楚辞から屈原の歌「離騷」その二(壺齋散人注)
靈氛既告餘以吉占兮 靈氛既に餘に告ぐるに吉占を以てす
歴吉日乎吾將行 吉日を歴(えら)んで吾將に行かんとす
折瓊枝以為羞兮 瓊枝を折りて以て羞と為し
精瓊爢以為粻 瓊爢(けいび)を精して以て粻(ちゃう)と為す
靈氛が私によい占いを授けてくれたので、吉日を選んで出発しよう、玉の枝を折って采を作り、玉の粥を作って糧食としよう(瓊:玉、爢:おかゆ、粻:旅の糧食)
為餘駕飛龍兮 餘が為に飛龍を駕し
雜瑤象以為車 瑤象を雜へて以て車と為せ
何離心之可同兮 何ぞ離心の同じかるべき
吾將遠逝以自疏 吾將に遠逝して以て自ら疏(とほざ)けんとす
飛龍に車をひかせ、玉の象をまじえて車を作れ、離れた心はもう同じにはなれない、自分から遠くへ去って身を避けることにしよう
邅吾道夫崑崙兮 邅(めぐ)って吾夫の崑崙に道すれば
路脩遠以周流 路脩遠にして以て周流す
揚雲霓之晻藹兮 雲霓の晻藹(あんあい)たるを揚げ
鳴玉鸞之啾啾 玉鸞の啾啾たるを鳴らす
巡り巡って道を崑崙の方へとれば、道ははるか遠く、かつ曲がりくねっている、覆いかぶさった雲霓は旗のようになびき、玉鸞の声がか細く鳴く(雲霓:雲と虹、晻藹:隠蔽するさま、啾啾:こえに小さなこと)
朝發軔於天津兮 に軔(じん)を天津に發し
夕餘至乎西極 夕に餘西極に至る
鳳皇翼其承旂兮 鳳皇は翼(つつし)んで其れ旂(き)を承げ
高翱翔之翼翼 高く翱翔(かうしゃう)して之れ翼翼たり
朝に天の川の渡し場を出発し、夕には西方の果てにたどり着いた、鳳皇は旗を掲げて、高くさまよい戯れながら、和やかに私の車に従いついてくる(天津:天の川の渡し場、翱翔:浮遊すること、翼翼:和やかなさま)
忽吾行此流沙兮 忽ち吾此の流沙に行き
遵赤水而容與 赤水に遵ひて容與す
麾蛟龍使梁津兮 蛟龍を麾(さしまね)いて津に梁かけしめ
詔西皇使渉予 西皇に詔(つ)げて予を渉らしむ
忽ちにして流沙を過ぎ、赤水のほとりに逍遥す、蛟龍を呼んで津に橋をかけさせ、西皇に命じて渡るのを案内させた、(流沙:砂の流れる砂漠、赤水:崑崙から流れ出る川、容與:ぶらつくこと)
路脩遠以多艱兮 路は脩遠にして以て艱多し
騰衆車使徑待 衆車を騰(は)せて徑待せしむ
路不周以左轉兮 不周に路して以て左轉し
指西海以為期 西海を指して以て期と為す
道は長く遠く艱難が多い、そこで多くの車に近道を行かせ、自分は不周の方向へと左に行き、西海で落ち合おうと約束した(徑:近道、期:約束)
屯餘車其千乘兮 屯(あつ)まる餘が車は其れ千乘
齊玉軑而並馳 玉軑(ぎょくたい)を齊へて並び馳す
駕八龍之婉婉兮 八龍の婉婉たるを駕して
載雲旗之委蛇 雲旗の委蛇(いい)たるを載く
集まった私の車は千台、車輪を並べて進んでいく、我が車はくねくねとうねる八頭の竜にひかせ、ひらひらと雲の旗をなびかせて進む(軑:車輪の中心にあるくさび、転じて車輪、婉婉:うねうねとくねる:委蛇:ながくなびく)
抑志而弭節兮 志を抑へて節を弭(とど)め
神高馳之邈邈 神高く馳せて之れ邈邈たり
奏九歌而舞韶兮 九歌を奏して韶を舞ひ
聊假日以媮樂 聊く日を假(か)りて以て媮樂す
心を抑え、速度を控えて徐行しつつ、精神をはるばると高く馳せる、九歌を奏し、九韶を舞い、ゆっくり日を送ってのんびりと遊び楽しむ(弭:抑える、神:精神、假日:日を借りる、のんびりと日を送る)
陟陞皇之赫戲兮 皇の赫戲(かくぎ)たるに陟陞(ちょくしょう)し
忽臨睨夫舊郷 忽ち夫の舊郷を臨睨す
僕夫悲餘馬懷兮 僕夫悲しみ餘が馬懷ひ
蜷局顧而不行 蜷局として顧みて行かず
日の光の輝く皇天に上り、そこから故郷を眺め渡すと、従者たちは悲しみ、馬は故郷を慕い、何度も振り返っては前へ進まない(赫戲:陽光の輝かしいさま、陟陞:登る、蜷局:振り返りつつ進まないさま)
亂曰已矣哉 亂に曰く已(や)んぬるかな
國無人莫我知兮 國に人無く我を知る莫し
又何懷乎故都 又何ぞ故都を懷はん
既莫足與為美政兮 既に與(とも)に美政を為すに足る莫し
吾將從彭咸之所居 吾將に彭咸の居る所に從はん
乱にいわく、やんぬるかな、国には人材がなく、私をわかってくれる者もない、どうして故郷を思ったりできようか、もはや一緒に立派な政治をなす者もいないからには、あの彭咸のあとを追って、彼のいるところに行こう(亂:全体の意をまとめて述べる部分をいう、彭咸:先人の名、屈原同様君をいさめたが容れられず、最後には水に身を投じて死んだ、屈原の理想とした人物像である)
離騒の最後の部分を紹介した。主人公の正即すなわち屈原は、奸臣たちの讒謗に禍されて身の危険さえ感じる。そこで靈氛という巫女に占いをさせると、他国に遠遊するのがよいとの卦がでた。それでも決しかねていると、天からの使いが吉凶であるから従えと進める。
屈原は思い切って旅に出、天空をかけり、四極に遊ぶ。だがその途中ふと下界を見下ろすとそこには楚の国が見え、屈原は望郷の念に駆られる。
最後には、国に人なく、自分を理解してくれるものもいないので、いっそのこと彭咸の居る所(つまり冥界)にいってしまおうと決意を述べ、全編を締めくくる。