神話と伝承


案山子のことは記紀の神話の中にも出てくるから、日本人にとっては悠久の昔から田んぼの中に立って、外敵から田んぼを守る役目を果たしていたと見える。しかもその形が今日と同じく一本足であったことは、スクナヒコナの神話のくだりから伺えるのである。そこには次のように記されている。

お爺さん或はお婆さんが転がり落したおむすびを追いかけて穴の中或は他界へと導かれ、そこで地蔵や鬼と出合って試練を潜り、最後には宝物を持ち帰るという「おむすびころりん」の昔話は、さまざまなバリエーションを伴って日本中に分布している。古来子供向けのお伽話として最もポピュラーなものである。

一寸法師の物語は、お伽草紙においては住吉明神の縁起譚として語られている。主人公を背丈一寸の小人としているのは、スクナヒコナ以来の小さ子伝説が反映しているのであろう。

桃太郎の話は日本の昔話の中でも最もポピュラーなものである。いまでも子供向けのキャラクターとして人気を集めているし、絵本の世界や母親のお伽話にとっては欠かせないものだ。小さな子どもが親元を離れて冒険の旅に出るというのは、世界中共通した児童文学のパターンであることからも、桃太郎の話には国や時代を超えた普遍性があるといえる。

食わず女房の昔話は、物を食わないと偽って嫁にしてもらった女が実は人食い鬼だったという話で、亭主はあやうく食われそうになるが、菖蒲の林に逃げ込んで助かったという内容のものである。菖蒲の季節を舞台にしているので、かつて全国各地でみられた菖蒲を吊るして厄除けをする民俗や、その背景にある女のふきごもり(女の家)の行事との関連が指摘されている。

山に漂うと考えられた死霊あるいは祖霊のうちでも、その荒ぶる霊としての恐ろしい姿が鬼としてイメージされた。その中でも、山姥は女の鬼として、通常の男の姿の鬼とは一風異なった雰囲気を醸し出している。安達が原に出没したとされる山姥は、通りがかる旅人をことごとく食らいつくす恐ろしい鬼であるが、その山姥の口が裂けたイメージは、あらゆるものを飲み込んで抱擁する母性のイメージをも感じさせる。

昔話の瓜子姫は残酷な話である。天邪鬼という鬼が瓜子姫をだまして食ってしまい、その皮をかぶって姫になりすますが、最後には正体を見破られるというのが大方の荒筋である。中には、柳田国男が紹介している出雲の話のように、瓜子姫は殺されずに裏庭の柿の木に裸で吊るされるというパターンもあるが、鬼に食われてしまうというものが圧倒的に多く、聴耳草紙の話もそのようになっている。

天狗といえば、鬼や山姥とならんで日本の妖怪変化の代表格といえる。天狗を主題にした物語や絵ときものが古来夥しく作られてきたことからも、それが我が民族の想像力にいかに深く根ざしてきたかがわかる。中でも能には、天狗を主人公にしたものがいくつもあり、いずれも勇壮な立ち居振る舞いや痛快な筋運びが人びとの人気を博してきた。

瘤取り爺さんの話は日本の昔話の中でももっともよく語られたものである。顔に大きな瘤のある爺さんが山の中で一夜を明かすと鬼の集団が現れて宴会の踊りを始める、爺さんがつられて一緒に踊ると、鬼はいたく感心し、また来るようにといって、質物に爺さんの瘤をとった。この話を聞いた隣の爺さんは、自分も瘤を取ってもらおうと思い鬼のところに出かけるが、うまく踊ることができずに鬼をがっかりさせる、そのうえもう来ないでもいいといわれて、質物の瘤までつけられてしまうという話である。

能「安達が原」は人食いの鬼婆を題材にした作品である。那智の東光坊の阿闍梨裕慶一行が山伏姿になって東国行脚に出かけ、陸奥の安達が原に差し掛かったとき、老婆の小屋に立寄って一夜の宿を借りる。老婆はもてなしのためにと裏山に薪を採りに出かけるが、そのさい奥の部屋を決してのぞいてはぬらぬと言い残す。裕慶らが好奇心からその部屋をのぞいたところ、そこには食われてしまった人々の残骸が累々と重なっていたというストーリーである。

