船弁慶:観世小次郎信光の能

| コメント(0) | トラックバック(0)

120601.yhunabenkei.jpg

能「船弁慶」は、世阿弥の甥観世小次郎信光の代表作である。世阿弥が幽玄を旨として当時の支配階級たる武家の趣味にこたえようとしたのに対して、信光は演劇的要素の強い大衆受けする作品を書いた。その点で世阿弥の能とは対極に位置する。

この船弁慶においても、演劇的な要素は最大限盛られている。ワキの船弁慶は、単にシテを盛り立てるための脇役にとどまらず、劇全体の進行役を務めてもいるし、間狂言も重要な役割を演じる。義経役の子方もそうだ。シテのみならず登場人物の全員がそれぞれの役割を通じて、劇を大いに盛り立てている。その結果非常に動きが大きく、しかも見せ場の多い曲になっている。現行の能の中でも、もっとも人気のある曲のひとつだ。

二場形式であるが、前段のシテは静御前、後段のシテは平知盛といった具合に、前後にはあまり関連はない。前段では義経と静午前の別れが演じられ、後段では船に乗った義経の一行に、義経によって滅ぼさらた平家の亡霊が襲い掛かるというものである。

前段の見せ場は静午前の舞、後段は知盛の亡霊の舞働きである。

ここでは先日NHKが放送した横浜能楽堂での舞台を紹介する。シテは梅若玄祥、ワキは殿田謙吉、間狂言は山本東次郎だった。

舞台には、囃子に誘われて、子方の義経、山伏姿の弁慶、義経の従者二名が一列になって登場する。弁慶は、主君の義経が、平家を亡ぼすに功績あったにもかかわらず、頼朝の不況を蒙り、追われる身となったために、西へ向かって落ち延びる途中だと宣言する。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ二人次第「今日思ひ立つ旅衣。今日思ひ立つ旅衣。帰洛をいつと定めん。
ワキ詞「かやうに候ふ者は。西塔の傍に住居する武蔵坊弁慶にて候。さても我が君判官殿は。頼朝の御代官として平家を亡ぼし給ひ。御兄弟の御中日月の如く御座候ふべきを。ゆひかひなき者の讒言により。御中たがはれ候ふ事。かへすがへすも口惜しき次第にて候。然れども我が君親兄の礼を重んじ給ひ。一まづ都を御開きあつて。西国の方へ御下向あり。御身に過なき通りを御歎きあるべき為。今日夜をこめ淀より御船に召され。津の国尼が崎大物の浦へと急ぎ候。
ワキ、ワキツレ二人サシ「頃は文治の初めつかた。頼朝義経不会の由。すでに落居し力なく。
子方「判官都ををち近の。道狭くならぬ其さきに。西国の方へと志し。
ワキ、ワキツレ二人「まだ夜深くも雲居の月。出づるも惜しき都の名残。一年平家追討の。都出には引きかへて。唯十余人。すご/\と。さも疎からぬ友舟の。
下歌「上りくだるや雲水の身は定めなき習かな。
上歌「世の中の。人は何とも石清水。人は何とも石清水。清み濁るをば。神ぞ知るらんと。高き御影を伏し拝み。行けば程なく旅心。潮も波も共に引く大物の浦に着きにけり大物の浦に着きにけり。

大物(だいもつ)の浦は摂津の国の港(現在の尼崎市)、当時は陸上交通と海上交通の接点になっていた。義経一行はここから船に乗って、西国へ向かおうというのである。

弁慶はとある船宿に声をかける。すると宿の主人が答える。主人は弁慶のたのみに応じて、一夜の宿を貸すことにする。

ワキ詞「御急ぎ候ふ程に。これははや大物の浦に御着にて候。某存知の者の候ふ間。御宿の事を申しつけうずるにて候。いかに此屋の主の渡り候ふか。
狂言「誰にて御入り候ふぞ。
ワキ「いや武蔵にて候。
狂言「さて只今は何の為の御いで候ふぞ。
ワキ「さん候我が君をこれまで御供申して候。御宿を申し候へ。
狂言「さらば奧の間へ御通り候へ。御用心の事は御心安く思しめされ候へ。

静御前が義経の後を追って近くまで来ていることを察した弁慶は、そのことを義経に伝え、自分にまかせてほしいという。義経は弁慶にまかせるという。

ワキ「如何に申し上げ候。恐れ多き申し事にて候へども。正しく静は御供と見え申して候。今の折ふし何とやらん似合はぬ様に御座候へば。あつぱれこれより御かへしあれかしと存じ候。
子方「ともかくも弁慶はからひ候へ。
ワキ「畏つて候。さらば静の御宿へまゐりて申し候ふべし。

