能と狂言


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狂言「文山立」は、山賊の喧嘩を描いたもので、「集狂言」に分類されている。集狂言というのは、狂言における代表的な人物類型に収まらない雑多なものを集めた分類で、「その他の狂言」といったところである。

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能「船弁慶」は、世阿弥の甥観世小次郎信光の代表作である。世阿弥が幽玄を旨として当時の支配階級たる武家の趣味にこたえようとしたのに対して、信光は演劇的要素の強い大衆受けする作品を書いた。その点で世阿弥の能とは対極に位置する。

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能「自然居士」は「百萬」と並んで観阿弥の傑作といわれる作品である。自然居士とは説経節を語って歩く乞食坊主のことで、寺院の門前などで茣蓙を敷き、その上でササラをすすり鞨鼓を打ちながら、説経あるいは念仏を語って聞かせる一種の旅芸人である。

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小名狂言というのは、主従の物語のうち、太郎冠者がシテとなるものである。それに対して主人がシテとなるものを大名狂言と称する。小名狂言には、主従二人だけの話もあれば、それに第三者が加わるものもある。「素袍落」では、この第三者が主人以上に大きな役割を果たす。太郎冠者は第三者たる伯父御とのあいだで、当意即妙の笑いの世界を繰り広げるわけである。

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能「三笑」は中国の故事「虎渓三笑」を題材にしたものだ。「虎渓三笑」の出典は「盧山記」。儒、仏、道の三賢者が一同に会して話をしたところ、お互いに尽きせぬ興味を感じ、すっかり夢中になってしまった挙句、日頃の自戒を忘れて羽目を外し、互いに大笑いしたというものだ。

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能「天鼓」は、権力者によって引き裂かれた父子の情愛をきめ細やかに描いた作品である。舞台は後漢の時代の中国ということになっているが、漢籍にはこの話の典拠となるようなものは見当たらず、日本人による創作だと思われる。世阿弥の作だとされたこともあるが、内容や形式からみてその可能性はないとみてよい。だが古い能ではあったらしい。

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狂言「木六駄」は、和泉流と大蔵流とで演出の仕方がだいぶ異なっている。筋書きも異なっているところが多い。

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能「鉄輪」は、自分を捨てて新しく妻を迎えた夫に対して、恨みを晴らしたいとする女の激しい嫉妬の物語である。女の嫉妬を題材にしたものはほかに「葵の上」があるが、葵の上が貴族社会の優雅な生活を背景にしているのに対して、これは庶民の日常の生活を描いている点で、趣を異にしている。

狂言「鶏婿」

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狂言には「婿狂言」に分類される曲が10数曲あり、それらはさらに、婿選び、婿入り、婿と舅の喧嘩に再分類される。「鶏婿」は、「包丁婿」、「音曲婿」、「引敷婿」とならんで婿入りをテーマにした作品である。

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能「安宅」は観世小次郎信光の傑作である。信光は観阿弥の弟音阿弥の子であり、自らは囃し方として活躍する一方、能作者としても優れた才能を発揮した。安宅は、船弁慶、紅葉狩りと並んで、彼の作風が縦横に発揮された作品である。

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能「鉢木」は、鎌倉幕府五代執権北条時頼の廻国伝説に託して、武士の意地を描いたものだ。

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能「箙」は、「田村」、「八島」とともに勝修羅三番と呼ばれている。通常の修羅者が、戦で死んだ主人公の恨みをテーマにするのに対して、勝修羅は勇壮な戦いぶりを描いていることから、徳川時代には、一種の祝言能として、人気があった。

能「俊寛」

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「俊寛」は「景清」とならんで、能の中でも特別な作品である。まづ、能の最も大きな特徴である舞の部分がない。その代わりといっては何だが、演劇的な要素が強い。典型的な能のように、舞を通じて場面が展開していくのではなく、物語の持つ必然性を通じてドラマが展開していくのだといえる。

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今年のNHK元旦の新春能楽番組は、観世流の「羽衣」が放映された。シテは梅若万三郎、ワキは宝生閑だ。万三郎は大柄な体にしては、天女の色気をよく出せていたと思う。

狂言「宗論」

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狂言「宗論」は、浄土僧と法華僧との論争をテーマにしている。この二つの宗派は、鎌倉時代以降の新興宗教のなかでも、もっとも活動的で、布教にも熱心なことで知られていた。だからこの二つの宗派の間の論争は、時には戦闘的な色彩を帯び、人々の強い関心を引いたと思われる。

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能「三輪」は三輪明神の婚姻説話を主題にした曲である。明神は男神であるのが普通だが、この能では三輪明神は女神としてとらえられ、しかも男神と思しきものとの結婚に破れるという設定になっている、しかも恋に破れて天の岩戸の中に閉じこもったという話まで付け加わるから、いっそう面白い筋書きだ。

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使用人の太郎冠者が主人に無断で外出したことがもとで、主人が太郎冠者をとがめるという趣向の狂言がいくつかあり、無奉公物と呼ばれている。大部分は大名狂言に分類されているが、この「呼声」だけは小名狂言に分類されている。主人と太郎冠者のやりとりが軽妙洒脱なところから、そうなったのだと思われる。

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NHKの能楽番組が観世流の能「海士」を放送した。この曲は世阿弥以前からある古いもので、謡曲も舞も非常に変化に富んでいて、見所聞き所が多い。そんなわけで能好きにとっては何度見ても見飽きることがない。筆者もまた懲りずに見た口だ。

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狂言「成上がり」は、短いながらなかなかウィットに富んだ作品である。主人の供をして清水に参詣した太郎冠者が、通夜で寝ている間に、抱いていた主人の太刀をすっぱに抜きとられ、その代わりに竹杖を持たされてしまうのだが、それを何とかして言い逃れするために、主人に言葉遊びを仕掛けるというものだ。

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土蜘蛛は「大江山」や「羅生門」などと同じ系列に属する風流能である。派手なアクションが見世物になっており、初心者にもわかりやすく、人気のある曲だ。歌舞伎の演目としてもなじみが深い。

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