ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「もう」Déjà(壺齋散人訳)
既に百度も太陽は、水平線がかろうじて見える海の、この巨大な桶の中から、輝かしくあるいは悲しげに出現したのだった。既に百度も太陽は、夕暮れの巨大な水槽の中に、きらめきつつ或いは不機嫌そうに沈んだのだった。もう何日も前から、我々は天空の反対側に思いを馳せ、そこに何があるか憶測してきた。どの船客もぶつぶつと不平を鳴らした。陸地の近づいたことが、彼らの苛立ちを募らせたのかもしれない。「いったいいつになったら」と彼らはいうのだ。「高波に揺られ、どよめく風に煽られながら寝なくともすむようになるのだ?いったいいつ、海水のように塩辛くない肉を食えるのだ?いつになったら、ちゃんとした椅子に腰掛けて食事ができるようになるのだ?」
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