ボードレール


ボードレールは1864年の4月にベルギーのブリュッセルを訪れた。はじめはごく短期の予定だったが、滞在は長引き、1866年の7月に病気治療のためパリに連れ戻されるまで、実に2年以上に及んだ。長引いた理由はあまり明らかでない。パリに幻滅するあまりもう戻りたくなかったというのがひとつの理由だったようだ。

フランスの料理研究家(本来の姿は政治家だが)ブリア・サヴァランについは、その著書「美味礼賛」(原題は味覚の生理学)が日本語に訳されて、岩波文庫にも収められているから、読んだ人も多いことだろう。ボードレールもこの著作を読んだことがあるらしく、自分の論文の中で言及している。もっとも否定的な評価ではあるが。

ボードレールは1858年9月の現代評論誌に「アシーシュの詩」を発表し、1860年1月の同誌に「アヘン吸引者」を発表、同年6月両者をまとめて「人工の天国」Les Paradis Artificiels と題して出版した。ボードレールの麻薬研究ともいうべき問題作である。

ボードレールの個人的な敵であったジャック・クレペが、1862年にフランス詩人の膨大なアンソロジーを出版することにした。この事業にどういうわけかボードレールも参加することになった。各詩人たちの詩の冒頭に、詩人に関する全般的な序文を書くよう要請されたのである。

ボードレールのエドガー・ポーとの出会いはまさに運命的なものだったといえる。それ以降ボードレールは魅せられたようにポーの世界を追い求め、それらをフランス語に翻訳したばかりか、自身の作品にもポーの精神をふんだんに盛り込んだ。ボードレールはある意味でポーとは文学上の兄弟とも言える。無論ボードレールのほうが弟分だ。

ボードレールの文業が美術批評から始まったというのは興味深いことだ。彼は大学の法学部に在籍しながら法学の勉強はしようとせず、漠然と物書きになりたいと思って文学作品を読んでいたようだが、そのうち美術のほうにも関心を示すようになった。エミール・ドロアという今日では無名の画家と知り合い、絵の手ほどきを受けたことなどがきっかけになったようだ。

ボードレールは文学史上の巨星として、いまや世界中から高く評価されているが、それでも女性の間では今ひとつ人気があるとはいえない。彼が描く女性像がなんとなく一人前の人間としての威厳を感じさせず、男の付属物のような弱々しさに満ちているからだろう。それにボードレール自身、女性を平然と侮蔑する言葉を随所で放ってもいる。

「悪の華」諸篇の中で、ジャンヌ・デュヴァルと並んでボードレールの詩想を掻き立てた女性が二人いる。サバティエ夫人とマリー・ドーブランだ。サバティエ夫人からは「あまりに快活な婦人へ」や「霊的な夜明け」が生まれ、マリー・ドーブランからは「旅への誘い」や「秋の歌」が生まれた。

ボードレールはいかがわしい女の相手をするのが好きだった。好きだったというより、そんな女でなければ心を開いて交わることができなかったというほうが正確だろう。

アンリ・トロワイアのボードレール伝(沓掛良彦・中島淑恵訳、水声社刊)を読んだ。トロワイアはフランスの伝記作者で、バルザック伝やドストエフスキー伝が邦訳されている。作家でもあるこの人の評伝は、ありきたりの伝記とは異なり、読み物としても面白い。ボードレールについても、残された膨大な手紙を豊富に引用しながら、ボードレールといういわば神格的な詩人の闇の顔を明るみに照らし出すことに成功している。

プルーストとボードレールの間にある近縁性については、それをもっとも意識していたプルースト自身を除けば、ヴァルター・ベンヤミンがもっともよく気づいていたといえる。ベンヤミンはこの二人の作品をドイツ語に翻訳しながら、彼らの間にある親近性を通じて、芸術に対するひとつの見方を形成していった。

ワイマール時代のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin のボードレール論は、ベンヤミン特有のキーワードを駆使しながら、ボードレールを、高度産業社会の勃興期にあって、社会と人間との裂け目を凝視し、それを抒情詩という、もはや時代遅れとなりつつある形式に定着した不幸な詩人として捕らえている。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「エピローグ」Epilogue(壺齋散人訳)

