知の快楽


マケドニアのアレクサンドロスがギリシャから東方世界にかけてを統一し、世界帝国を作り上げると、かつてのギリシャの都市国家は没落した。それにともない、都市国家を舞台に花開いた、自由で闊達な議論、自然や人間の本性を見極めようとする客観的で普遍的な精神は衰退した。人びとは開かれた大帝国にコスモポリタンとして生きることに反比例するかのように、ますます個人的で主観的な世界に後退していったのである。

アリストテレスは哲学史について自覚的に語った世界で最初の思想家である。無論彼の生きた歴史的な制約からして、その対象はギリシャの哲学であったが、そこにはある一定のヴィジョンにもとづいて思想の発展をたどるという、哲学史を叙述する際に必要な方法意識が働いていた。そういう意味合いにおいて、アリストテレスは世界で最初の哲学史研究家なのである。

アリストテレスは人間の理性を二元的に捉えていたようである。理念的で能動的な理性と、感覚とつながりをもった受動的理性とである。

アリストテレスは「天体論」の中で宇宙の構造について議論している。それは古代のギリシャ人が抱いていた天体と宇宙に関する想像力を理論的な形式のもとにまとめたものだといえる。その意味ではギリシャ的宇宙像の繰り返しであったが、後世に及ぼした影響は計り知れなかったのである。

アリストテレスの自然哲学は、プラトンに集約されたギリシャ古来の伝統的自然観にアリストテレス独自の「質量―形相」の理論を接木したものである。それは一言でいえば、人間を頂点とした目的論的自然観であったといる。

アリストテレスの政治思想は「政治学」の中で展開されている。それはアリストテレスが生きてきたギリシャの都市国家での政治的実践を踏まえたもので、プラトンに見られたような極端な傾向に陥らず、当時の政治的常識といったものを反映しているといえるが、他方、アレクサンドロスによってギリシャ世界が併合され、新たな帝国主義的動きが勃興しつつあった世界の動きに対しては殆ど無頓着なものである

アリストテレスの倫理学は、プラトンやソクラテスの倫理思想とは甚だ色合いを異にしている。プラトンとソクラテスが極めて理念的な倫理学を展開したのに対して、アルストテレスは同時代のギリシャ人の実際の生活に根ざした、常識的な議論を展開しているといえるのである。

演繹的推論としての三段論法に関する議論と並んで、アリストテレスの論理学が後世に及ぼした影響の中で重要なものは、カテゴリーに関する議論である。カテゴリーとは、存在のもっとも普遍的な規定であるような諸概念をさす。それは論理的に整理された存在の諸様相の一覧表であり、体系的な存在論の試みとして、後世の学者たちに受け取られてきた。

アリストテレスが後世に影響を及ぼした業績の中でもっとも重要なものは、形式論理学である。カントは、アリストテレス以来論理学は進歩も退歩もしなかったといっているくらいである。今日においては、集合論の見地から、アリストテレスの論理学は乗り越えられ、また彼の追及した推論の形式が論理的思考の一部に過ぎないことが明らかになってきたが、それにもかかわらず、アリストテレスの論理学が歴史上に果たした役割は偉大であった。

形而上学という言葉は、西洋哲学の長い歴史の中でさまざまな衣をかぶせられ、実に曖昧な意味に覆われてしまった。時にはこの世の秩序を越えた天上界のことを研究する学問という風にも解釈される。しかし、もともとこの言葉の元になったアリストテレスの著作は名称を持たなかったし、アリストテレスの著作を整理して名称を付した者にとっても、形式的な意味しか持たなかったのである。

アリストテレスは、ギリシャの哲学が創造的でありえた時代の最後に現れた哲学者である。西洋の哲学が真に創造的であったのは、アリストテレスの時代までであって、その後近代の夜明けに至るまで、形式主義に毒された長い沈滞の時代が続いた。だからアリストテレスは、さまざまな意味で、西洋思想の節目を画す巨大な存在だったといえる。

プラトン哲学の著しい特徴は、実在と仮象、イデアと現象的な世界、理性と感性とを峻別する厳しい二元論である。プラトンはこれらそれぞれに対をなすものうち、前者こそが真理や善にあずかるものであり、後者はかりそめなものに過ぎないという、強い確信を持っていた。

プラトンはイオニアの自然哲学者たちのようには、自然に大きな関心を持つことがなかった。かれが自然を問題として取り上げるときには、つねにイデア、つまり理性的な存在者との関連のもとに考察する。自然はそれ自体では、自足し完結した存在ではなく、イデアの似姿としてのみ意義を持ちえたのである。

プラトンの理想とした国家像は原始共産制的階級社会というべきものであった。原始的とはいえ、共産主義と階級社会とは相容れないもののように考えられがちであるが、プラトンはこれらを融合させて、究極の超国家主義的な社会のありかたを理想のものとして夢見たのであった。

プラトンは倫理思想については、師ソクラテスの教えを生涯忠実に守った。ソクラテスによれば徳とは知識であり、従って教えることのできるものであった。人は真理を知っておりながら、それを実践しないことは矛盾である。だから、人びとに正しい知識を持たせれば、おのずから徳が実現されるようになる。

プラトンが良きにつけ悪しきにつけ西洋哲学にもたらした最大の寄与は、イデアの解明とそれにもとづく観念論的世界観を確立したことだろう。プラトン以降の西洋の哲学的伝統は、個別と普遍、現象と実体、存在と知識、世界の認識論的解明といった諸問題についてかかわり続けてきたが、それらの諸問題はすべて、プラトンによってはじめて体系的な形で提出されたのである。

プラトンの対話編「テアイテトス」は、プラトンがソクラテスから自立して独自の思想を展開し始めた中期の作品群の先頭をなすものである。彼の思想の最大のテーマとなった「イデア」の研究に向けての橋頭堡ともなった。

プラトンが西洋哲学に及ぼした影響は計り知れないものがある。その説は、一部はアリストテレスによってソフィスティケートされて、その後の西洋的な知の枠組みを制約し続けてきた。それは一言では言い表せないが、現象を理解する際の概念的で論理的な方法であり、また世界の本質を理念的なものとしてとらえる態度であるといえよう。

ソクラテスの方法はディアレクティケー(弁証法)と呼ばれるものである。この言葉は近代に至ってヘーゲルが自分の方法として用いるようになったので、また別の色合いを持たされるようにもなったが、もともとは弁論・弁証を通じて、真理とは何か、徳とは何かについて、考究しようとする方法であった。

「饗宴」は、プラトンの作品の中でも最も知られているものだ。テーマが「エロス」つまり愛とか恋とかいわれるものであり、ギリシャ風の宴会スタイルにのっとって、出場者たちが次々と珍説を展開していくという筋運びが、わかりやすくまた艶めいてもいるからだろう。

Previous 1  2  3  4  5




アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち74)知の快楽カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは71)読書の余韻です。

次のカテゴリは76)美を読むです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。