秋風秋雨人を愁殺す:秋瑾女史秋風曲
武田泰淳の小説「秋風秋雨人を愁殺す」は、その副題に「秋瑾女史伝」とあるように、清末の女性革命家秋瑾女史について、ドキュメンタリー風に描いた作品である。秋瑾女史を始め清末の革命運動家について殆ど知るところのなかった日本人は、この作品を通じて些かのことを知るに至った。
武田泰淳の小説「秋風秋雨人を愁殺す」は、その副題に「秋瑾女史伝」とあるように、清末の女性革命家秋瑾女史について、ドキュメンタリー風に描いた作品である。秋瑾女史を始め清末の革命運動家について殆ど知るところのなかった日本人は、この作品を通じて些かのことを知るに至った。
秋瑾女史が日本で撮ったという肖像写真が残されている。和服姿に身を包み、きりりとした顔つきで正面をにらんだ彼女の手には短剣が握られている。秦の時代の刺客荊軻を愛し、自らも剣をとって胡(清朝)を倒さんと欲した女史には最も相応しいポーズといえる。
陶淵明は、南朝晋の興寧三年(365)に生まれ、宋の元嘉四年(427)に死んだ。その生きた時代は、南北朝時代の初期、東晋時代の後半から宋への移り変わりの時期である。この頃中国大陸は、南北に分離し、北には五胡十六国といわれるような異民族国家が興隆しては消え、南には漢民族による国家が興った。隋の煬帝が再び中国大陸を統一する六世紀の末ごろまで、中国南部には五つの王朝が交代するが、これと三国時代の呉を併せて六朝時代とも呼ぶ。
宋書は南斉の沈約が著した六朝時代宋の正史である。斉の武帝に命ぜられて編纂を開始し、完成したのは梁の時代に入ってから、本紀10巻、列伝60巻、志30巻の計100巻からなる。そのうち列伝第53隠逸伝の部に、陶潜(陶淵明)の記事がある。
陶淵明の小品「五柳先生伝」は、長らく陶淵明の自叙伝であると信じられてきた。これには、宋書隠逸伝の次のような記述が影響したといわれる。「潛少くして高趣あり,嘗て《五柳先生傳》を著し、以て自ら況す」