陶淵明「山海経を読む」から其六「太陽の女神羲和」の詩を読む。
讀山海經其六
逍遙蕪皋上 逍遙す蕪皋の上
杳然望扶木 杳然として扶木を望む
洪柯百萬尋 洪柯 百萬尋
森散覆暘谷 森散として暘谷を覆ふ
靈人侍丹池 靈人 丹池に侍し
朝朝爲日浴 朝朝 日の浴を爲す
神景一登天 神景 一たび天に登れば
何幽不見燭 何の幽か燭らされざらん
蕪皋山の上を逍遥すれば、はるか東の彼方に扶桑の木が見える、その枝ぶりは100万尋もあり、鬱蒼として太陽の昇る谷を覆っている
そこにある丹治という池には神女羲和が住んでいて、毎朝太陽に水浴をさせる、そして太陽の光が天にあがると、どんなに暗いものでも明るく照らすのだ
羲和は中国神話に出てくる太陽の女神である。帝嚳の妻となって、10個の太陽を生んだとされる。山海経はそのことを次のように記している。
「帝嚳在天上也有兩位夫人,一位是太陽女神羲和,一位是月亮女神常羲。常羲替他生了十二個月亮女兒,羲和替他生了十個太陽兒子」(帝嚳には天上に二人の夫人があった、1人は太陽の女神羲和、もうひとりは月の女神常羲である、常羲は12の月を生み、羲和は10の太陽を生んだ)
陶淵明はこの話を踏まえて、毎朝太陽に水浴をさせるさまと、天空にあがった太陽が万物をくまなく照らすさまを歌いこんだのである。