白楽天にならう:蘇軾を読む

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予去杭十六年而複來留二年而去平生自覺出處老少粗似樂天雖才名相遠而安分寡求亦庶幾焉三月六日來別南北山諸道人而下天竺惠淨師

予杭を去って十六年にして複た來る、留ること二年にして去る、平生自ら覺ゆ、出處老少ほぼ樂天に似たりと、才名は相遠しと雖も、而れども安分寡求は亦庶幾(ちか)し、三月六日來りて南北山の諸道人に別る、而下天竺の惠淨師丑石を以て行に贈り、三絕句を作る


元祐6年(1091)3月、杭州を去るにあたって、付き合いのあった道人たちに別れを告げた際に、下天竺の惠淨から石を贈られて詠んだ絶句三首、ここでは其二を取り上げる


  出處依稀似樂天  出處依稀として 樂天に似たり
  敢將衰朽較前賢  敢て衰朽を將て 前賢に較べんや
  便従洛社休官去  便ち洛社に従って官を休めて去らば
  猶有閒居二十年  猶ほ有り 閒居二十年

自分の経歴が実に楽天に似ている、といってもこの衰えたる身を楽天に比べようなどとはとんでもない、せめて楽天のようにいま官をやたらば、あと20年は隠居生活が楽しめるというものだ


白楽天は杭州の為政者として先輩にあたるのみならず、その生き方もまた蘇軾が敬愛してやまなかった、蘇軾は白堤にならって蘇堤をつくるなど、白楽天にならうところ多かったが、楽天のように洛社を結ぶことはかなわなかった。


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