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日月人を擲てて去る(陶淵明:雑詩其二)


陶淵明の詩から「雑詩其二:日月人を擲てて去る」を読む。


雜詩其二

  白日淪西阿  白日 西阿に淪み
  素月出東嶺  素月 東嶺に出づ
  遙遙萬里輝  遙遙として萬里に輝き
  蕩蕩空中景  蕩蕩たり空中の景
  風來入房戸  風來って房戸に入り
  夜中枕席冷  夜中 枕席冷ゆ
  氣變悟時易  氣變じて時の易れるを悟り
  不眠知夕永  眠らずして夕の永きを知る
  欲言無予和  言はんと欲するも予に和するもの無く
  揮杯勸孤影  杯を揮って孤影に勸む
  日月擲人去  日月 人を擲てて去り
  有志不獲騁  志有るも騁するを獲ず
  念此懷悲悽  此を念ひて悲悽を懷き
  終曉不能靜  曉を終ふるまで靜まる能はず

日は西の山の端に沈み、月が東の峯から出てきた、月光ははるか万里の彼方まで輝き、夜空一面を照らしている

風が吹き来って室内にも入り、夜具が冷たい、季節が変わり寒くなったことを悟り、寝ることもできぬまま夜の長くなったことを感ずる

月日は人を置き去りにして過ぎ行く、この年までとうとう志を立てることが出来なかった、このことを思うと、悲しい気持ちになり、悶々として暁を迎えるのだ


落陽と季節の交代をみて、己の人生の暮れ行くことを感じ、半生を振りかえって、その不如意だったことを詠嘆した詩である。

「雑詩其一」では「歳月人を待たず」といっていたが、ここでは「日月人を擲てて去る」と、さらに踏み込んだ言い方をしている。その分、世の中の動きに取り残され、漫然と年をとってしまったことへの、詠嘆の気持ちが強い。

終夜悶々として眠れないまま、静まることのない心をもてあますと歌うのは、阮籍の「詠懐詩」に触発されたものだろう。


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