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能「野守」:歌物語と鬼


能「野守」は、大和国春日野に伝わる伝承をもとに、世阿弥が書いたものと思われている。鬼の能であるが、和歌をテーマにして上品な体裁になっている。

平安末期の歌論書「奥儀抄」(藤原清輔撰)によれば、雄略天皇が春日野に狩をした際、鷹が逃げたので、その行方を野守に追わせたところ、鷹の姿が池の水に映っているのを見て探し当てた。それ以来、この池は野守の鏡と呼ばれるようになった。新古今集に読み人知らずとある歌「箸鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見ん」は、この池を詠んだのであると。

世阿弥はこの野守を鬼に見立てた。古来日本人にとって鬼とは、死者の怨念が亡霊となった者をさしたが、世阿弥はそれを仏教的な荒ぶる鬼とした。ただその鬼は人間に危害を加える者としてではなく、池を守る精霊のような者として解釈し直されている。

曲の前半では、野守の翁が池にまつわる伝承を語り、後半では塚から鬼が現れて勇壮に舞うというもので、構成は単純であるが、小気味よいテンポで演じられれば、なかなか見所に富んだ作品である。

舞台にはまず、羽黒山の山伏を名乗るワキが現れる。舞台後方には塚の作り物が据えられている。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ次第「苔に露けき袂にや。苔に露けき袂にや。衣の玉を含むらん。
ワキ詞「これは出羽の羽黒山より出でたる山伏にて候。われ大峰葛城に参らず候ふ程に。この度和州へと急ぎ候。
道行「この程の。宿鹿島野の草枕。宿鹿島野の草枕。子に臥し寅に起き馴れし床の眠も今さらに。仮寝の月の影ともに。西へ行方か足曳の。大和の国に着きにけり。大和の国に着きにけり。
詞「急ぎ候ふ程に。和州春日の里に着きて候。人を待ちてこのあたりの名所をも尋ねばやと存じ候。

そこへシテの翁が現れ、額田王の春日野の歌をもじって、自分が野守であることを紹介する。シテのいでたちは、笑尉の面に水衣である。

シテ一声「春日野の。飛火の野守出でて見れば。今幾程ぞ若菜摘む。
サシ「これに出でたる老人は。この春日野に年を経て。山にも通ひ里にも行く。野守の翁にて候ふなり。有難や慈悲万行の春の色。三笠の山に長閑にて。五重唯識の秋の風。春日の里に音づれて。真に誓も直なるや。神のまに/\行きかへり。運ぶ歩もつもる老の。栄行く御影仰ぐなり。
下歌「唐土までも聞えある。この宮寺の名ぞ高き。
上歌「昔仲麿が。昔仲麿が。我が日の本を思ひやり。天の原。ふりさけ見ると詠めける。三笠の山陰の月かも。それは明州の月なれや。こゝは奈良の都の。春日長閑けき気色かな。春日長閑けき気色かな。

ワキが、そこにある池のいわれを尋ねると、翁は野守の鏡だと答える。

ワキ詞「いかにこれなる老人に尋ぬべき事の候。
シテ詞「何事を御尋ね候ふぞ。
ワキ「御身は此処の人か。
シテ「さん候是は此春日野の野守にて候。
ワキ「野守にてましまさば。これに由ありげなる水の候ふは名のある水にて候ふか。
シテ「これこそ野守の鏡と申す水にて候へ。
ワキ「あら面白や野守の鏡とは。何と申したる事にて候ふぞ。
シテ「われら如きの野守。朝夕影を映し申すにより。野守の鏡と申し候。又真の野守の鏡とは。昔鬼神の持ちたる鏡とこそ承り及びて候へ 
ワキ「何とて鬼神の持ちたる鏡をば。野守の鏡とは申し候ふぞ。
シテ「昔此野に住みける鬼のありしが。昼は人となりてこの野を守り。夜は鬼となつてこれなる塚に住みけるとなり。されば野を守りける鬼の持ちし鏡なればとて。野守の鏡とは申し候。
ワキ「謂を聞けば面白や。さてはこの野に住みける鬼の。持ちしを野守の鏡とも云ひ。
シテ「又は野守が影を映せば。水をも野守の鏡と云ふ事。
ワキ「両説いづれも謂あり。
シテ「野守がその名は昔も今も。
ワキ「変らざりけり。
シテ「御覧ぜよ。
地上歌「立ち寄れば。げにも野守の水鏡。げにも野守の水鏡。影を映していとゞなほ。老の波は真清水の。あはれげに見しまゝの。昔のわれぞ恋しき。実にや慕ひても。かひあらばこそ古の。野守の鏡得し事も年古き世の例かや。年古き世の例かや。

