知の快楽


スピノザには政治を論じた著作が二つある。ひとつは「神学・政治論」であり、彼の生前に刊行された唯一の体系的著作である。二つ目は「政治論」であるが、これは「エチカ」執筆後に書かれ、死後遺作集のなかに収められた。同じく政治を論じており、思想的な内容には共通するものがあるが、構成や問題提起の面で、多少の相違がある。

スピノザの神はキリスト教が教えるような人格神ではなく、宇宙の存在そのものと不可分なもの、あらゆる事象の根拠となって、しかもその事象のうちに顕現しているものであった。この神は理念的には必然性をあらわし、存在性格としては永遠性という形をとる。だから我々が神について想念するとき、我々は永遠の相の下に世界を見ることになる。

スピノザの人間観あるいは倫理思想のユニークな点は、人間の自由な意思を否定するところである。スピノザによれば、世界のあらゆる事柄は、それを全体としてみればひとつの必然性に貫かれている。どんな出来事も偶然におきることはなく、必然の糸によってつながれている。人間の起こす出来事もそうだ。たとえある人間が恣意にもつづいて行なったと思われるものも、その裏には必然性が貫徹している。

スピノザの神

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デカルトの心身二元論によれば、人間は精神という実体と延長としての身体という実体とが何らかの形で結合したものであった。そして神は、これら二つの実体に根拠を与えるところの第三のしかも高次の実体とされた。だがスピノザにいわせれば、精神と身体とは実体とはいえない。なぜなら、デカルトも認めるように、実体とは唯一にして無二の、それ自身の中に自分の根拠を有する存在であって、厳密にそういえるのは神しかないからだ。

スピノザの主著「エチカ」を読むと、まずその独特の構成に驚かされる。全体は第一部の「神について」に始まり、5部に分かれているが、いずれの部も、定義に始まり、公理、定理、証明の連鎖からなっており、あたかもユークリッド幾何学の論文でも読んでいるような感じをさせられる。

スピノザの世界観は、神の形而上学ともいうべきものである。スピノザは、人間の精神の働きを含めた、この世界のあらゆる営みや出来事を神の働きあるいは現われとして理解する。言い換えれば、全体としての世界が神という単一の実体をなしており、その部分はいずれも単独では存在しえず、全体の一部としてのみ存在すると説明する。このような教説を、バートランド・ラッセルは論理的一元論と表現した。

スピノザ Baruch De Spinoza(1632-1677) の哲学を正しく理解するためには、時代的背景との関連を考慮に入れなければならない。

パスカルが神への信仰を賭に喩えたのはあまりにも有名だ。そこには二重の意味が込められている。神の存在が自明ではないことが一つ、もうひとつは、それにもかかわらず、我々人間は神の恩寵によってしか救われないということだ。

パンセは、パスカルが晩年(といっても30代半ばだが)に、キリスト教の弁証論を執筆するために書き溜めた草稿を、死後友人たちがまとめたものである。草稿といっても断片類が順序もなく乱雑に残されていただけで、そこにパスカル自身の明確で統一したヴィジョンが示されていたわけではなかった。だが友人たちは、それらをつなぎ合わせて一冊の書に纏めた。

ブレーズ・パスカル Blaise Pascal (1623-1662) の宗教意識にはジャンセニスムの影響が見られる。ジャンセニスムとはオランダの神学者コルネリウス・ヤンセン (1585-1638) の思想であり、その遺作が1640年に発表されるや、フランスの貴族階級を中心に根強い信奉者を獲得した。パスカルは1646年に偶然ジャンセニスムの信徒と知り合いになり、その思想に帰依するようになったのだが、本格的なジャンセニストになるのは、1654年31歳の時である。彼はこの年、恩寵の火を見て決定的な回心を行い、その時の感動をメモリアルという形で羊皮紙に書き入れ、生涯お守りとして身につけていた。

デカルトとパスカルには共通するところが多い。まず外面的な事情からいうと、二人はともに科学者として出発した。デカルトは数学の分野では座標幾何学の基礎を築き、力学の分野でも多大の業績を上げた。他方パスカルはデカルト以上の天才振りを科学研究史上に発揮した。すでに16歳にして「円錐曲線試論」を書き、真空の実験、大気の圧力の実証(ヘクトパスカルという言葉に残されている)、水圧の原理の発見(パスカルの原理)、確率論の創始などさまざまな業績を上げた。パスカルがもし、一生を科学に捧げたならば、考えられぬような偉業を達成したであろうといわれている。

デカルトは方法的懐疑を行使してすべてのものの存在を一旦棚上げした上で、私の心の中にあるものを探っていくうちに、こうして考えているという行為そのものが、明晰で疑い得ないことであるし、したがって考えている私そのものの存在も疑い得ないものなのだという心証に達した。

デカルトは若い頃から自然観察に深い興味を示し、自然の体系に関する独特の理論を築き上げた。彼はその成果を30歳ころ「世界論」という著作にまとめたが、そのなかには地動説を支持する考えが述べられていた。ところがガリレオの地動説が弾圧されるのを見たデカルトは、この書物の出版をあきらめてしまった。

デカルトは、精神と物体とをそれぞれ異なった本質を持つ二つの別個の実体として区別した。しかもこの世界には、神をのぞいては、この二つの実体より以外には本質的なものは何も存在しないのである。

デカルトは方法的懐疑を用いて、人間の感覚、知覚や思考の中に現れてくるすべての事象を一旦棚上げした。そうすることで「思考する我」つまり「精神的存在としての私」を抽出してくるのであるが、この際に疑いの対象となったものの中心は、通常我々が物質と呼ぶものである。物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない、それはいくらでも疑いうるものなのだ、これがデカルトの方法的懐疑の核心的主張であった。

デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり」 Cogito ergo sum は、あらゆる意味でヨーロッパの近代思想の出発点となった。それは世界の存在や人間の認識を、個人の意識の明証性に立脚させるものである。何者もこの明証性によって支持されないものは、その存在を明証的なものとして主張し得ない。デカルト以降今日に至るヨーロッパの哲学思想は、すべてこの意識の呪縛の中から生まれてきたのである。

「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。」(野田又夫訳、以下同じ)これはデカルトの著作「方法序説」第一部の冒頭を飾る言葉である。デカルトは続けて次のようにいう。「よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、これはすべての人において相等しい。」

西洋の近代哲学はルネ・デカルト René Descartes に始まる。そういえる理由はいくつかある。まず第一に、哲学を思弁ではなく、経験に立脚させたことである。西洋の近代哲学は、経験論の潮流にせよ、観念論の潮流にせよ、人間の確固とした経験に裏付けられていない形而上学的な思弁を排除する傾向を持つが、そうした態度はデカルトの方法的な態度に淵源する。

ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564-1642) は、近代科学の偉大な創始者として、科学史上特別の敬意を払われている。その業績は主に、天文学の分野と力学の分野において著しい。そのなかには今日から見て明らかな誤りも含まれているが、ガリレオが科学者として偉大な所以は、その達成した成果以上に、科学に臨む彼の態度にあった。

フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1622) は、近代的な帰納法の創始者として知られている。また学問を確固たる実証の手続きによって基礎付けようとした点において、近代科学の精神を体現した最初の思想家であったということができる。その人物がイギリスに出現したことの意味も大きい。イギリスはベーコンの業績を踏まえ、以後経験を重視する学問が栄えていくのである。

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