  余は心満ちて山に登る
  そこからはゆったりとした街が望める
  病院、娼家、煉獄、地獄そして監獄も

  そこでは常軌を逸した事柄が花ざかり
  おおサタンよ 我が苦悩のパトロンよ
  余は空涙を流すためにそこへ行ったのではない

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「どこへでもこの世の外なら」 N'importe où hors du monde(壺齋散人訳)

  人生とは、病院のようなものだ。そこでは患者それぞれがベッドの位置を変えたい欲望にとらわれている。この者は、どうせ苦しむなら暖炉の前でと望み、かの者は、窓際なら病気がよくなるだろうと信じている。

  私もまた常に、どこか違う場所ならもっといいに違いないと感じている。場所を移すということは、私がいつも自分の魂に問いかけているテーマなのだ。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「スープと雲」La soupe et les nuages(壺齋散人訳)

  とてつもなく可愛い我が恋人が、私を夕食に招いてくれた。私は食堂の開け放った窓ごしに、神が蒸気で作りたまうた動く建築物、触ることの出来ないすばらしい構造物を眺めていた。そして眺めつつ独り言をいったものだった。「この幻のような形は、彼女の目のように美しい。緑色の瞳をした、とてつもなく可愛い怪物だ。」

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「うやうやしき射撃手」Le galant tireur(壺齋散人訳)

  馬車が森のなかを走っていたとき、彼は射的場の近くに馬車を止めさせてこういった、時間つぶしに弾を二三発撃つのもよいだろう、時間をつぶすのは、誰にとってもごくありふれた、しかも正当なことだもんなと。そういうと彼は、魅力的だが憎たらしい女、喜びでもあり苦しみでもあり、恐らくは生きがいそのものでもある自分の妻にむかって、うやうやしく手を差し伸べた。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「港」Le port(壺齋散人訳)

  人生の戦いに疲れた魂にとって、港は魅力ある滞在場所だ。豊かな空、動く建築物のような雲、色彩を変化させる海、光きらめく灯台、これらは人の目を楽しませる素晴らしいプリズムであり、決して人を飽きさせることがない。帆を複雑に絡ませてそびえる船の形、それに波が押し寄せて調和ある揺れをもたらし、魂にリズムと美への嗜好を養ってくれる。またとりわけ、神秘的で貴族趣味の快楽がそこにはある。それは、もはや好奇心も野心もなく、見晴台の上で横になったり、あるいは防波堤に肘つきながら、出船入船の様子を伺いつつ、まだ欲する気力を持っている者、旅をし、豊かになろうと欲する者を、隈なく眺め渡すことである。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「競走馬」Un Cheval de race(壺齋散人訳)

  彼女は美しくはない、だが優雅なのだ。

  時間と愛とが、人に爪跡を刻み、ひと時の流れ、接吻の一つひとつが若さと瑞々しさを奪っていくことを、残酷にも彼女に教えてくれた。

  彼女は醜い。アリのようであり、クモのようであり、そういいたければ骸骨そのものといってよい。しかしまた同時に、媚薬であり、権威であり、魔法でもある。要するに彼女は素晴らしいのだ。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「描きたくなる欲求」Le Désir de peindre(壺齋散人訳)

  人間というものは恐らく不幸にできている、だが欲求に引き裂かれた芸術家は幸福だといえる。

  私はある女を描きたい欲求にさいなまれている。彼女は稀に現れたと思えばすぐにいなくなり、宵闇に吸い込まれる旅人の背後に浮かび上がった美しい残像のようなのだ。彼女を目にしなくなってから、すでに長い時間が過ぎた。

  彼女は美しい、驚くべき美しさなのだ。彼女のうちには暗黒が満ち広がり、彼女が呼び起こすものは夜のように深い。彼女の眼は神秘がきらめく洞穴であり、彼女のまなざしは閃光のようだ。それは闇が爆発する輝きだ。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「窓」Les Fenêtres(壺齋散人訳)

  開け放たれた窓から外を見ているものは、外から閉ざされた窓を見ているものほど多くを見てはいない。シャンデリアに照らされた窓ほど、深遠で、謎めいて、実り多く、不可解で、かつ眩いものがあるだろうか。太陽の下の出来事は、窓ガラスの背後に起こることほど興味をそそりはしない。この暗い、あるいは明るい穴の中では、命が息づき、命が夢想し、命が悶えている。

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