楚辞・九歌から屈原作「河伯」(壺齋散人注)
與女遊兮九河 女(なんじ)と九河に遊べば
衝風起兮橫波 衝風起こって波を橫たふ
乘水車兮荷蓋 水車に乘って荷に蓋し
駕兩龍兮驂螭 兩龍を駕して螭(ち)を驂(さん)とす
登崑崙兮四望 崑崙に登って四望すれば
心飛揚兮浩蕩 心は飛揚して浩蕩たり
汝と九河に遊べば、風が吹き起こって川面に波をたてる。水車に乗って、蓮の葉を車のふたとし、二頭の竜に引かせ、みずちを添え馬として、崑崙山に登って四望すれば、心はときめいて広がってゆくのだ。
日將暮兮悵忘歸 日將に暮れんとして悵として歸るを忘れ
惟極浦兮寤懷 惟(ただ)極浦を寤(あひ)懷ふ
魚鱗屋兮龍堂 魚鱗の屋と龍の堂と
紫貝闕兮朱宮 紫貝の闕(けつ)と朱宮と
日はまさに暮れようとするのに、喜びのあまり返ることを忘れ、ただ黄河の水辺を思うのみだ。そこには魚鱗で葺いた屋根と竜のうろこで作った堂があり、紫貝の闕と朱の宮殿がある。
靈何為兮水中 靈何為(なんすれ)ぞ水中なる
乘白黿兮逐文魚 白黿(はくげん)に乘って文魚を逐ひ
與女遊兮河之渚 女と河の渚に遊べば
流澌紛兮將來下 流澌は紛として將に來り下らんとす
神霊はなぜ水中にいるのだ、白い亀に乗って色鮮やかな魚を追い、汝と黄河の渚に遊べば、さかんな水の流れが沸き下ってくる。
子交手兮東行 子と手を交へて東行し
送美人兮南浦 美人を南浦に送れば
波滔滔兮來迎 波は滔滔として來り迎へ
魚鱗鱗兮媵予 魚は鱗鱗として予に媵(したが)ふ
汝と手を携えて東に行き、汝を南の川辺に送っていけば、波は滔滔として來り迎え、魚は鱗鱗として私につき従うのだ
河伯とは黄河の神をさす。この歌はその河伯が愛人とのひと時の逢瀬を楽しむさまを歌っている。内容からして祭祀歌とは言えず、むしろ恋愛歌であると受け取れる。
南方の楚の人が北方の黄河の神を歌ったのであるから、そこには宗教的な感情は込められず、このように男女の間をおおらかに歌うものへと変わったのだと、解釈されている。