知の快楽


ヴォルテール、ディドロー、ダランベールといった18世紀フランスの啓蒙思想家たちとルソーとの関係は非常に微妙である。ルソーは若い頃には彼らと親しく付き合い、ディドローらの「百科全書」には音楽や経済に関する記事を寄稿したことでもわかるように、運動としての啓蒙思想に参加していた。第一論文の「学問・芸術論」はディドローのアドバイスを受けて書かれたという見立てもある。

ルソーの「エミール」が教育論として画期的だったのは二重の意味においてである。一つは教育の目標として人間の自然性という概念を持ち込んだこと、もう一つは教育の対象としての「子ども」を発見したことである。

ルソーの社会契約論にとってカギとなるのは「一般意思」の概念である。一般意思とは、人々が社会的な結合体を結成するにあたり、よりどころとなる合意のことである。その合意は、すべての人々にとって共通する利害を表している。だれもそのことに関しては異存がない。人々はこの合意に基づいて社会的な結合体である政治体を作り上げるのだ。

「学問・芸術論」や「人間不平等起源論」でルソーが展開した主張は、文明が人間を堕落させるというものであった。原始の状態にある自然人は、自由でしかも平等であり、誰もが人間としての尊厳を保っていた。ところが人間の中に社会というものが生まれ、そこに学問・芸術が栄え、富の偏在による不平等が生まれるようになると、人間本来のあり方であった自由と平等がおびやかされ、人間は途方もなく堕落した。それ故もっとも肝心なことは、文明の殻を脱ぎ捨て、少しでも自然人の状態を取り戻すことである。

人間不平等起源論のテーマは自然人である。ルソーは処女作の「学問・芸術論」の中で、学問や芸術といった文明の産物がいかに人間を堕落させたかについて論じたのであったが、では堕落する以前の人間はどんな状態であったのか、詳細に述べることはなかった。人間不平等起源論は、文明に汚染される以前の、つまり堕落する以前の、純粋に自然な状態における人間について述べるのだ。ルソーはその人間を自然人と名付け、人間にとっての本来的なあり方ととらえている。

ルソーの処女作である「学問芸術論」は、彼の文明観が劇的な形で表れている作品だ。劇的という意味は、それが読者の理性というよりも、感性に訴えるということを含意している。実際一読してわかるように、この論文は、論理によって構成展開されているというより、直感によってもたらされたアイデアを、隠喩を多用して説明している、あるいは修飾しているにすぎない。

デヴィッド・ヒューム David Hume (1711-1776) は、ロックが始めた経験論的なアプローチを究極まで突き詰めることによって、そこから奇妙な帰結を引き出した。彼は、形而上学者たちがいう実体なるものの虚構性を改めて証明したばかりか、人間の精神活動を支えているもう一つの実体、つまり自我の存在まで否定したのである。

唯心論的な観念論はバークリー George Berkeley (1685-1753) に始まるといってよい。その点で彼は近代哲学史上重要な位置を占めている。

国家権力の構成要素は、立法、行政、司法の三権からなるが、これらを異なる機関に分担させ、相互の間に牽制とバランスを計ろうとする思想は、近代の民主主義政治にとって基本的な枠組になっている。それはイギリスの政治的伝統から生み出されてきたものであり、今日ではアメリカを典型として、民主主義を標榜する世界中の国々の政治体制に組み込まれている。

国家の成立に先立って人間の自然状態を想定し、そこから社会契約によって国家あるいは政府というものが形成されると考える点で、ロックはホッブスの政治理論と似通った思想を抱いていた。しかし肝心なところで、ロックとホッブスとの間には相違がある。

ロックの倫理思想は快楽と欲望に立脚している点で、ベンサムの功利主義思想を先取りしている。ロックによれば、快楽を増進し苦痛を減退させるものが善である。だから我々人間は快楽が最大になるように欲望する。そして快楽が最大になった状態を幸福と感ずるのだ。

ロックは西洋哲学の伝統的な枠組みを形作っていた形而上学を軽蔑した。人間の経験に基礎をおかず、脆弱な根拠の上に、巨大な体系を築いていた形而上学というものを、ロックは有益な知識の拡大を妨げていると考えたのだ。

ジョン・ロック John Locke (1632-1704) は、近代以降の西洋の学問を特徴付けている経験科学的な方法を、哲学の上に組織的に適用した最初の思想家だといえる。その意味で彼は経験論的哲学の創始者といってよい。ロック以降あらゆる観念を経験にもとづかせ、帰納的方法を用いて、漸次に高度の真理に迫ろうとする哲学の流れが、それまで支配的であった観念論的で、したがって先験的な哲学と並んで、大きな潮流となった。

トーマス・ホッブス Thomas Hobbesは、政治理論に関する最初の近代的な思想を展開した人である。ホッブス以前にマキャヴェリがいて、古い因習から開放された新しい権力のあり方を論じていたが、それはまだ近代的な国家というものと結びついていなかった。政治を国家論とからめながら、そこに近代的な考えを持ち込んだのはホッブスが初めてなのである。

トーマス・ホッブス Thomas Hobbes (1588-1679) は、近代的な政治思想をはじめて体系的に展開した人物として、いうまでもなく政治思想史上の偉人であるが、哲学史の上でもユニークな位置を占めている。

ライプニッツが真情から神の存在を信じていたかは疑わしい。なるほど彼は「弁神論」を始めさまざまな機会に神の存在に言及し、その証明まで試みてはいる。しかしそれらを読むと、神の存在はライプニッツにとって崇高で威服すべきことであるというよりは、彼の論説の支えとなるような位置づけを与えられているように見える。

ライプニッツは観念論者であったが、その観念論とは唯物論に対比されるような意味での観念論であるというより、存在を論理によって導き出そうとする意味での観念論であった。

ライプニッツはアリストテレス以来の伝統的な論理学に対して、大きな風穴を開けた最初の哲学者だった。それは論理的思考をカテゴリーや推論の形態において捉えるのではなく、主語と述語という人間の対象認識のパターンに即して考えるものだった。

ライプニッツはデカルトやパスカルと同様、数学や自然科学の分野においても顕著な業績を残した。とりわけ数学の分野においては、微分積分学と記号論理学の創始者として、歴史的な業績を上げた。

ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716)は、ドイツが生んだ最初の大哲学者である。ドイツ人はライプニッツ以前にもヤコブ・ベーメとマルチン・ルターという偉大な思想家を生んではいるが、体系的な哲学を展開したのはライプニッツが始めてである。以後ドイツ哲学は多かれ少なかれ、ライプニッツの影響を蒙った。

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