陶淵明「山海経を読む」から其九「夸父誕宏の志」
讀山海經其九
夸父誕宏志 夸父 誕宏の志あり
乃與日競走 乃ち日と競走す
倶至虞淵下 倶に虞淵の下に至るも
似若無勝負 勝負無きが若くに似たり
神力既殊妙 神力既に殊に妙なれば
傾河焉足有 河を傾くるも焉んぞ足ること有らん
餘迹寄鄧林 餘迹 鄧林に寄る
功竟在身後 功の竟るは身後に在り
夸父は偉大な志を持ち、太陽と競争したのだった、そしてともに虞淵の下まで走っていったが、とうとう勝負がつかなかった(虞淵は太陽の沈む場所)
このように神の如き力を持っているくらいであるから、渇きを癒すために川の水を飲み干してもまだ足りなかった、彼の残した偉業はいま鄧林となって栄えている、つまりその功は死んだ後で初めて達成されたわけである
夸父は山海経海外北経に出てくる神人である。太陽と競争して、その渇きを癒すために黄河と渭水の水を飲んでもまだ足りなかったということが、次のような文章で記されている。
「夸父與日逐走,入日、渴欲得飲,飲于河、渭、河、渭不足,北飲大澤、未至,道渴而死、棄其杖,化為鄧林」(夸父は太陽と競争して、日が沈むまで戦い、咽喉が渇いたので黄河と渭水の水を飲んだ、それでも足りないので北のほうの沢へと向かったが、途中で渇きのために死んでしまった、そのときに投げた杖が成長して鄧林となった)
鄧林とは古代の伝説に出てくる大樹林のことである。夸父といい、それが化して鄧林となるといい、陶淵明は人間の志の壮大さにあこがれて、この詩を書いたのだと思われる。