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相次ぐ企業の採用内定取り消し


企業による新卒者の採用内定が、相次いで取り消されているという。背景にはこのところ深刻化してきた景気の低迷がある。業績悪化が見込まれる中で、人員を増やす余裕はないというのが、企業側の取り消しの理由だ。だが取り消される学生にとって見れば、険しい就職戦争の中でやっともらった内定通知を、あっさりと取り消されるのではたまったものではないだろう。この先代替の就職先が見つかる可能性も極めて少ない。

なぜこんなことが大手を振って行われるのか。原因は日本経済の低迷だけには帰せられない。この国の労働市場にいびつな部分があって、労働をめぐる需給のやりとりが近代的なシステムと結びついていないからだ。

成熟した労働市場とは、買い手と売り手とが平等の立場で交渉しあうようなシステムに支えられている。だから双方に責任が求められもする。企業は労働市場を通じて期待した能力の担い手を求め、労働者のほうは自分の能力に見合った待遇を求める反面、企業は雇用契約の維持に責任を持ち、労働者は自分の能力を高める努力をしなければならない。

ところがこの国ではいまだに、労使が対等に向かい合えるような労働市場が確立されていない。その結果企業は学生を一本釣りして、採用後企業内教育を施しながら、忠誠心の高い人材を育てていく。学生のほうは、大学で学んだことと、就職後のキャリアが結びついておらず、なかには自分の能力について自覚できないものもいる。

更に問題なのは、就職をめぐる企業と学生との間の力関係が、企業の側に一方的に傾いていることだ。学生のほうは労働市場というものを事実上通さないで、個別に企業と向き合う。それは裸で相撲をとろうとするのと同じことだ。なぜなら自分を守ってくれるシステム上の保障がないといっても良いからだ。

こういう風土の中では、企業には、学生の雇用に責任を持って臨もうと姿勢は期待できない。少しでも都合が悪くなると、平気で採用内定を取り消す。頭から労働市場の規律など問題にしていないから、そういうことをするのだろう。そういう企業は労働者に対して責任意識が薄いから、計画性を以て人材を確保しようとする発想にも欠けているのだろう。

内定といっても日本の風土のなかでは事実上正式の雇用契約と異ならない。なのにそれが簡単に破棄される。しかもダメージをこうむるのは学生ばかりというのが現実だ。

日本の社会においては、就職はいまだに、結婚と同じくらいの重要性を持っている。婚約を履行しなければ、そのものは社会的に大きな非難を浴びるだろう。ところが企業の中には、自分の義務を果たさないで恥じないものがいくらでもいる。

特に最近は、非正規雇用が蔓延するなかで、労働者の権利を軽んじる傾向が強くなってきた。そうした風潮が安易な採用取消につながっているのではないか。

採用を取り消された学生諸君には本当に気の毒だが、労働者の権利をないがしろにするような企業がずっと生き続けられるとは思えない。設けるのは企業ばかりでその利益は株主が回収し、労働者は消耗品として使い捨てでは、健全な社会が維持されるわけがない。


関連リンク:日本の政治と社会

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