にしてしまったのは、果たして誰だったのだろうか


周の平王のとき、都を西都から洛陽に移した。しばししてある者が旧都を訪ねると、かつて宮殿のあった地は廃墟と化し、そこには黍が一面に生えていた。その人はそのさまを見て、世の栄耀の移り変わりを感じ、そこに無常の念を抱いてこの詩を詠んだとされる。

離離とは穂が実って垂れ下がること、靡靡とはぐずぐずと遅滞すること、中心は心のことである。 


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