陶淵明の詩から、「雜詩其四:百年邱壟に帰す」を読む。
雜詩其四:百年邱壟に帰す
丈夫志四海 丈夫は四海を志すも
我願不知老 我は願ふ 老を知らず
親戚共一處 親戚共に處を一にし
子孫還相保 子孫還た相ひ保ち
觴弦肆朝日 觴と弦とを朝日に肆(なら)べ
樽中酒不燥 樽中 酒燥かず
緩帶盡歡娯 帶を緩めて歡娯を盡くし
起晩眠常早 起くるは晩く眠るは常に早からんことを
孰若當世士 孰若(いづれ)ぞや 當世の士の
冰炭滿懷抱 冰炭 懷抱に滿ち
百年歸邱壟 百年邱壟に歸し
用此空名道 此の空名を用って道びかるると
丈夫は四海を志すというが、わたしが願うのはそんなことではない、老いを知らず、親戚とともに暮らし、子孫が助け合い、觴と弦とを朝から並べ、樽の中には酒が絶えず、帯を緩めて歓楽し、朝は遅く起き、夜は早く寝る、そういうことなのだ
当世の人士には、利と名誉と二つながら求め、墓の中に入るまで空命を追うものもいるが、それと我が生き方と、どっちが勝っているだろうか
「百年邱壟に歸す」とは人間の命のはかないことの意である。陶淵明はよく、人命を百年に喩えた。その短い間を名利に振り回されて生きるのではなく、自分の思いのままに享楽しようではないか、そうこの詩は歌っているのである。