漢詩と中国文化


蘇軾の七言絶句「春夜」(壺齋散人注)

  春宵一刻値千金  春宵 一刻 値千金
  花有淸香月有陰  花に淸香有り月に陰有り
  歌管樓臺聲細細  歌管 樓臺 聲細細
  鞦韆院落夜沈沈  鞦韆 院落 夜沈沈

蘇軾の七言絶句「山邨五絶其三」(壺齋散人注)

  老翁七十自腰鎌  老翁七十にして自から鎌を腰にし
  慚愧春山筍蕨甜  慚愧す春山筍蕨の甜きに
  豈是聞韶解忘味  豈に是れ韶を聞いて解(よ)く味を忘れんや
  邇來三月食無鹽  邇來三月食に鹽無し

蘇軾の七言絶句「望海樓晩景五絶」(壺齋散人注)

  青山斷處塔層層  青山斷ゆる處 塔層層
  隔岸人家喚欲應  岸を隔つる人家 喚べば應へんと欲す
  江上秋風晩來急  江上の秋風晩來急なり
  為傳鐘鼓到西興  為に鐘鼓を傳へて西興に到る

蘇軾の七言絶句「夜西湖に泛ぶ五絶其四」(壺齋散人注)

  菇蒲無邊水茫茫  菇蒲無邊水茫茫たり
  荷花夜開風露香  荷花夜開いて風露香し
  漸見燈明出遠寺  漸く燈明の遠寺を出づるを見る
  更待月黑看湖光  更に月の黑きを待ちて湖光を看ん

蘇軾の七言絶句「吉祥寺にて牡丹を賞す」(壺齋散人注)

  人老簪花不自羞  人は老いて花を簪し自からは羞じず  
  花応羞上老人頭  花は応に羞ずべし老人の頭に上るを
  酔帰扶路人応笑  酔帰路に扶けられて人応に笑ふべし
  十里珠簾半上鈎  十里珠簾半ば鈎に上せらる

蘇軾の七言絶句「六月二十七日望湖樓醉書其一」(壺齋散人注)

  黑雲翻墨未遮山  黑雲墨を翻して未だ山を遮らず
  白雨跳珠亂入船  白雨珠を跳らせて亂れて船に入る
  卷地風來忽吹散  地を卷き風來って忽ち吹き散ず
  望湖樓下水如天  望湖樓下水天の如し

杭州は五代十国時代地方政権呉越(907-978)の都があった。そこで蘇軾は戦国時代の呉越抗争を思い出し、西湖に西施のイメージを重ねた詩を作った。

熙寧四年(1071)十一月、蘇軾は任地杭州につく。銭塘江の河口近くの北岸に位置していた、後に南宋の首都となるこの都市は、蘇軾が着任した時にも大都市であり、しかも美しい街だった。

弟と頴州で別れた蘇軾は、淮河、江沢湖を経て、大運河を下って揚州に至り、そこから長江をわたって対岸の鎮江に至った。鎮江には名勝金山寺がある。蘇軾はこの寺に立ち寄って、一片の詩を詠んだ。

熙寧元年(1066)父蘇洵の喪が明けると、蘇軾は亡妻王弗の従妹閏之を娶り、十二月には家族および弟の蘇轍らとともに都の開封に向かった。そんな蘇軾を待っていたのは、新旧両法の抗争であった。蘇軾は王安石と意見が衝突し、中央にいては身の危険が及ぶことを恐れ、地方転出を自ら申し出た。

蘇軾の生涯にとって、王安石との関係ほど多義的なものはない。新法派と旧法派をそれぞれ代表する人物として対立しながら、一個の人間としては、互いに尊敬しあい、また敬愛しあったのである。

蘇軾の楽府「江城子」(壺齋散人注)

  十年生死兩茫茫  十年 生死 兩つながら茫茫たり
  不思量 自難忘  思量せざるも 自ら忘れ難し
  千里孤墳     千里 孤墳
  無處話淒涼    話す處無く淒涼たり
  縱使相逢應不識  縱使(たとひ)相ひ逢ふも應に識るべからず
  塵滿面 鬢如霜  塵 面に滿ち 鬢 霜の如し

蘇軾の七言絶句「驪山絶句三首其一」(壺齋散人注)

  海中方士覓三山  海中の方士三山を覓む
  萬古明知去不還  萬古明らかに知る 去って還らざるを
  咫尺秦陵是商鑑  咫尺の秦陵は是商鑑
  朝元何必苦躋攀  朝元何ぞ必らずしも躋攀に苦しまん