鬼の話の中でも、古来もっとも人口に膾炙したのは大江山の酒呑童子の話だろう。能の曲目にも取り上げられ、お伽草紙をはじめ民話の中にも類似の話は多い。それらの話のテーマになっているのは人を食う鬼であり、その鬼を源頼光のような英雄が退治するというのが大方に共通する筋書きである。

鬼と聞いて現代人が思い浮かべるのは、まず節分の鬼であろう。二本の角を生やし、髪は赤茶けた巻き毛で、口には牙が生え、トラの皮の褌を締めている。これが春の訪れとともにやってきて、人間たちに悪さをするというので、人びとは「鬼は外」と叫びながら、厄除けの豆を投げつけて鬼を退散させ、自分たちの無事を祈るのである。

万葉集全二十巻の冒頭を飾るものは、雄略天皇の御製歌とされるものである。万葉集の編者が雄略天皇の歌を以て、冒頭を飾るに相応しいと考えたのには、それなりの理由があったのだろう。この天皇には、多くの伝承歌が結びついて伝わっており、いわば日本古代のおおらかな気分が、この天皇のうちに体現されているとも思えるのだ。

日本神話は、八世紀初頭に成立した古事記、日本書紀を中核にして、諸国の風土記の記述などを包み込んだ形で今日に伝えられている。日本の国の成り立ちと神々の系譜、そして天皇による支配の正統性を、きわめて体系的に描いたものである。世界中にある神話の中でも、イデオロギー性の強いものといえるが、同時に日本民族の世界観の原点というべきものが、色濃く反映されてもいる。

古事記には、男女の性交や女性器への言及など、性的な表現があちこちに散りばめられている。特に神代の場面に、頻出するのであるが、それらを読んでも淫猥な感じは受けず、むしろほほえましいとの印象を抱く。これは、古代の日本人が、性というものに対して、大らかであったことの表れであるのかもしれない。

日本の神社の中でも、もっとも多くの末社を抱え、規模が大きいとされる八幡神社は、応神天皇とその母君神功皇后を祭神として祀っている。昔から武運の神とされ、源頼朝はじめ武将たちの篤い信仰を集めてきた。また、蒙古襲来や外国との戦争の際には、国家鎮護の切り札ともなってきた。その背景には、両神とりわけ神功皇后の業績に対する、民衆の畏怖と尊敬がある。

ヤマトタケル(日本武尊)の物語は、記紀の説話中、独特の色合いを帯びている。それは基本的には、英雄の物語なのであるが、スサノオやカムヤマトイワレヒコのような万能の英雄としてではなく、悲劇的な英雄として、主人公を描いている。古事記には、ヤマトタケルが父景行天皇から不信の念を抱かれ、征西、東征と目覚しい勲功を立てながら、最後には父にまみえることを得ないままに、倒れるさまが描かれている。ある意味で、義経の悲劇に通ずるところがある。

日本の神話は、神武天皇以降人代に入る。最初の人皇とされる神武は、天孫の直系の子孫として、また大和王権の創立者として、わが国の歴史においては、巨大な存在といえるのであるが、その事跡をめぐっては謎が多く、後世の人々の想像力を駆り立ててきた。

天孫降臨後のニニギの次の世代以降の神話は、地上と海原を舞台に展開する。もはや、高天原の世界との垂直軸の話が語られることはなく、水平軸の話が続く。それにともない、神話の南方起源と思われる部分が随所に見られるようになる。

東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭の行列を先導している。長い鼻と赤ら顔の天狗の面をかぶり、一枚歯の高下駄をはき、色あでやかな衣装をまとったその姿は、行列の人気者である。いつの頃から猿田彦が天狗となり、神々の先導役を勤めるようになったか、その鍵は天孫降臨神話の中にある。

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