ワキはなおも池のいわれについて訪ね、歌に歌われた野守の鏡とは、この池のことを言うのかと聞く。

シテはこれがあの野守の鏡の池であり、自分こそはここに住む鬼なのだと身分を明かす。そうして、鏡を見せてやるから待っていろと言い捨てて、塚の中に消える。

ワキ詞「いかに申すべき事の候。箸鷹の野守の鏡と詠まれたるも。この水につきての事にて候ふか。
シテ「さん候ふ此水につきての謂にて候。語つて聞かせ申し候ふべし。
ワキ「さらば御物語り候へ。
シテ詞「昔この野に御狩のありしに。御鷹を失ひ給ひ。彼方此方を御尋ありしに。一人の野守参りあふ。翁は御鷹の行方や知りてありけるぞと問はせ給へば。かの翁申すやう。さん候これなる水の底にこそ御鷹の候へと申せば。何しに御鷹の水の底にあるべきぞと。狩人ばつと寄り見れば。げにも正しく水底に。
地「あるよと見えて白斑の鷹。/\。よく見れば木の下の水に映れる影なりけるぞや。鷹は木居に在りけるぞ。さてこそ箸鷹の。/\。野守の鏡得てしがな。思ひ思はず。よそながら見んと詠みしも。木の鷹を映す故なり。真に畏き時代とて。御狩も繁き春日野の。飛火の野守出であひて。叡慮にかゝる身ながら老の思出の世語を。申せばすゝむ涙かな/\。
ロンギ「げにや昔の物語。聞くにつけても真の野守の鏡見せ給へ。
シテ「思ひよらずの御事や。それは鬼神の鏡なれば。いかにして見すべき。
地「さてや鏡のあり所。聞かまほしき春日野の。
シテ「野守といふもわれなれば。
地「鏡はなどか。
シテ「持たざらんと。
地「疑はせ給ふかや。鬼の持ちたる鏡ならば。見ては恐れやし給はん。真の鏡を見ん事は。かなふまじろの鷹を見し。水鏡を見給へとて。塚の内に入りにけり。塚の内にぞ入りにける。

中入では、春日野の里人に扮した間狂言が池のいわれや野守の鏡について説明する。するとワキの山伏は、法力を以て鬼の奇特を見んと、塚に向かって数珠をすりつづける。

ワキ「かゝる奇特にあふ事も。これ行徳の故なりと。思ふ心を便にて。鬼神の住みける塚の前にて。肝胆を砕き祈りけり。われ年行の功を積める。その法力の真あらば。鬼神の明鏡現して。われに奇特を見せ給へや。南無帰依仏。

後シテは塚の中から鬼の姿で現れる。手に持つ鏡の作り物は大きなもので、この作品にのみ使われる特別なものである。

後シテ出端「有難や天地を動かし鬼神を感ぜしめ。
地「土砂山河草木も。
シテ「一仏成道の法味に引かれて。
地「鬼神に横道曇なく。野守の鏡は現れたり。
ワキ「恐ろしや打火輝く鏡の面に。映る鬼神の眼の光。面を向くべきやうぞなき。
シテ「恐れ給はゞ帰らんと。鬼神は塚に入らんとす。
ワキ「暫く鬼神待ち給へ。夜はまだ深き後夜の鐘。
シテ「時はとら臥す野守の鏡。
ワキ「法味にうつり給へとて。
シテ「重ねて数珠を。
ワキ「押しもんで。
地「台嶺の雲を凌ぎ。台嶺の雲を凌ぎ年行の功を積む事。一千余箇日。屡々身命を惜まず採果。汲水にひまを得ず。一矜伽羅二制多伽。三に倶利伽羅七大八大金剛童子。
ワキ「東方。

(舞働)勇壮な仕草をして舞ったのち、舞働があって、キリの部分へと高まりながら進んでいく。

シテ「東方。降三世明王もこの鏡に映り。
地「又は南西北方を映せば。
シテ「八面玲瓏と明かに。
地「天を映せば。
シテ「非想非々想天まで隈なく。
地「さて又大地をかがみ見れば。
シテ「まづ地獄道。
地「まづは地獄の有様を現す。一面八丈の浄玻璃の鏡となつて。罪の軽重罪人の呵責。打つや鉄杖の数々。悉く見えたりさてこそ鬼神に横道を正す。明鏡の宝なれ。すはや地獄に帰るぞとて。大地をかつぱと蹈みならし。大地をかつぱと蹈破つて。奈落の底にぞ入りにける。

春日野は、いまでも春日大社周辺に広がる公園として存在しているが、この作品が取り上げたような池は残っていない。だだっ広い公園のあちこちに、鹿の姿を見るのみである。


関連リンク: 能と狂言能、謡曲






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