蘇軾の七言古詩「子由に戲る」(壺齋散人注)

  宛丘先生長如丘  宛丘先生長きこと丘の如く
  宛丘學舍小如舟  宛丘の學舍小なること舟の如し
  常時低頭誦經史  常時頭を低れて經史を誦じ
  忽然欠伸屋打頭  忽然として欠伸しては屋頭を打つ
  斜風吹帷雨註面  斜風帷を吹いて雨面に註ぐ
  先生不愧旁人羞  先生は愧じず旁人羞ず
  任從飽死笑方朔  任從(さもあらばあれ)飽死して方朔を笑へ
  肯為雨立求秦優  肯て雨に立つが為に秦優を求めんや

蘇軾の七言律詩「子由の澠池懐旧に和す」(壺齋散人注)

  人生到處知何似  人生到る處 知んぬ何にか似たる
  応似飛鴻踏雪泥  応に飛鴻の雪泥を踏むに似たるべし
  泥上偶然留指爪  泥上偶然として 指爪を留むるも
  鴻飛那復計東西  鴻飛ばば那ぞ復た 東西を計らん
  老僧已死成新塔  老僧は已に死して 新塔を成し
  壊壁無由見旧題  壊壁は旧題を見るに由無し
  往日崎嶇還記否  往日の崎嶇 還た記するや否や
  路長人困蹇驢嘶  路長く人困しみ蹇驢嘶きしことを

蘇軾の七言古詩「辛丑十一月十九日既に子由と鄭州西門之外に別れ、馬上にて詩一篇を賦して之に寄す(壺齋散人注)

  不飲胡為醉兀兀  飲まざるに胡為(なんすれ)ぞ醉うて兀兀たる
  此心已逐歸鞍發  此の心已に歸鞍を逐うて發す
  歸人猶自念庭闈  歸人猶ほ自から庭闈を念ふ
  今我何以慰寂寞  今我何を以てか寂寞を慰めん
  登高回首坡壟隔  高きに登り首を回らせば坡壟隔たり
  但見烏帽出復沒  但だ見る烏帽の出でては復た沒するを
  苦寒念爾衣裘薄  苦寒には爾を念ふ衣裘薄くして
  獨騎瘦馬踏殘月  獨り瘦馬に騎りて殘月を踏むを

蘇軾の七言律詩「江上に山を看る」(壺齋散人注)

  船上看山如走馬  船上 山を看れば走馬の如く
  倏忽過去数百群  倏忽として過ぎ去ること数百群
  前山槎牙忽変態  前山は槎牙として忽ち態を変じ
  後嶺雑沓如驚奔  後嶺は雑沓して驚奔するが如し
  仰看微徑斜繚繞  仰いで微徑を看れば斜に繚繞し
  上有行人高縹渺  上に行人あり高くして縹渺たり
  舟中挙手欲與言  舟中 手を挙げて與に言はんと欲すれば
  弧帆南去如飛鳥  弧帆 南に去って飛鳥の如し

中国の詩人の理想像は、科挙に及第して国家枢要の人物に栄進し、その傍ら詩を以て政治を論じ、花鳥風月を詠じ、また人生を究明せんとすることにあった。彼らは詩のために詩を書くことを潔しとしなかったのである。

杜甫の七言律詩「小寒食舟中作」(壺齋散人注)

  佳辰強飯食猶寒  佳辰に強飯すれば食猶ほ寒し
  隱机蕭條戴鶡冠  机に隱(よ)り蕭條として鶡冠を戴く
  春水船如天上坐  春水 船は天上に坐するが如く
  老年花似霧中看  老年 花は霧中に看るに似たり
  娟娟戲蝶過閑幔  娟娟たる戲蝶は閑幔を過ぎ
  片片輕鷗下急湍  片片たる輕鷗は急湍を下る
  雲白山青萬餘裏  雲白く山は青し萬餘の裏
  愁看直北是長安  愁ひ看れば直北は是れ長安

杜甫の七言絶句「江南にて李龜年に逢ふ」(壺齋散人注)

  岐王宅裏尋常見  岐王の宅裏尋常に見る
  崔九堂前幾度聞  崔九が堂前に幾度か聞きし
  正是江南好風景  正に是れ江南の好風景 
  落花時節又逢君  落花の時節に又君に逢ふ

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