弁慶は静御前のもとをたずね、都へ帰るように促す。静御前は、弁慶が義経の本音とは異なることをいっているのではないかと疑い、自分で義経に会って意向を確かめたいと答える。弁慶は不満であったが、好きなようにしなさいという。

ワキ詞「いかに此屋の内に静の渡り候ふか。君よりの御使に武蔵が参じて候。シテ詞「武蔵殿とはあら思ひよらずや。何のための御使にて候ふぞ。
ワキ「さん候唯今参る事余の儀にあらず。我が君の御諚には。これまでの御参かへすがへすも神妙に思しめし候。去りながら。唯今は何とやらん似合はぬやうに御座候へば。これより都へ御帰あれとの御事にて候。
シテ「これは思ひもよらぬ仰かな。いづくまでも御供とこそ思ひしに。頼みても頼みなきは人の心なり。あら何ともなや候。
ワキ「扨御返事をば何と申し候ふべき。
シテ「自ら御供申し。君の御大事になり候はゞ留まり候ふべし。
ワキ「あら事々しや候。たゞ御とまり有るが肝要にて候。
シテ「よく/\物を案ずるに。これは武蔵殿の御はからひと思ひ候ふ程に。わらは参り直に御返事を申し候ふべし。
ワキ「それはともかくもにて候。さらば御参り候へ。

静は直接義経に面会する。すると義経の口からも、弁慶と同じ言葉が出てくるので、静御前は弁慶を疑ったことを恥じる。

ワキ詞「如何に申し上げ候。静の御参にて候。
子方「いかに静。此度思はずも落人となり落ち下る所に。是まで遥々来る志。かへすがへすも神妙なりさりながら。はるばるの波涛をしのぎ下らん事然るべからず。先此度は都に上り。時節を待ち候へ。
シテ「さては誠に我が君の御諚にて候ふぞや。よしなき武蔵殿を恨み申しつる事の恥かしさよ。返すがへすも面目なうこそ候。へ。
ワキ「いや/\これは苦しからず候。唯人口を思しめすなり。御心変るとな思しめしそと。涙を流し申しけり。

義経は弁慶に命じて静に酒を勧めさせ、また舞を舞うように求めさせる。

シテ「いやとにかくに数ならぬ。身には恨もなけれども。これは舟路の門出なるに。
地歌「浪風も。静を留め給ふかと。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変らじと。契りし事も定なや。げにや別より。まさりて惜しき命かな。君に二たび逢はんとぞ思ふ行末。
子方詞「いかに弁慶。静に酒をすゝめ候へ。
ワキ「畏つて候。げに/\これは御門出の。行末千代ぞと菊の盃。静にこそすゝめけれ。
シテ「妾は君の御別。やる方なさにかきくれて。涙にむせぶばかりなり。
ワキ詞「いや/\これは苦しからぬ、旅の舟路の門出の和歌。唯一さしと勧むれば。
シテ「其時静は立ち上り。時の調子を取りあへず。渡口の郵船は。風静まつて出づ。
地「波頭の謫所は。日晴れて見ゆ。
ワキ詞「これに烏帽子の候召され候へ。

ここで物着が挟まり、静御前は弁慶から差し出された烏帽子をかぶり、舞の準備をする。

シテ「立ち舞ふべくもあらぬ身の。
地「袖打ち振るも。恥かしや。

準備のととのった静は、舞台を一巡(イロエ)。その間に、サシ、クセと続く。

シテサシ「伝へ聞く陶朱公は勾踐をともなひ。
地「会稽山にこもりゐて。種々の智略をめぐらし。終に呉王を亡ぼして。勾踐の本意を。達すとかや。
クセ「しかるに勾踐は二度代を取り会稽の恥を雪ぎしも。陶朱攻を成すとかや。されば越の臣下にて。政を身に任せ。功名富み貴く。心の如くなるべきを。功成り名遂げて身退くは天の道と心得て。小船に棹さして五湖の。煙涛をたのしむ。
シテ「かゝる例も有明の。
地「月の都をふりすてゝ。西海の波涛に赴き御身の科のなきよしを。歎き給はゞ頼朝も。終にはなびく青柳の。枝を連ぬる御契。などかは朽ちし果つべき。
地「唯たのめ。

クセの後は、中ノ舞。前段の見せ所だ

シテワカ「唯頼め。しめぢが原の。さしも草。
地「我世の中に。あらん限りは。
シテ「かく尊詠の。偽なくは。
地「かく尊詠の偽なくは。やがて御代に出舟の。船子ども。はや纜をとく/\と。/\。勧め申せば判官も。旅の宿を出で給へば。
シテ「静は泣く/\。
地「烏帽子直垂ぬぎ捨てゝ。涙にむせぶ御別。見る目もあはれなりけり。見る目もあはれなりけり。

