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野宿の思い出


先日NHKのテレビ番組が、野宿が好きだという変わった女性を紹介していた。この女性は27歳の若さだが、数年前から野宿の楽しみに取り付かれ、寝袋を担いでどこへでも出かけていっては、気に入った場所を選んで寝るのだそうだ。河川敷に寝たり、野っ原に寝たりするほか、天気の良くないときには建物の軒先を借りて寝るという。最近では同好の人々もでき、原っぱに寝袋を並べて寝るようにもなった。

野宿のどこが面白いのか。この問いに対しては、気の利いた答えはないらしい。何しろ自分の家の近所の空き地でさえ、野宿の場所になるそうだから。とにかく空の下で寝るのが痛快らしい。

それでもこの女性が野宿のポイントを選ぶときには、条件がある。まず付近にトイレがあること。これがないととても快適な野宿にはならない。次に安全であること。女性だから当然のことだろう。これ以外のことはたいてい我慢できるそうだ。

野宿するに際しては、悪天よりも好天のほうがよく、寝心地の悪いところよりは快適なところのほうが好ましい。だから雨風をしのぐために建物の軒先を借りることもあるし、場合によっては縁の下にもぐりこむこともある。それならいっそ家の中で寝ればよさそうなものを、と思うのは門外漢の僻目。不便と快適の間に横たわる矛盾と葛藤すること、そこに野宿の醍醐味があるという。

この人の野宿ぶりを見ていて、筆者は少年時代に体験した自分の野宿を思い出した。

中学3年生の夏休み、仲の良い友達と二人で日光の山を野宿しながら歩いたことがある。一緒にちょっとしたアルバイトをやって、それで稼いだ金で旅行したのだ。金はいくらでもなかったから、旅館に泊まることなどははじめから考えていなかった。行き当たりばったりに寝場所を求めて、自給自足しながら歩いていこうというつもりだった。

リュックサックの中身は米や缶詰などの食い物ばかりだった。上野から夜行列車に乗って、朝方日光の駅に着いた。霧がかかっていたことを覚えている。まず東照宮を訪れ、その後は大冶川の流れを遡って歩いた。後で芭蕉がかつて歩いた道とほぼ同じだということを知った。

この道筋で芭蕉たちが立ち寄ったのは裏見の滝だが、我々はその隣の寂光の滝というところで野宿することにした。滝の近くに小さな祠があって、適当な寝場所になりそうだった。トイレがなくても気にならないのは、まだ少年だったからだ。

渓流の水で飯を炊く。コンロなどは持参していないから、枯れ木を拾い集めて焚き火をし、その上に飯盒を載せるだけである。飯は決してうまく炊けたはずはなかったが、何とか食えた。焼き林檎の缶詰が無性にうまかった。

まだ日の沈まぬうちに、祠の床の上に上がって寝た。掛け物は薄手のタオルケットだけだ。通りがかった登山者が、「ヤッホー」といってくれた。

二日目は山の中をうろつきまわって中善寺湖に出た。どこをどう歩いたかよく覚えていない。ただ二人で藪の中にころがっていたら、アメリカ人の少女が突然現れて、我々の目の前で立小便をした。そして我々に向かって「グーッド」といった。

その晩は二荒神社の境内で寝ることにした。折から盆踊りのようなものが催されていて、敷地の真ん中に大きな櫓が立っている。我々はその櫓の下にもぐりこんだ。しかししばらくして大雨となり、我々の頭上にまで降ってきた。そこで雨をしのげる場所に逃げ込むことにした。門だったと思う。ちょうどその一角に藁を積み重ねた場所があったので、我々はその中にもぐりこんで寝た。藁はいい匂いがして、ほかほかと暖かかった。

思い出はまだまだ尽きない。こんなことを懐かしく思い出すのは自分が年をとったからだろう。かつて自分がしたことと同じようなことを他人がしているのをみると、無性に懐かしくなるものだ。

ともあれ、少年時代のこんな体験がもとになって、筆者も青空の下で寝ることが好きになり、山歩きをしてはキャンプという野宿を楽しむようになったものだ。


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