劉景文家藏樂天身心問答三首戲書一絶其後:蘇軾を読む

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蘇軾の詩「劉景文の家に樂天身心問答三首を藏す、戲れに一絶を其後に書す」(壺齋散人注)

  淵明形神自我  淵明は形神自ら我とし
  樂天身心相物  樂天は身心相物とす
  而今月下三人  而今 月下の三人
  他日當成幾佛  他日 當に幾佛と成るべき

淵明は肉体と精神はそれぞれ独立しているとし、楽天は肉体と精神は結びついているとした、いったい、肉体、精神、影の三者は、死んだあといくつの仏になるのだろうか


友人劉景文の家に白楽天の詩軸があったのだろう、そのうちの一つに戯れて作った詩、

陶淵明は「形影神」の中で、肉体、精神、影の三社がそれぞれ独立したもののように描いた、それに対して白楽天は、肉体は精神に服従しているとした。蘇軾は仏教信者であったから、白楽天の考え方に共感している。


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