神話と伝承


天孫降臨神話

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日本神話には、高天原と葦原中国との間の垂直軸の対立と、スクナヒコナの神話に見られるような、あちらの世界とこちらの世界との水平軸の対立があり、この両者が絡み合って、全体としての神話の構造が出来上がっている。だがこの両者は、織物の縦糸と横糸のように、相互依存的な関係にあるわけではなく、中心となるのはあくまで垂直軸である。

天孫降臨に先立つ葦原中国の平定は「ことむけ」と呼ばれている。「ことむけ」とは、言葉で説得して服従させるのが原義であるが、記紀においては、なかなかまつろわぬ国津神たちに対して、力を用いて服従させるさまが描かれている。しかし、その様子は血なまぐさいものでなく、牧歌的でおおらかな雰囲気に満ちている。

異形の神スクナヒコナは、日本神話に登場する神々の中でも、とりわけて異彩を放っている。日本神話において、神というものは本来、高天原という天上の世界との間の垂直軸において語られるものなのに、この神は海の彼方にある常世の国から小さな舟に乗って現れた。また、オオクニヌシのパートナーとなって国づくりを行い、一段落すると、粟の茎に跳ね飛ばされるようにして、身を躍らせ、常世の国に帰っていった。

日本神話におけるオオクニヌシの存在感は、スサノオと並んで大きなものがある。概していえば、日本神話は、天上の世界たる高天原と地上の世界たる葦原の中つ国との間の、対立と連続の相のもとで展開していくのだが、高天原がそれ自体として描かれることは少なく、殆どは葦原中国を舞台にしている。ゼウスやヘラ、ヘパイストスなどがオリンポスにおいて様々な行為を繰り広げるギリシャ神話などとは、大いに異なるところである。オオクニヌシは、この葦原中国を豊かな土地に作り変えた主人公として、日本神話のなかでは特別な存在なのである。

日本神話におけるスサノオの姿は、一方で荒ぶる神として悪行を働くかと思えば、他方では八岐大蛇退治を始め善神としての側面も併せ有し、多義的で複雑な相に描かれている。そこで、スサノオの性格をめぐってさまざまな議論がなされてきた。本居宣長などは、スサノオの悪性はイザナギの禊祓いが不十分で、黄泉の穢れが残ったまま出生したことに原因があるとし、解除をきっかけに穢悪が除かれ、清浄に立ち返ったのだと解釈した。これは、善神としてのスサノオが本来の姿であり、荒ぶる神としてのスサノオは、不完全な姿だという議論である。

シャーマニズムは、シベリアから東南アジアにかけての広範な地域に見られる。いづれもの地域のシャーマニズムも、霊媒的な能力を持った巫者(シャーマン)を中心に、現世とあの世との交流を通じて、死者との対話や未来の予見などを図ろうとする、原始的な宗教意識の体系である。

日本民族の起源については、さまざまな説がある。もっとも有力なのは、ユーラシア大陸から渡来した人々に起源を求めるもので、北方起源説と呼ばれている。遺伝学上、文化人類学上多くの傍証があり、首肯しやすい説だ。しかし、この説のみを以ては割り切れぬ部分があるため、一部南方起源の民族との混交も説かれる。柳田国男は著書「海上の道」において、日本人の祖先とその文化が、海上の道を通って南方からやってきたと、熱心に説いた。

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