中川一政といえば、荒々しいタッチでゴッホの絵を思わせるような作風で知られる洋画家だ。美術を含めてアカデミックな教育は受けていないが、多方面な才能に恵まれ、短歌や随筆にも優れたものを残した。明治の半ばに生まれ、97歳という生涯を平成まで生き残ったわけだから、まざに日本の近現代を体現したような人だった。
その中川一政の業績を集めた美術館が真鶴半島の一角にある。中川一政美術館といって、平成の初年に開館した。中川が戦後真鶴にアトリエを開いた縁から、町が建てたものだ。収蔵品の殆どは中川自身の寄贈になるものという。
親しい仲間とともに伊豆へドライブ旅行した帰りに、この美術館に立寄ってみた。仲間の一人があらかじめ下調べをしていてくれたのだ。
エントランスをくぐると、館内は開放的な空間になっている。展示室はいくつかの部屋に分かれていて、それぞれに駒ケ岳の絵、花の絵、人物画といった具合にテーマ別に展示してある。非常にわかりやすい配列方法だ。
中川の絵では駒ケ岳を描いた一連のものが最も有名だが、花の絵も捨てがたい。風景画が、どちらかというと暗い色使いで、重々しい雰囲気を感じさせるのに対して、花の絵のほうは明るい色彩感覚のものが多い。
中川一政の絵は、風景画にしろ、静物画にしろ、具象的ななかにもどこか形態にとらわれぬ自由さがある。中川本人はそこのところを次のように言っている。
「自分は写生によって描く人間であり、目前に形態がないと描けない。形態はいつまでも不変ではないので、描くことは時間との戦いになる。特に花は移ろいやすいので、静物画を描いているときは、対象が逃げ去ってしまうのではないかと、いつも不安にさらされている。
「自分は心の中のイメージをそのまま絵にするような芸当ができない。そうかといって目前のものをそのままに再現するわけでもない。目前に見えているものを、自分の心の中で透視した上で、キャンバスの上に再現する。」
中川一政の絵は、日本の近代洋画家の誰とも似ていない。この意味で彼は孤高の美術家だったといえる。おそらくゴッホの絵などに触発されながら、独学で自分の境地を切り開いていったのだろう。
中川一政の絵も強烈だったが、美術館の建物のほうも、見るに価するものだった。二階建てのコンクリート肌のシンプルなデザインの建物だが、周囲の豊かな緑の中に溶け込んで、くつろいだ雰囲気を漂わせている。
エントランス横手の壁には、公共建築物百選のステッカーが貼ってあった。誰が設計したのか確かめようとしてそれを見ると、建築者は法人の名で、TAK建築・都市計画研究所とあった。
見物後多少心の中が豊かになったのを感じた我々は、潮の香を感じながら、真鶴半島を北上して、東京へと向かったのだった。
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