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船橋の赤提灯:加賀屋に飲む


昨夜は少年時代からの友人と久しぶりに会って一杯やった。場所は船橋の繁華街の中の小さな路地に面した加賀屋という赤提灯である。過去に何度かひとりで入ったことがあり、その度に居心地の良さを感じたので、自分の分身のような気の置けない男と二人で飲むには、ちょうどよい空間だろうと思って、この店を選んだ次第だ。

店内は結構広い。入り口付近がコの字型の大きなカウンターになっていて、奥にはテーブルが二三十脚並んでいる。カウンターに座っているのは大部分が勤め帰りのサラリーマン、その外は土地の人と思われる男たちだ。だいたい一人で焼き鳥を食いながら、酒を飲んでいる。みな一人で飲んでいるので、すぐに隣の人と仲良くなり、他愛ない会話をするようになる。こんな雰囲気がなんとなく気に入っていたのだ。

この店はいつも混んでいる。したがって待たされることも多いが、回転が速いために、ひとりや二人づれの客ならそう待たずに席に座ることができる。この日は幸い待たずにすんだ。しかし案内されたのはカウンター席ではなく、奥のテーブル席だった。

名物の煮込みと刺身と茄子の漬物、それにニンニクの丸焼きを注文して、生ビールのジョッキを傾けながら互いの近況など確かめ合った。二人とも還暦を過ぎて、筆者は定年になり、友人のほうはまだ当分現役のままという。幸運なのか、気の毒というべきなのか、それはわからぬ。多くの人が定年を機に職を失っている現実を考えれば、少なくとも不幸とはいえぬだろう。

共通の友人たちのことも話題に上る。ほとんどは筆者と同様定年を迎えて、これまでの職場を去っているようだ。昨年の秋には一緒に卒業した中学校の同窓会が開かれて、同年代の卒業生が一堂に会したという。この中学校は、我々の時代には15クラスもあり、一クラスには50人以上いたから、もし全員集まったとすれば、750人という大人数だ。これには筆者は参加しなかったが、もし出ていたら、昔の悪童たちや美少女の面影に、半世紀の時の歩みが刻んだ年輪を感じ取ったことだろう。

この友人も、昔の美少女たちの今の姿を見て、時の歩みが人それぞれに異なる模様の年輪を刻んだことに、深い感銘を受けたそうだ。まだ女ざかりを感じさせるほど若やいだ雰囲気の人もいれば、生活に疲れ切って年齢以上に老け込んでしまったものもいる。まあそれはそれで、いたし方のないことといえるが。

こんな話をぼつぼつとしているうちにも、周囲の騒音が気にかかる。テーブル席のほうは、数名単位の仲間らしいグループがほとんどで、どこもみな話しに興じている。その話し声が互いに他の話し声をさえぎるので、誰も彼も大声で話すようになる。その大声がもつれ合ってすさまじい騒音となっているのだ。筆者らはそう大きな声の持ち主ではないため、面と向かって話していても、時として相手の話が聞き取れない。

カウンター席に座っている限りは、そんな大声で話す者もいないので、周囲が騒音に包まれるということもなかった。ところがこの宵は、まるで工事現場のなかにでもいるかのようなうるささだ。

こんなわけで、あまり長居することなく、ほろ酔い加減になったところで店を出た。今度はもっと静かで上品な店で飲もうやと、言い交わしながら。

なお友人がいうには、この店は大きなチェーン店のひとつに違いなく、そうだとすれば東京にも姉妹店が多くあるそうだ。筆者はてっきり船橋土着の店だと思い込んでいたので、意外だった。(もっともこれは、友人のほうの思い違いらしい)


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