芸能と演劇的世界


女殺油地獄は、近松門左衛門の浄瑠璃の中でも極めて異質なものと云える。心中ものとも姦通物とも異なり、この作品ではそれまでの近松の世界を貫通していた義理と人情とが見られない。見られるのは、欲望の赴くままに行動する悪党の、目を背けたくなるような暴力だけだ。

心中にはたいてい道行がつきものだ。道行とは人間の移動としての旅をうたった部分だ。日本の演芸は、謡曲をはじめこの旅を大きな要素として組み込んでいる。旅を組み込むことで、演劇に重層的な風格を生じさせているのだ。

心中天網島は中段にクライマックスが来る。下段はそのクライマックスを形式的に成就させるための、心中という儀式の場面だ。それは純粋に形式的なものだから、物語の展開はない。ただ美というものを人々に体験してもらうための儀式なのである。

「心中天網島」は、近松門左衛門の代表作というにふさわしく、結構にも油断がない。構成上はほかの世話物と同じく、基本的には三段形式をとっている。

近松門左衛門は、世話浄瑠璃のなかでも、心中ものを多く手がけた。題名に心中がつくものだけでも、曽根崎心中を書いて以後、「心中二枚絵草紙」、「心中重井筒」、「心中万年草」、「心中刃は氷の朔日」、「今宮心中」、「生玉心中」、「心中宵庚申」と続く。その中で最後にして、最も完成度の高い作品が「心中天網島」である。

冥途の飛脚三段目(下の巻)は、忠兵衛と梅川の絶望的な逃避行を描く。まづ冒頭で二人の相合駕籠の道行が語られる。二人が向かう先は大和の国の新口村、忠兵衛の生まれ故郷であるが、実家の父親は今では後妻をもらい、養子に出した忠兵衛のことは人にくれたものとあきらめている。そんな父親でも親子は親子、息子は死出の門出に会いたいと思うのだ。

冥途の飛脚二段目(中の巻)は、忠兵衛の身の破滅のもととなるできごとを描いた封印切の場面である。封印切とは、飛脚問屋として客から預かった大事な金の封印を、客に無断で切ってしまうこと、つまり横領の行為をさしていう言葉だ。信用がもとでの商売で、これほど重大な犯罪行為はない。この罪を犯した者は、死を以て償うしか道がないのだ。

冥途の飛脚は、文楽のほか歌舞伎として演じられることもあり、近松門左衛門の作品の中では、現代人にも比較的なじみが深い。といってもテーマが現代人にも分かりやすいということではない。女のために犯罪を犯し、逃走する男とそれに付き添う女の物語という点では、いまでもどこかで起こりそうな出来事とはいえそうだが、男が罪を犯す動機がどうも納得できない。

お夏清十郎の物語は万治三年(1660)に実際にあった出来事である。姫路という地方の町で起きた出来事であったにかかわらず、瞬く間に日本中に知れ渡り、流行歌に歌われるほど、民衆の心に定着した。西鶴も近松も、この事件をもとにして、作品を書くのである。

お夏清十郎の物語は、不幸な男女の悲恋物語の極め付きとして、徳川時代を通じて人々に語り継がれたばかりか、昭和の頃まで歌や芝居の題目となってきた。徳川時代の初期に実際に起きた出来事であって、元禄の頃には、芝居や小唄の材料として広く浸透していた。それを西鶴は好色五人女の中で描き、近松は世話浄瑠璃にしたのであった。

堀川波鼓の三段目は妻敵討の場面である。これにはお種の夫彦九郎のほか、お種の妹お藤、彦九郎の妹ゆら、彦九郎とお種の養子文六も加わる。

「さても行平三年が程,御徒然の御船遊」で始まる堀川波鼓の導入部は、謡曲「松風」からの引用である。これにはそれなりの意味がある。謡曲では、松風・村雨の姉妹が行平を巡って恋の思いに焦がれるという物語になっているのを、近松はここで、お種とお藤の姉妹の関係に投影しているのである。そうすることで、一人の男を巡る姉妹の複雑な感情を、陰影をつけて描き出すことに成功したといえる。

近松門左衛門の姦通劇「堀川波鼓」は三段構成になっている。一段目は女主人公のお種が息子の鼓の師匠源右衛門と姦通にはしる場面、二段目は亭主の彦九郎が江戸詰めから帰った喜びとはうらはらに、姦通の罪にさいなまれるお種の様子と、妹のお静を始め彼女を取り巻くひとびとの行動が描かれたあと、お種の死が、当然のことのように描かれる。そして三段目ではお種の姦通の相手源右衛門に対する彦九郎の女敵討ちが描かれる。

堀川波鼓は、近松門左衛門の作品のうち、曽根崎心中から数えて五作目の世話物である。近松はそれを宝永三年に起きた実際の出来事に取材して書いた。

出世景清の五段目をどう評価するかは、この作品をどう受け取るかによって、正反対の結果をもたらす。これを景清と彼を取り巻く女性たちとの間で繰り広げられる悲劇の物語と受け取れば、五段目はあらずもがなの付けたしとしか思えない。それに対してこれを、伝統的な浄瑠璃の延長上に捕らえれば、物語を収めるに必要なキリの部分だということになる。

出世景清四段目では、投獄された景清を子供たちとともにたずねた阿古屋の悲劇が語られる。阿古屋は自分の訴人が原因となって、夫景清がひどい目に合わされていると思い込み、夫の前で自分の過ちを悔い、それを夫に許してもらいたいと思ってやってくるのだ。だが仮に許してもらったとしても、それで自分の罪がなくなるとは考えていない。よし許してもらえても、または許してもらえなくても、自分はこの世に生きている資格はないと、思い込んでいるのである。

阿古屋と対比すると、小野の姫のほうはおよそ貞淑な女性として描かれている。彼女は自分の身を犠牲にしても、父親や夫の命を救おうとするけなげな女性なのである。そこのところは説経の「さんせう太夫」における安寿姫の献身を想起させる。このような女性は、日本人にとっては、永遠の理想像であったかのようである。

出世景清には劇を彩る女性として、阿古屋と小野の姫の二人が登場する。二段目は、その阿古屋と景清との悲しい行き違いの始まりを物語るものだ。まず二人のなりそめが語られる。

悪七兵衛景清は平家の滅亡に際して最後に輝いた英雄である。その勇姿は平家物語を踏まえて能や古浄瑠璃、舞曲の中で繰り返し謡われ、民衆の熱い支持を得てきた。近松門左衛門もまた「出世景清」を書くに当たり、こうした歴史的な背景を踏まえることで、観客の期待にこたえようとしたに違いない。

近松門左衛門が貞享2年(1685)に書き上げた浄瑠璃「出世景清」は、近松にとっても浄瑠璃の歴史にとっても画期的な作品となった。この作品は上演されるや月に月を重ねる大当たりとなり、それにともなって近松自身も浄瑠璃作者としての面目を施した。これに気をよくした近松は以後、貞享2年の「佐々木大鑑」を手始めに、自分の作品に署名するようになる。

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