中入を利用する形で、間狂言が船の作り物を自分で運び入れ、航海の準備をしたうえで、義経主従に乗るように進める。

ところが義経は、ここで一泊しようと思いがけないことを言いだす。静への未練がそうさせていると思った弁慶は、是が非でも出帆と義経を説得し、一同は船に乗り込む。

ワキ詞「静の心中察し申して候。やがて御舟を出さうずるにて候。
ワキツレ「いかに申し候。
ワキ「何事にて候ふぞ。
ワキツレ「君よりの御諚には。今日は浪風荒く候ふ程に。御逗留と仰せいだされて候。
ワキ「何と御逗留と候ふや。
ワキツレ「さん候。
ワキ「これは推量申すに。静に名残を御惜あつて。御逗留と存じ候。先御思案有つて御覧候へ。今此御身にてかやうの事は。御運も尽きたると存じ候。其上一年渡辺福島を出でし時は。以ての外の大風なりしに。君御舟を出し。平家を亡ぼし給ひし事。今以て同じ事ぞかし。急ぎ御舟を出すべし。
ワキツレ「げに/\これは理なり。いづくも敵と夕浪の。
ワキ「立ち騒ぎつゝ舟子ども。
地「えいや/\と夕汐に。つれて舟をぞ。出しける。

船が沖へ出ると間もなく、風向きが変わって 嵐になりそうな勢い。従者たちはうろたえる。

ワキ詞「あら笑止や風が変つて候。あの武庫山颪弓絃羽が嶽より吹きおろす嵐に。此御舟の陸地に着くべき様もなし。皆々心中に御祈念候へ。
ワキツレ「いかに武蔵殿此御舟にはあやかしが憑いて候。

狂言はこの言葉に激しく反応する。船の上でそのような言葉を吐くのは、自滅するようなものだという。弁慶もそのとおりだといってたしなめる。

ワキ「ああしばらく。さやうの事をば船中にては申さぬ事にて候。

しかし、そうしている間に、平家の亡霊が 海上から現れて、船を沈没させようと襲いかかる。

ワキ「あら不思議や海上を見れば。西国にて亡びし平家の一門。おの/\浮み出でたるぞや。かゝる。
詞「時節を伺ひて。恨をなすも理なり。
子方「いかに弁慶。
ワキ「御前に候。
判官「今更驚くべからず。たとひ悪霊恨をなすとも。そも何事の有るべきぞ。悪逆無道の其積り。神明仏陀の冥感に背き。天命に沈みし平氏の一類。
地「主上を始め奉り一門の月卿雲霞の如く。波に浮びて見えたるぞや。

ここで早笛に乗って知盛の亡霊が登場する。黒頭の三日月面である。

後シテ早笛「抑これは。桓武天皇九代の後胤。平の知盛。幽霊なり。
詞「あら珍らしやいかに義経。思ひもよらぬ浦浪の。
地「声をしるべに出舟の。声をしるべに出舟の。
シテ「知盛が沈みし其有様に。
地「又義経をも。海に沈めんと。夕浪に浮べる長刀執り直し。巴浪の紋あたりを払ひ。潮を蹴立て悪風を吹きかけ。眼もくらみ。心もみだれて。前後を忘ずるばかりなり。

ここで舞働が入る。後段の見せ場だ。

子方「その時義経少しもさわがず。
地「その時義経少しもさわがず。打物抜き持ち。うつゝの人に。向ふが如く。言葉をかはし。戦ひ給へば。弁慶おしへだて打物業にて。叶ふまじと。数珠さら/\と押しもんで。東方降三世。南方軍荼利夜叉。西方大威徳。北方金剛夜叉明王。中央大聖。不動明王の索にかけて。祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば。弁慶舟子に力を合せ。御船を漕ぎのけ汀によすればなほ怨霊は。慕ひ来るを。追つぱらひ祈りのけ又引く汐に。ゆられ流れ。また引く汐に。ゆられながれて。跡白波とぞ。なりにける。

知盛の亡霊にむかって弁慶が数珠を擦り続け、ついに法力を以て退散させるところは迫力がある。


関連リンク: 能楽の世界:能・狂言・謡曲





≪ 能「自然居士」観阿弥の傑作 | 能と狂言

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/4073

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2012年6月 6日 18:07に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ゴーン日産社長の報酬はリーズナブルか」です。

次のブログ記事は「金星が太陽面の前を横切る」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。