ボードレール


ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「もう」Déjà(壺齋散人訳)

  既に百度も太陽は、水平線がかろうじて見える海の、この巨大な桶の中から、輝かしくあるいは悲しげに出現したのだった。既に百度も太陽は、夕暮れの巨大な水槽の中に、きらめきつつ或いは不機嫌そうに沈んだのだった。もう何日も前から、我々は天空の反対側に思いを馳せ、そこに何があるか憶測してきた。どの船客もぶつぶつと不平を鳴らした。陸地の近づいたことが、彼らの苛立ちを募らせたのかもしれない。「いったいいつになったら」と彼らはいうのだ。「高波に揺られ、どよめく風に煽られながら寝なくともすむようになるのだ?いったいいつ、海水のように塩辛くない肉を食えるのだ?いつになったら、ちゃんとした椅子に腰掛けて食事ができるようになるのだ?」

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「酔っていたまえ」Enivrez-vous(壺齋散人訳)

  常に酔っていることが肝要だ。すべてはそこにある。これこそ唯一の問題なのだ。君の肩に食い込み、君を地面に向かって傾けさせる時の重荷を感ぜずにいるためには、休みなく酔っていなければならぬ。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「貧乏人の玩具」Le joujou du pauvre(壺齋散人訳)

  無邪気な気晴らしをひとつ、諸君に教えてあげよう。この世には罪のない遊びが少なすぎるから。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「髪の毛の中の半球」Un hémisphère dans une chevelure (壺齋散人訳)

  いつまでも、いつまでも、お前の髪の匂いをかがせておくれ。渇いた人が泉に顔をくっつけるように、我が顔をお前の髪に埋め、香水を染み込ませたハンカチのような我が手でお前の髪を揺さぶり、思い出のかけらを大気のなかに撒き散らしたい。

ボードレール「パリの憂鬱」から「群集」 Les foules(壺齋散人訳)

  群集のなかに湯浴みすることは誰にでもできるものではない。群集を享受することはひとつの芸術なのである。幼い頃妖精によって仮装と仮面への趣味を吹き込まれ、定住を嫌い、旅を愛する者のみが、人類にツケを回して、陽気な酒盛りを楽しむことができる。

ボードレール「パリの憂鬱」から「犬と香水瓶」Le chien et le flacon(壺齋散人訳)

  「私の子犬、可愛いワン公、こっちへきて香水の匂いを嗅いでごらん、最高級の店で買ってきたんだぞ。」

ボードレール「パリの憂鬱」から「道化とヴィーナス」(壺齋散人訳)

  何とすばらしい日なんだろう!広い公園も燃えるような太陽の下でうっとりとしている。まるで若い娘がキューピッドに操られているかのようだ。

ボードレール「パリの憂鬱」から「キマイラを背負った人々 」 Chacun sa chimère(壺齋散人訳)

  灰色の空の下、道もなく、芝もアザミもイラクサも生えぬ埃まみれの大地を、腰を曲げて歩いていく一団の人々に出会った。

  彼らの一人一人は背中に巨大なキマイラを背負っている。それは小麦粉か石炭を詰め込んだズタ袋のように、あるいはローマ歩兵の背嚢のように重く見えた。

ボードレール「パリの憂鬱」から「おどけ者」(壺齋散人訳)

  新年のお祭騒ぎだ。泥と雪の混沌の中を、夥しい馬車が行き交い、玩具と菓子がきらきらと輝き、欲望と絶望がめくるめく。大都会のお祭騒ぎは、孤独な連中の脳味噌さえ浮かれさせるのだ。

ボードレール「パリの憂鬱」から「芸術家の懺悔」(壺齋散人訳)

  秋の夕暮れの何と心に沁みることよ。苦痛なまでに心に染み入る。この世には、漠然としつつも強烈さを失わないある種の甘美な感覚がある。輪郭の定まらぬ切っ先ほどする鋭いものはない。

ボードレール「パリの憂鬱」から「老婆の絶望」(壺齋散人訳)

  しなびれた小さな老婆が、可愛い子どもを見て目を細めた。みなが可愛がり、いつくしんでいるこの小さな子どもは、彼女のように弱々しい。老婆もまた、この小さな子どものように、歯もなく髪も生えてないのだ。

ボードレール「パリの憂鬱」から「異邦人」(壺齋散人訳)

  「一番好きなものは何かい、いってごらん謎めいた人よ、父親、母親、妹、それとも弟かい?
  「わしには父も母も、妹も弟もおらぬ
  「じゃあ友達かい?
  「そんな言葉は、今に至るまでわしの知らぬ言葉じゃ
  「祖国かい?
  「そんなものがどこにあるかも知らぬ
  「美かい?
  「女神や不死神なら、好きになっても良い
  「金は?
  「あんたが神を嫌いなように、わしは金が大嫌いじゃ
  「いったい何が好きなんだ、変わった異邦人よ
  「わしが好きなのは雲じゃ、あそこに浮かんでるあの雲、あのすばらしい雲じゃ

散文詩集「パリの憂鬱」はボードレールの晩年を飾る作品群である。ボードレールは晩年に至って、韻文の形式で詩を書くことに困難を感じたらしく、もっぱら散文の形で詩情を綴るようになるが、それはそれで「悪の華」とは一味違う独特の世界をかもし出すことに成功している。ボードレール自身も、そこに新しい可能性を感じ取り、百篇くらいを書き上げて、散文詩集の形で出版したい意向を持つようになった。しかしその願いは達成されず、彼の死後、残された51篇の作品が「パリの憂鬱」と題して出版された。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「旅」 Le Voyage を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「貧乏人の死」 La Mort des pauvres を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「破滅」 La Destruction を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「人殺しのワイン」 Le Vin de l'assassin を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「ワインの精」L'Ame du Vin を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」から Les Fleurs du Mal 「通りすがりの女へ」 À une passante を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「盲者たち」 Les Aveuglesを読む。(壺齋散人訳)

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