離婚すると、当事者には面倒なことが色々起こるものだ。子どもがいれば、どちらがどの子の親権を行使するかを巡って激しい争いが起こる。財産の分割をどうするかも、厄介な問題だ。
日本の民法では建前上夫婦平等が徹底しているから、子どもの親権をどうするかは、当事者の合意によって決まることになっている。財産については、結婚前から所有していた各自固有のものは別にして、夫婦生活を始めた後に獲得した財産は、双方が平等の権利を持つというのが常識である。
財産の中でも家は、最も大切なものだ。だから離婚したときに家をどう処分するかは深刻な問題となる。争いがもつれた場合には、処分して現金に変え、それを双方で分け合うというのが最も一般的なパターンなのだろう。
ところで先日、別れた夫婦が家の処分を巡って、一風かわった解決策を取ったというので、ちょっとした話題になった。カンボヂアでのことだ。
離婚することになったある夫婦が、自分たちで築き上げてきた財産を均等に分割することに同意した。この夫婦には子どもはいなかったから、金や物を二人で分け合おうということになった。ところが家は、そう簡単に処分できるものではない。他人に売り払ってしまったら、二人とも住むところがなくなる。
そこで、一軒の家を真ん中で切り分けて、互いに半分ずつ所有しようということになった。普通の感覚なら、建っている家を真ん中で仕切りして、互いに半分ずつのスペースを利用するように考えるだろう。ところが亭主のほうが、何を考えたか、文字通りに家の半分を切り取り、その材料を用いて別の場所で再建したというのだ。
いまどきの日本では、家を一旦ばらして再建するよりは、ゼロから建てるほうが安く上がる場合が多い。だがカンボジアでは、このようなことがまだ行なわれる余地があるらしい。おかげで家を半分切り取られた形の元妻のほうは、切り口にあいた大きな傷口に、目隠しを施して住み続けているそうだ。
この話に接して、筆者は思わず苦笑した。日本でも似たようなことが行なわれていないわけではないからだ。
公共事業のための道路用地の買収がそのよい例だ。計画線に接した用地は、いずれも権力によって強制的に買い上げられるが、買ってくれるのはあくまでも、計画線の内側にある土地だけだ。そのため計画線を跨いで立っている家は、一部しか買収の対象にならない。その結果、一軒の家が、計画線にそって切断される事態が生じる。
道路拡張現場に行くと、道路予定地に沿って、剥ぎ取られた部分にトタン板やコンパネを張り付けた家を多く見かける。それは上述のような事情が働いた結果なのだ。
道路を作っている役人の論理からすれば、買収にはそれ相応の補償が伴っているということなのだろうが、こうした家に住み続ける人々にもそれなりの事情があるのだろう。何もカンボジアの不幸なカップルにとどまる話ではない。
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